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1980年、女たちは「自分」を語りはじめた

2023.08.14 公開 ポスト

敗戦翌年に小学1年生となったカウンセラーが振り返る「女性としての個」【再掲】河野貴代美

日本ではじめて「女性解放」の視点での心理療法、フェミニストカウンセリングを実践した河野貴代美さんが、後進のカウンセラー加藤伊都子さんとともにオンライン講座「人生100年時代の女性の生き直し方~生きづらさから生きやすさへ~」を9月16日(土)に開催します。心理的苦難を抱える女性たちに「苦しいのは、あなたが悪いのではない」と「語り」を促し、社会の変化を後押ししてきたフェミニストカウンセリングの活動を河野さんの著書『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』よりご紹介します。

(写真:iStock.com/Rawpixel)

渡米前の人生

1945年の敗戦の翌年に、私は小学校1年生となり、最初の民主教育を受けた第一世代でした。早熟な「正義志向」の女の子で、高校時代からさまざまな社会政治活動に関わってきたものです。幸いにも当時、いろいろな社会政治活動がありました。自衛隊(とは呼んでいませんでしたが)はできたばかり。在日米軍立川基地の拡張に反対して当時の砂川町で繰り広げられた住民運動の砂川闘争など、私は運動のあった幸せな世代と呼んでいます。中学時代には、友人とグループを作って、人のためになることをしたいと思い、子ども病院に花を送ったり、駅舎を掃除したりしていました。匿名でやっていましたが、ある時、知られることになり、新聞ネタにもなりました。親に隠れて「赤旗」などを読んでいたりもしました。

県立高校での社会科学研究会(社研)という部活は、正義派の学生の根城のようなところでした。私が入学してこの部活に加わった後、当時、高校3年生であった社研のチーフが学校の何かに反対し、門塀に「○○反対」と大きな字で落書きするとともに、自死するということが起きました。彼が何に反対したのかは記憶にありませんが、ものものしい雰囲気になったりしました。

部活は、地元の国立大医学部のグループとずっと連携していたようで、いろいろ教わったものです。夕食後、自転車を引っ張り出している私に母が「どこへ?」と。私は医学部に属する学生のNさんのところ、と正直にいいました。考えてみれば、16歳の女子が20歳前後の一人暮らしの男子学生を訪ねるのに、親は心配も反対もしなかった。何かが起きるなどとは考えてもみなかったのでしょう。牧歌的でした。

ちなみに、そのNさん、10年ほど前、思わぬところから彼の住まい(もともと東京都出身)がわかりました。お手紙を出したら、共に医者である彼の妻から、山谷近くの貧しい人たちのための地域医療活動に身を捧げ、50歳前に亡くなったと返事がありました。

「そうか、Nさん、ずっと志を曲げず、よくおやりになったのですね」と独りごちながら、あの学生時代のままの、決して変わらぬ彼を、私は深く悼んだのでした。このような記憶は私の宝物です。歴史の善良な部分の深層には、このような人たちの支えがあるのです。

今にして思えば、その前の中学時代も含めて、とても民主的なよい教育を受けてきました。戦後しばらくはそのような教育環境があったのでしょう。

地方都市の、たいして教養もない両親、ありふれた中産階級家庭のどこに、他者のためになることをしたいという私の動機のきっかけがあったのか、我ながらよくわかりません。父親は亭主関白の、自己チューな人で私は嫌いでしたし、よく衝突しました。当時家父長制などいう言葉は知りませんでしたが、父親への反発はその後のフェミニズムに関わる理由の一つにはなったと思います。

考えれば、いつも家庭ではなく外を向いて生きてきたような気がします。学校の勉強が大嫌いで、常に叱られながら外で遊んでばかりいました。近所に住む会社員だった年上の女性は、映画雑誌を定期購読していて、新しい号が来れば、行って見せてもらうとか、標準語を話す叔母さんがなぜか近所に引っ越してきて、市内の繁華街でバーを開くと聞くと、出かけて行って見せてもらうとか。彼女たちのいうことには耳を傾けたものです。大学に入った初年に、休暇中そこでバイトをさせてもらいました。

私は自分をずいぶん「欲ばり」(demanding)だったと思ってきました。家庭では与えてもらえない「何か」――承認とか成長とか私であることの揺るぎのない立場――を求めていたのかもしれません。よくドイツの小説を読んでいました。それらは男性が主人公の成長物語です。イマイチ物足りなかった記憶がありますが、ジェンダー意識など皆無でした。

しかしながら、高校時代の社研のみならず、その後の精神科病院における労働組合活動など、何をやってもその都度、表現しようもないかすかな違和感を持ち続けてきたのでした。「何かが違う」と。その正体が何なのか、なぜ違和感を持つのかをどうしても言語化できませんでした。

個を問うフェミニズム

その答えがわかったのが、NOW(全米女性機構:1966年に結成された女性の地位向上を目的としたアメリカの政治団体)の集会であったと思います。「私とは何者か」という問いに、明確にしっかり反応してくれたのがきっかけでした。私は女としての自らのアイデンティティを求めていたのだ、ということを。私は「自分を探していた」のでした。つまり、私という個について。

フェミニズムは女としての「個」を問います。

これまでの社会活動は、決して個などに問いが向けられることはなかったのであり、私の焦燥や曖昧模糊の正体はそれでした。もちろん直後はフェミニズムもジェンダーもよく知らず、私の経験が、やがてフェミニストカウンセリングに結び付くなどとは考えられずに、です。概念は全部後から入ってきて、これまでの疑問に結び付きました。

しばらくしてNOWでの体験は私のなかで深く根付き、私もすぐ会員になりました。1975年にメキシコシティで行われた国連主催の「国際女性の十年・第1回世界女性会議」へ参加した時の、反性差別を言動化する女性同士の団結に加えて、新しい歴史の到来を予見するあの興奮を生涯忘れることはないでしょう。

私の行く道を照らす言葉はどこにあるのだとウロチョロする道程で、その言葉と実践にやっと出会えたのです。フェミニズムへの確かな信念とともに、この体験は帰国を考えた際の、動機付けとなりました。これまでの精神科領域でのキャリアにフェミニズムを結び付けたフェミニストセラピィの実践を日本でやりたい、と思い、帰国を決めました。

そして1980年2月、フェミニストセラピィ〝なかま〟の開設をもって、日本にフェミニストカウンセリングの第一歩が刻まれたのです。 

1980年2月以来、フェミニストカウンセリングの理論と実践は、さまざまな紆余曲折を経ながら、これまでなんとか持ちこたえてきました。よく持ちこたえてきたと思います。

「持ちこたえてきた」という表現は、ネガティブに聞こえるかもしれませんが、それだけの意味ではありません。学会を設立し、フェミニストカウンセラーの学会認定資格制度を作り、教育訓練の場を設け、学会ジャーナル誌まで発行してきたのです。

とはいえ、この四十余年、全体的な弱体化や内部的な意見の違いは否めず、現在は、公認心理師国家資格化の大きな流れの前で、フェミニストカウンセリングの今後をどう考えるかは、問題含みです。

本書は、フェミニストカウンセリングとは何かを理論的に論じるとともに、十分に理解されているとはいいがたい、フェミニズムの視点から女性のエンパワーメントを援助するというフェミニストカウンセリングの実践を紹介したいと思います。同時にさまざまな困難や障害に突き当たったフェミニストカウンセリングの運動と実践の軌跡および現在の問題点を、率直に確かめていきたいと思っています。

※続きは、『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた』をご覧ください。

河野貴代美さん×上野千鶴子さんオンライン講座
「おひとりさまの老後を生きる」

開催日時:2023年12月11日(月)19時~21時
場所:Zoomウェビナー

2024年1月8日(月)23時59分まで視聴可能なアーカイブを販売中です。詳細は、幻冬舎大学のページをご覧ください。

関連書籍

河野貴代美『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』

「このひとがいなかったら、日本にフェミニストカウンセリングはなかった。 最後の著書になるかもしれないと、明かされなかった秘密を今だから語り残す。」 ――上野千鶴子(社会学者) フェミニストカウンセリングは、「苦しいのは、あなたが悪いのではない」と女性たちへ「語り」を促し、社会の変化を後押ししてきた。 女性たちが語り、聞いてもらえるカウンセリング・ルームをはじめて作った創始者がエンパワーメントの歴史をひもとく。

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1980年、女たちは「自分」を語りはじめた

2023年3月8日発売『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』について

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河野貴代美

1939年生まれ。シモンズ大学社会事業大学院修了(MS)。元お茶の水女子大学教授。専門は、フェミニストカウンセリング、臨床心理学、フェミニズム理論、社会福祉。日本にフェミニストカウンセリングの理論と実践を初めて紹介し、各地におけるカウンセリングルームの開設を援助。後、学会設立や学会での資格認定に貢献。著書『自立の女性学』(1983年、学陽書房)、『フェミニストカウンセリング(Ⅰ・Ⅱ)』(新水社、1991/2004年)、『わたしって共依存?』(2006年、NHK出版)ほか、翻訳書に、P・チェスラー『女性と狂気』(1984年、ユック舎)、H・パラド他『心的外傷の危機介入』(2003年、金剛出版)ほか多数ある。

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