発売前からざわざわ…、発売してからますますざわざわしている、芦花公園さんの新刊『パライソのどん底』。
ここでは、第1章「贄(にえ)」の章を特別公開。これまでになく艶めかしい、芦花公園発BL系ホラーをお楽しみください。
* * *
高遠瑠樺が来てから環境が一変した。これまで毎日しつこくまとわりついてきた連中がすっかりいなくなったのだ。あの美しさだ。田舎者たちは、高遠瑠樺にターゲットを変更すると律は思っていたのだが、そうはならなかった。それどころか何故か、高遠を見ると気まずそうに去っていく。そして、律に対しても同じように近寄ってこない。しつこい付きまといから解放されるのは願ってもないことだが、この態度の急変は不愉快だった。
ふと、最悪の想定が頭をよぎった。高遠瑠樺を見つめていた──正確に言うと、見つめあっていたのを誰かに見られ、ゲイだと思われたのではないだろうか。東京の学校ではゲイだとかレズビアンだとかトランスジェンダーだとかを理由に虐(しいた)げるような人たちは少なかったけれど、ここは閉鎖的だ。そういう人々を差別する土壌が未だにあってもおかしくない。なにより恐ろしいのは、田舎における噂の拡散の速さだ。近所に住むナントカさんの息子が本来仕事をしているはずの時間にレンタルビデオ店にいた、などという些末な情報まですぐに広まるのだ。あっという間に両親のもとに届いてもおかしくない。それに伴って家族全員が嫌がらせを受けたりすることもあるかもしれない。先の長くない祖父もいるのに——以前ネットで読んだ、未だにある村八分の記事を思い出して頭が痛くなった。 自分がゲイである、と考えたこともない。高遠瑠樺があまりにも美しかっただけだ。男女関係なく目を惹くほどの美しい人間というのはいる。彼はまさにそれだっただけだ。
それに、律がゲイではないということは、少なくともこの学校の生徒には確実に知られているはずだ。入学してすぐ声をかけられて、以来何度も、学校一の美人とされるひと学年上の中山杏子(なかやまあんず)と律が寝ていることは、公然の事実だった。杏子は確かに森山郡の人間にしては見られる容姿をしていた。ティーン雑誌の読者モデルの仕事も何回かしたことがあるらしい。しかし彼女が有名だったのはむしろ、誰とでも寝る女として、だった。杏子は毎日積極的に律を誘ってきた。娯楽がなくて退屈していたのは律も同じだったから、誘われれば乗った。
「りっちゃん」
玄関から出たところで、杏子の肌を思い出していたときにちょうど本人に話しかけられた。つい動揺してしまう。杏子はそのまま律の腕にしがみつき、白い歯を見せて笑っている。
「どうしたの、難しい顔して。一緒に帰ろ」
「杏子さんは」
「さんはいらない、呼び捨てでいいって何度も言ってるでしょ」
「杏子は、俺を避けないんだな」
杏子は頬を律の胸に押し付ける。甘い香水の香りが鼻腔を抜けた。
「りっちゃんが避けられてる理由知りたい?」
律が頷くと、杏子は人がいないとこに行こうと言って、律を校舎裏に引っ張っていった。「高遠瑠樺だっけ、りっちゃんのクラスに来た転校生」
周囲には誰もいないというのに、杏子は囁くような声で言った。
「あの子、腹磯緑地から来たんでしょ。腹磯から来た子とは、話しちゃダメなの」
それを聞いた途端、律の心に、田舎への激しい嫌悪感が再びよみがえった。こんな狭い地域の中での差別。
ネズミを多頭飼いすると、やがて虐(いじ)められる個体が出てきて、その個体を除いても、また別の個体が虐められるようになるという。この土地の人間はケージの中のネズミのようだ。
腹磯緑地には、ここに越して来てすぐのときに訪れたことがある。ハナズオウという赤紫の花がたくさん生えている場所だ。律が住んでいる家からは車で二十分ほどかかる。律の父はこの景色を見て、田舎も悪くないと感じる、と言っていた。確かに観光ガイドブックに載っていないのが不思議なくらい迫力のある景色だった。悪く言えば、花以外何もない場所だが。しかしそれが差別の原因になるのは不可解だ。何もなさでいえば、どこも大して変わらないというのに。
「住む場所で差別するのか」
「ち、違うよぉ」
杏子は慌てた様子で続けた。「腹磯から来た子はね、カミサマっていうか、そういう感じなの。話すと連れてかれちゃうんだって。だから話したらダメなの、そういう言い伝え」
「はあ?」
律が嫌悪感を隠さずに声を上げると、杏子は悲しそうな顔をして俯(うつむ)いた。
「東京から来たりっちゃんは馬鹿みたいって思うかもしれないけど、ここではすごく大事なことなの。何年かに一回腹磯からカミサマが来て、気に入った子を連れてっちゃうって。それで、次の年は豊作になるの。勿論あたしはあんまり信じてないよ。それに、信じたとしても、りっちゃんを無視するのは変だと思うの。一応、気に入られた子にも話しかけたらダメってことになってるけど……あたしはりっちゃんとは話すし」
自分の態度は、大事な言い伝えに背いてまで一生懸命話しかけてくれる杏子に対して失礼だったかもしれない。律はそう反省して、ごめん、と呟いた。
「俺とは話してくれるのに高遠とは話さないのか? 杏子、イケメンが好きって言ってたじゃん。その理屈で行くと、高遠は段違いでイケメンだから——」
少しふざけて言った律を遮るように、杏子は首を大きく横に振った。
「あたしはりっちゃんにマジで恋してるってずっと言ってるじゃん。りっちゃん、あたしが皆にヤリマンって言われてたとき、庇(かば)ってくれたでしょ」
確かに庇うようなことを言った。ちょうど律が杏子と初めて関係を持った頃だった。ニヤニヤと下品に笑いながら、「ミコ様に慰めてもらったか?」そんなことを聞いてくる男がいた。意味が分からず聞き返すと、「杏子だよ。あいつはヤリマンだから、もうお前も世話してもらっただろう」などと言う。律は、「女性にそういう言い方をするのは良くない」とかなんとか、そんなふうに言い返した気がする。しかし、それは庇ったというよりも、「ヤリマン」などという下品で田舎臭い言葉が嫌いだっただけなのだが。そんなことをいじらしく覚えている杏子が途端に可愛く見えて、律は杏子を抱きしめた。杏子は、今日変な下着穿(は)いてるのに、と口だけで抵抗した。
ことが終わると杏子は律の背中にもたれかかりながら言った。
「高遠瑠樺がイケメンってりっちゃんは言ったし、あたしの友達もびっくりするほど綺麗だって言ってる。でもすっごく嘘くさいってあたしは思う」
「嘘くさい?」
「そう、なんか好かれるために綺麗、みたいな。ごめん、あたし馬鹿だから、あんま分かんないよね」
律は右手を背中に伸ばし、黙って杏子の頭を撫でた。彼女は学校一の美人だと言われているのだ。自分が他人より可愛いという自覚もあるだろう。相手が男でも、対抗心のようなものから嫉妬心が生まれるのかもしれない。 それでも高遠瑠樺は美しい。律は、杏子を抱いている最中、同じことを高遠瑠樺にしたらどんな反応をするかとずっと考えていた。
高遠瑠樺は美しい。世界で一番、美しい。
(つづく)
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パライソのどん底
男の首筋に浮き出す血管を数えたことも、くっきりとした白い喉仏に噛みつきたいと思ったこともなかった。“美しすぎる彼”に出会うまでは――。それぞれの“欲望”と、それぞれの“絶望”が絡まり合い、衝撃の結末へ。
「ベストホラー2022《国内部門》」(ツイッター読者投稿企画)で1位・2位を独占した芦花公園による、切なさも怖さも底無しの、BL系ホラー!
* * *
“絶対に口にしてはいけない禁忌”を抱えた村に、転校生・高遠瑠樺がやってくる。彼のあまりの美しさに、息を呑む相馬律。だが、他の誰も、彼に近づこうとしない。そして、律だけに訪れる、死にたいほどの快楽……。
ある日、律の家の玄関が、狂い咲きした花で埋め尽くされる。すると、”花の意味”を知る、神社の“忌子”から、「アレに魅入られると、死にますよ」と告げられる―ー。
この村で、住民がひた隠しにする「伝承(ひみつ)」とは?
俺の心と体を支配し、おかしくした、「存在(アレ)」の正体とは?