発売前からざわざわ…、発売してからますますざわざわしている、芦花公園さんの新刊『パライソのどん底』。
ここでは、第1章「贄(にえ)」の章を特別公開。これまでになく艶めかしい、芦花公園発BL系ホラーをお楽しみください。
* * *
律が高遠瑠樺に初めて触れたのは、彼が転校してきてから一週間後の体育の授業だった。
相変わらず瑠樺と律は避けられている。教室の机は知らない間に、離れ小島のように他の生徒の席から離されている。もはやイジメの域だ。生徒だけでなく教師も、瑠樺と律をセットで扱うのだ。絶滅危惧種のつがいにでもなったような気分だった。
瑠樺は相変わらず目も合わせられないほど美しい。律が話しかけると曖昧に答えることはあっても、自ら話すということはほとんどない。たまに律の方を見てうっすら微笑んでいる。杏子の放った「嘘くさい」という言葉を思い出す。たしかにそうかもしれない。
これほど美しい笑みは見たことがなく、今それは律だけに向けられているのだから、高遠瑠樺は、律のために美しいのかもしれない。
秋だというのにひどく暑い日だった。その日の体育は野球で、さすがに人数の問題か、律たちは排除されずに、別々のチームに入れられた。瑠樺は外野を守っていて、律はベンチで攻撃の順番を待っていた。律の前の生徒が打席で大きくバットを振った。球が弧を描いて飛んでいく。そして次の瞬間、高遠瑠樺が倒れた。ボールを打った生徒が小さく悲鳴を上げる。遠目からでも、瑠樺の白い肌に血の赤さが映えている。反射的に駆け寄って瑠樺を抱き起こした。こんなときでさえ、田舎者たちは言い伝えなどに縛られているのか、凍り付いたように動かなかった。
「大丈夫か」
そう聞くと瑠樺は小さく頷いた。球は顔に直撃したわけではなく、グローブを跳ねて鼻に当たったようだった。瑠樺の高く整った鼻からは、血が止めどなく流れ落ちている。
「俺、保健室に連れていきます」
そう言うと、体育教師は曖昧な笑みを浮かべてよろしく頼む、と言った。目はきょろきょろと落ち着かない。律は不快感を隠さずに、教師を睨(にら)みつけながら立ち上がった。
瑠樺の腕を引いて立たせてやり、肩を組むような形でゆっくりと歩を進める。瑠樺の肌は金色の産毛が生えていて、陶器のように白かった。こうして並んでみると、律よりずっと背が高いことに気付く。骨格が華奢(きゃしゃ)なので気付かなかったのだ。瑠樺の息が耳にかかる。
今少しでも頭を動かせば唇が当たってしまうかもしれない。体全体が心臓になったかのように脈打ち、頬が上気しているのが自分でも分かった。
「ねえ」
校舎の裏口に差し掛かったところで瑠樺が囁いた。
「いたいのがすきなの?」
はっとして振り向くと、瑠樺は今までにないほど煽情的な笑みを浮かべている。血が、彼の艶やかな唇から顎(あご)にまで滴っている。今すぐにでも舐めとりたい気持ちを必死に堪える。体の中心に血液が集中していくのが分かる。それを隠すように前屈(まえかが)みになって、首を横に振ることしかできない。
「じゃあ、いたくするのがすきなの?」
瑠樺は律から体を離して、地面に落ちた大きめの石を拾うと、律にそれを握らせようとした。
「たたいていいよ?」
何を言われているかも分からず律が動けないでいると、瑠樺は石を自分の顔に向かって叩きつけ始める。一回、二回、三回、四回──
「やめろっ」
律は強引に瑠樺の手から石を奪い取り、遠くへ放り投げた。瑠樺は微笑んでいる。血まみれの顔面で微笑んでいる。瑠樺は顔の血を乱暴に手で拭き取って、律の顔に塗り付けた。湿った感触と鉄の臭いが鼻腔を抜ける。律はひどく興奮して、瑠樺の顔を見つめる。上気した顔で見つめ返された。なぜこんなに美しい微笑みが自分に向けられているのか分からない。しかもひどく満足そうだ。
「やっぱりすきなんらね」
鼻腔に詰まった血のせいか、瑠樺がはっきりしない声で言った。
「ちがう、俺はちがう、俺は」
「いいよ」
瑠樺は律の腹をゆっくりと撫でた。
保健室には誰もいなかった。もうこうなることは予定調和でしかなかった。彼は当然のようにベッドに横たわり、律は彼にのしかかった。まずは瑠樺から流れる血を舐めとった。
ずっとそうしたかったのだ。口に錆の味が溢れた。今まで味わったものの中で一番美味しい。
ずっと見てたんだよ、と言われ、腹から背中までぞくりと震えが走った。全てが律を興奮させた。杏子──唯一肉体関係を結んだことのある女が気持ち良いと言っていた部分を、
ひたすら愛撫した。腹、首筋、乳首、脇の下。そして陰部に手を伸ばす。瑠樺はくすぐったそうに身をよじってくすくすと笑った。悲しくなってしまった。律は男をどうやったら悦ばせることができるのか知らない。それを見透かしたように彼は律の陰茎に手をかけて、自分の中に招き入れた。 電流が走ったような快感が脳を突き抜ける。しっとりと湿っていて絡みつくように熱い。律は一心不乱に腰を動かすことしかできなかった。
瑠樺の声が耳を擽(くすぐ)る。女とは違う、女よりもずっと甘い声が、ますます脳を浮腫(むく)ませる。
律は今日この美しい生き物と死んでしまうのかもしれない。
高遠、高遠、高遠、高遠、高遠、高遠、いつの間にか獣のように彼の名前を呼んでいた。
「うえのなまえは、きらいっ、した、の、なまえで、よんで」 切なく途切れた声で彼が言う。
「瑠樺っ」
彼の唇が自分の唇を吸うと同時に、律は果てた。
しばらく抱き合ったままお互いの体をこすりつけていると、外から足音が聞こえ、慌てて服を着た。カーテンの陰に隠れて息をひそめる。足音はそのままドアの前を通っていった。瑠樺は鼻をガーゼで押さえながら、またしようねりっちゃん、と呟いた。律は瑠樺の手を強く握り返して、早く瑠樺と一緒に死にたいと、ぼんやり考えた。
(つづく)
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パライソのどん底
男の首筋に浮き出す血管を数えたことも、くっきりとした白い喉仏に噛みつきたいと思ったこともなかった。“美しすぎる彼”に出会うまでは――。それぞれの“欲望”と、それぞれの“絶望”が絡まり合い、衝撃の結末へ。
「ベストホラー2022《国内部門》」(ツイッター読者投稿企画)で1位・2位を独占した芦花公園による、切なさも怖さも底無しの、BL系ホラー!
* * *
“絶対に口にしてはいけない禁忌”を抱えた村に、転校生・高遠瑠樺がやってくる。彼のあまりの美しさに、息を呑む相馬律。だが、他の誰も、彼に近づこうとしない。そして、律だけに訪れる、死にたいほどの快楽……。
ある日、律の家の玄関が、狂い咲きした花で埋め尽くされる。すると、”花の意味”を知る、神社の“忌子”から、「アレに魅入られると、死にますよ」と告げられる―ー。
この村で、住民がひた隠しにする「伝承(ひみつ)」とは?
俺の心と体を支配し、おかしくした、「存在(アレ)」の正体とは?