日本ではじめて「女性解放」の視点での心理療法、フェミニストカウンセリングを実践した河野貴代美さんが、後進のカウンセラー加藤伊都子さんとともにオンライン講座「人生100年時代の女性の生き直し方~生きづらさから生きやすさへ~」を9月16日(土)に開催します。心理的苦難を抱える女性たちに「苦しいのは、あなたが悪いのではない」と「語り」を促し、社会の変化を後押ししてきたフェミニストカウンセリングの活動を河野さんの著書『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』よりご紹介します。
自然発生的なその始まり
フェミニストセラピィが、どこでどのように始まったのかはほとんどわかっていないし、確かな記録もありません。特にCR(女性の意識覚醒を目的にしたグループディスカッション)活動が大きなインパクトを与えたとたくさんのセラピストが話していますが、どこからともなく自然発生的に生み出されたというのが通説のようです。
資料によれば、19世紀末から20世紀にかけて活躍した精神科医のカレン・ホーナイがフェミニストセラピィに大きな影響を与えたと評されていますが、ホーナイは1952年に亡くなっています。また国際的に知られ、フェミニストセラピィ研究所の所長をしてきたエリン・カシャックが最初のフェミニストセラピストだという説もありますが、彼女自身がそのようにいっているわけではなく、確かなことは不明です。
ベティ・クロンスキーは、「1970年7月、これを書いている時点で、フェミニズムの視点から書かれた心理療法論はほとんどない」といっています(Betty J. Kronsky "Feminism and Psychotherapy" Journal of Contemporary Psychotherapy Vol.3. No.2 Spring, 1971)。また1975年のアメリカ精神医学会(APA)127回年次総会に、初めて「フェミニストセラピィ」という名称の分科会が現れているようですが、詳細は不明です。
別の資料によると、「1960年代の後期に初めて出現して以来(略)……やがて全国各地のセラピストたちが、心理的成長に必要な持続的変化をとげていくための、女性の能力を強化するさまざまな新しい試みをはじめた。他のセラピストと話し合うことなしに単独で、それぞれのセラピストが自分自身をフェミニストセラピストと呼び始めた」(L.B.ローズウォーター、L.E.Aウォーカー編著 河野貴代美・井上摩耶子訳『フェミニスト心理療法ハンドブック』ブレーン出版 1994)ようです。
この資料は、1982年に開催された上級者フェミニストセラピィ協会(Advanced Feminist Therapy Institute)の第1回大会の記録本なので、この時点ですら出発点について正確にはわかっておらず、結局自然発生的に生み出されたという通説を裏づけています。いくつかの論文において、各自がフェミニストセラピストと自称しはじめたという記録は散見されます。
いずれにしても1960年代末には、フェミニストセラピィは、個人の開業実践(プライベート・プラクティス)として定着したようです。
つまり、フェミニストセラピィの始まりの詳細が重要というより、むしろ、明確なリーダーがおらず、歴史も書かれていないというほうが、フェミニズムらしいと思われます。旗を振って、「私に続け!」と叫ぶリーダーがいないほうが。
概して初期のフェミニズム運動は、記述がなく明確なことはわかっていないことが多いようです。
フリダーンは、『新しい女性の創造』でNOWを組織化した後、なぜ設立の経緯以降の本が書かれないかと問われ、「書きかけたが、終わらなかった」と述べています(『新しい女性の創造 三度目の改訂版』)。運動をするということは、そんな時間的余裕などないというようなことを、いつかどこかで答えていたと記憶します。
フェミニストセラピィの定義
始まりはこのくらいにして、言葉の定義から始めましょう。フェミニストとは、女性解放思想によって性差別反対を唱える人で、セラピィは、サイコセラピィ(心理療法)の略です。つまり女性解放思想の持ち主が、女性解放の視点で心理療法(カウンセリング)を行うということです。
まずはよく知られたフロイト派の女性観を見直すことから始まったのは当然のことでしょう。特に劣等性(インフェリオリティ:ペニス羨望から来る)、受け身性(パシヴィティ:卵子は常に精子を待つ)、自愛性(ナルシシズム:劣等性の代償として)、嫉妬心(ペニス羨望のように)、良心の欠如(エディプス・コンプレックスによる法としての父の超自我が男子のように内在化されないため)が批判の対象です。マゾヒズムと名付けられたこれらの女性の総体的劣等性の比喩は、フロイト理論では「解剖学(身体的性差)は宿命である」という言葉に表されていました。
フェミニズムが、「フェミナ」(女)というラテン語を母体に作られた造語である限り、性別役割分担という言葉すらなかった時代から現在まで、何千年も引き継がれてきた宿命論を覆すのは困難な作業でした。もし女性がペニスを欲しがるなら、男性は乳房を欲しがっているに違いないし、事実巨乳を求めています。この二つの「性器」に優劣があるでしょうか。フェミニストセラピィはこのような宿命論にまず反論することから始まりました。
振り返ってみればわかるように、女性心理は、男性によって観察され、分析され、記されてきました。そのうえ、心理学上の発達・分析のモデルは男性です。人口に膾炙した1950年のE.H.エリクソンの八段階からなる心理・社会的発達段階――「乳児期」「幼児前期」「幼児後期」「学童期」「青年期」「成人期」「壮年期」「老年期」――に女性が含まれていると思われるでしょうか。人間という場合は無意識に男性が基本となって、女性は存在しているはずなのに現実には含まれていません。
心理学理論にとって女性は、よく考えられていないから、よくわからないはずなのに、「他者」として記述、あるいは無視されてきました。
フェミニズムが喝破するように「個人的なことは政治的である」として、男性の従属的立場ではなく、女性それぞれが、自分が何を感じ、考え、究極的に自分の人生をどう生きたいのか、あなたがあなたの人生の主人公だという命題に焦点が当てられていくこと、つまり女性個人のエンパワーメントを促進することがフェミニストセラピィの目的です。
この実践によって、初めて女性が自分自身に向き合うことを許す機会が与えられるのです。
女性の幸せは、夫や子どもに尽くすことであり、女性自身もそれを望んでいるはず、とする社会的なプレッシャーは大きく、またどこまで尽くせばいいのかという基準もありません。人間としての平等感になじんでいないのだから、自分が人生の主人公だと考えることは、わがまますぎるのではないかという戸惑いも大きいでしょう。このような戸惑い、悩みは他者の助けをもって、丁寧にゆっくりほどいていくしかないのです。
フェミニストセラピィについてたくさんの著作のあるローラ・ブラウンの初期に書かれた定義を紹介しましょう。彼女は振り返って次のように書きます。
「フェミニストセラピィの実践は、フェミニストの政治的な概念や分析によって周知されるものである。それらは、女性とジェンダー心理学におけるフェミニストの多文化的学問に裏付けられており、やがては、セラピストにとってもクライエントにとっても、フェミニスト的抵抗や個人的日常生活上の変容、また社会的、情緒的、かつ政治的環境との関係を進展させるための戦略や解決に導くことになる」
(アメリカ心理学会ジャーナル 1994)
ここにはセラピィの背景にフェミニズムの存在およびフェミニズムがもたらした女性の社会構築の分析が明確に述べられています。セラピストやクライエントを含めた、セラピィ実践による社会の変容に至るまで言及されています。
米国では、1975年頃にはフェミニストセラピィに対する相当な広がりや支持が実現されました。たとえば、1975年の雑誌『Ms.』(1972年に、女性のみMiss未婚とMrs既婚に分けられる呼称に反発してフェミニズムの考え方を広げるために、グロリア・スタイネムなどが創刊した雑誌。現在の呼称は世界中でMr・Msになっている)の広告ページには「ウエストチェスター・フェミニスト・サイコセラピィ・コレクティブ。個人、グループを問わず。低料金。電話○○」とあります。クリニックではなく、コレクティブと名乗るところが、フェミニストらしい。クリニックではなく、あくまで共同体という意識なのです。
※続きは、『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた』をご覧ください。
河野貴代美さん×上野千鶴子さんオンライン講座
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