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パライソのどん底

2023.03.22 公開 ポスト

贄」の章 ためしよみ 第6回

#6 血の一滴も滴り落ちることなく、ぽとりと礼本の眼球が地面に落ちた。芦花公園(小説家)

発売前からざわざわ…、発売してからますますざわざわしている、芦花公園さんの新刊『パライソのどん底』。

ここでは、第1章「贄(にえ)」の章を特別公開。これまでになく艶めかしい、芦花公園発BL系ホラーをお楽しみください。

*   *   *

「……そういうこともあるのでしょう」

ふたたびイミコを見ると、仮面が張り付いたような元の顔に戻っていた。

「アレは花を咲かせたと聞きました。相馬さんは何を捧げたのですか」

「あいつをアレと呼ぶのはやめてくれ」

「ルカは花を咲かせましたね」イミコは顔を歪めていた。

(写真:iStock.com/rai)

「ああ、呼ぶのも嫌だ。早く答えなさい。大事なことなのです。あなたは何を捧げたんだ」

「何も捧げてなんかいない」

気迫に気圧(けお)されて、律は思わず素直に答えた。やはりあの花を咲かせたのは瑠樺なのだろうか。しかし捧げた、の意味が分からない。律は瑠樺に何も渡していない。金も食べ物も。あのあと、一回も瑠樺と会っていないのだから。

「嘘を吐くな!」

思い切り頬を張り飛ばされ、地面に転がることになった。礼本は先程のにやついた笑みを消して、歯をぎりぎりと食いしばっていた。

「アレは一定以上の精を吸い取ると花を咲かせるのですよ。アレがどうして花を咲かせるのかは分かりませんが、タダで、というわけにはいかないようです」

イミコは指三本をピンと伸ばした。そしてそれを礼本の眼窩にまっすぐ突き入れる。

「あっ」

「うるせえな、大丈夫だよ」

礼本は面倒そうに吐き捨てる。血の一滴も滴り落ちることなく、ぽとりと礼本の眼球が地面に落ちた。イミコはそれを両手で覆うように拾って、律の目の前で手を開いた。

「彼は目を奪われました。これは義眼です」

光を反射してぬらぬらと光るそれは、確かにガラス製のようだった。

「め、みみ、はな、したのね、はい、いのふ、はらわた、そしてようぶつ──アレはどれかを奪います。捧げる頃にはほとんどの人間が傀儡(くぐつ)のようにアレの言うことを聞くようになるので、何一つ疑問に思いません。そして幸せに、幸せに死んでゆくのです。アレに脳を穢されたまま。礼本さんは片目を抉(えぐ)られた痛みで正気に戻り、そのまま熱された火箸(ひばし)でアレを焼いたのだそうです。……いずれにせよ、あなたが何も捧げていないのは奇妙ですが……よかった、本当に何も捧げていないのですね」

「ああ」

様々な情報が脳を行ったり来たりして、発熱しそうだった。律は曖昧に相槌を打つことしかできない。

「でしたら、やることはひとつです。早くこの村から出なさい」

女はまた少し口角を上げている。死にますよ、という声が、何もない草地にこだました。

(写真:iStock.com/okugawa)

全て嘘なんじゃないかと思う、と律が言うと、未だ顔色の悪い杏子は首を横に振った。もう気付いてるかもしれないけど、と前置きして、

「あれあたしのおねえちゃんなんだ。中山林檎。林檎と杏子、どっちもフルーツ、ちょっと可愛いでしょ……」

彼女は力なく笑って続ける。

うち、神社やってるんだ。山の上の森山神社。りっちゃんには言ったことあるけど、聞いてなかったよね。だってりっちゃんは高遠瑠樺に夢中だったもん……めんどくさいこと言ってゴメン、責めてるわけじゃないの。おねえちゃんは神社の忌子(いみこ)。バイトの巫女さんじゃなくて、そういう資格? 持ってるんだって。うちには女しかいないから、おねえちゃんが跡継ぎなの。もしあたしが姉でおねえちゃんが妹でも、多分おねえちゃんになったと思う。おねえちゃんはそういうチカラがあったの。だからおじいちゃんは昔からおねえちゃんに仕事手伝わせてた。みんなおねえちゃんに期待してて──あたしも真似して色んなことやったけど、ダメだった。みんなに見てほしかったんだけどね。あ、ごめんごめん、高遠瑠樺の話だっけ。

あたし知ってたの。腹磯の子はカミサマとか言ったけど、違うの。アレは良くないものなんだ。おじいちゃんに腹磯の子とそれに魅入られた子に近付いたらダメだって言われてたのはほんと。あたしもりっちゃんに近付かないようにしようと思ってたけど、おねえちゃんと違ってあたしには何もできないし、りっちゃんのこと好きになっちゃったから。アレがりっちゃんと過ごす時間をちょっとでも、ほんのちょっとでも減らせたら、何か変わるんじゃないかって。でもダメだった。りっちゃんはアレに夢中になっちゃった。りっちゃん、あたしは礼本さんのこと大嫌いだけど、礼本さんが言ってたことはほんとだと思う。りっちゃんはアレの顔と体が好きなだけ。好きだからなんでも良いふうに見えるの。ごめん、怒らないで。あたしとおねえちゃんと礼本さん、三人だけが、りっちゃんに生きて欲しいと思ってるんだよ、この村で。おじいちゃんも、この村の人もみんな、いつもみたいによそ者が連れていかれて終わりがいいって思ってるんだから。礼本さんのときはね、礼本さんの代わりに三谷さんっていう若い男の人が連れていかれた。

おねえちゃんだけはおかしいって言ってる。何も知らないよその人にこんなの押し付けるのはおかしいって。生贄(いけにえ)みたいなのは変だって。それでずっと準備してた。だからおねえちゃんに任せれば大丈夫。もうりっちゃんの家族のとこにも行って説明してると思う。だいじょぶだよお、家族は絶対信じてくれる。お父さんは元からこの辺の人でしょ。それにおねえちゃんコワイでしょ。なんか言い返せない感じ。だからおねえちゃんの言う通りにしてくれるはず。お願い、りっちゃんもそうして。

あたしは村の誰かがりっちゃんの代わりに死ねばいいのにって思ってるよ、そんなの当たり前でしょ。こんな村大っ嫌い。早くなくなればいい。みんなあたしのことやらしい目で見て、あたしのことヤリマンって呼んで、それであたしもそうするしかなくて、大っ嫌い、ここの男なんて全員死ねばいい! ……ありがとう、慰めてくれるんだね。やっぱりっちゃん、優しい。好き。

へへ、ごめん、ちゅーしちゃった。嫌だよね。分かってる。いまりっちゃんはアレ以外欲しくないもんね。今だって全然、あたしの言うこと聞いてないでしょ。信じてないでしょ。りっちゃんはアレが一番だし、アレのことしか考えてないもんね。アレとえっちしたいんだもんね。きっと何かあったらあっちを取る。あっちに行っちゃう。おねえちゃんが「死にますよ」って言っても、りっちゃんはアレと死んでもいいって思ってるから、何とも思ってないでしょ。このまま無視しようって思ってる。あたしは、ううん、あたしだけじゃない、アレ以外のみんなは、りっちゃんにとってどっかに消えて欲しい邪魔なものなんだよね。分かってる。だから──

薄れゆく意識の中で杏子の艶めいた唇が動くのを見た。

      ね む っ て て

(つづく)

関連書籍

芦花公園『パライソのどん底』

男の首筋に浮き出す血管を数えたことも、くっきりとした白い喉仏に噛みつきたいと思ったこともなかった。“美しすぎる彼”に出会うまでは――。 それぞれの“欲望”と、それぞれの“絶望”が絡まり合い、衝撃の結末へ。

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パライソのどん底

男の首筋に浮き出す血管を数えたことも、くっきりとした白い喉仏に噛みつきたいと思ったこともなかった。“美しすぎる彼”に出会うまでは――。それぞれの“欲望”と、それぞれの“絶望”が絡まり合い、衝撃の結末へ。
「ベストホラー2022《国内部門》」(ツイッター読者投稿企画)で1位・2位を独占した芦花公園による、切なさも怖さも底無しの、BL系ホラー!

*   *   *

“絶対に口にしてはいけない禁忌”を抱えた村に、転校生・高遠瑠樺がやってくる。彼のあまりの美しさに、息を呑む相馬律。だが、他の誰も、彼に近づこうとしない。そして、律だけに訪れる、死にたいほどの快楽……。
ある日、律の家の玄関が、狂い咲きした花で埋め尽くされる。すると、”花の意味”を知る、神社の“忌子”から、「アレに魅入られると、死にますよ」と告げられる―ー。

この村で、住民がひた隠しにする「伝承(ひみつ)」とは?
俺の心と体を支配し、おかしくした、「存在(アレ)」の正体とは?

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芦花公園 小説家

東京都生まれ。小説投稿サイト「カクヨム」に掲載し、Twitterなどで話題になった「ほねがらみ―某所怪談レポート―」を書籍化した『ほねがらみ』にてデビュー、ホラー界の新星として、たちまち注目を集める。その他の著書に『異端の祝祭』『漆黒の慕情』『聖者の落角』の「佐々木事務所」シリーズ(角川ホラー文庫)、『とらすの子』(東京創元社)、『パライソのどん底』(幻冬舎)ほか。「ベストホラー2022《国内部門》」(ツイッター読者投票企画)で1位・2位を独占し、話題を攫った、今最も注目の作家。

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