鈴木綾→ひらりさ
りさへ
イスタンブール空港からこんにちは!
トリエステに行ってきたところで、乗り換えで4時間ここにいる。今回は旅行ではなくて、仕事をしながら滞在していた。うちの会社の給料はそれほど高くないが、スタートアップらしい福利厚生を手厚く提供している。就業規則上、年に最大4週間リモートワークでき、世界のどこででも仕事していい。部下たちがこういう福利厚生をちゃんと活用するために、管理職が自分の行動で手本を示さなければいけないのが今回の旅のきっかけ。
すごく贅沢に聞こえちゃうかもしれないけど、実はリモートワークは結構ハードだね。昼間は外で遊びたいのにホテルに閉じこもって普通に仕事をしなければいけない。夜になってやっと解放されると疲れている!
ご存じかと思うけど、トリエステは文学の街。アドリア海の一番奥にあり、歴史上何回もイタリアやオーストリア・ハンガリー帝国などに支配され占拠されていた。独立していた時期もあったけど、スロベニアやクロアチアに近いこともあって、さまざまな人々が住んで、他のところに居場所がなかった人が集まった「亡命者の街」となっている。
過去に、文学者もたくさん集まった。一番有名なのは、ジェイムズ・ジョイスだろう。15年もこの街の中で過ごした。
海からの強風――この街は強風で有名。「ボーラ(Bora)」という名前がついてる――に吹き飛ばされそうになりながら港を歩いて、あの海の景色を見たら絶対文章を書きたくなると今回思った。
りさにもね、きっとこういう「執筆家の聖地体験」みたいなのがあるだろう。今度その話聞かせて。
質問に答える前に、まずは「オート(自己)エスノグラフィー」の話がしたい。りさの本を読んだ時、まさにそういうことだと思った。
女性は歴史の記録から排除されてきた。100年前、500年前、1000年前の女性たちがどんな希望や悩みを抱えたり、どんな生き方をしていたかについて、私たちの知識は穴だらけ。
だから女性の話が後に残るような形で、そしてより多くの人たちが簡単に手に入る形で存在することは社会にとって大きな意味を持っていると思う。BLもそうだけど、多様な物語、多様な視点が世の中で公開されていることが、私たちが「固められている」ように感じるアイデンティティから解放させる機会を与えてくれる。
雑談だけど、周りにセラピストのカウンセリングを受けている人が多い。私はもちろん悩み事があるけど、一度もセラピストを必要だと思ったことがない。それは、自分のことを常に分析していて、「オートエスノグラフィー」的な文章で向き合っているからだと思う。日々の執筆が自己意識を支えているので、書くたびに自分のアイデンティティにもう一つの石を積み重ねているような気がする(また自己肯定感の話に戻ってしまったね)。
「オートエスノグラフィー」の話を、りさが本で取り上げた、切り裂きジャックの話と結びつけたいと思う。りさはロンドンに来てワクワクして切り裂きジャックのツアーに参加したけど、女性が何人殺されたかとかどんな殺され方したのかとか話を聞くのにつれて、自分の見解が変わったことを鮮明に描いている。むしろ、切り裂きジャックは立派なミソジニーで女性に対する暴力を美化する都市伝説じゃないか、ということに気づく。
イギリスでも同じ「歴史の見直し」が行われている。切り裂きジャックの名前を使ったお店ができた時、地元の人が怒ってデモを起こしたほどだ。また、2019年に「The Five」という、切り裂きジャックの5人の被害者の話を語る本がかなり反響を呼んだ。ポリー、アニー、エリザベス、キャサリン、メイリー・ジェイン。この5人が当時、もし自分の声で、自分の話を語るチャンスがあったら、「オートエスノグラフィー」を書く機会があったら、切り裂きジャックの都市伝説は変わっていたのだろうか。でも、それは無理だったね。被害者の女性たちは売春婦だったり、社会にしてみると人間以下の存在だった。話す権利がなかった。
断片だけの、二重三重に間接的な方法で手に入れた情報しか残らない現代にならないと語られ始めることができなかったというのは残念だと思う。
この話は日本でまだあまり知られていないので、りさが本で紹介したのはとても嬉しかった。
長くなってしまいました。質問に答えます。
綾はロンドンで英語を使って暮らしながら、第一言語ではない日本語で文章を書いている。日本語で文章を書き、伝えることは、綾自身にどんな影響を及ぼしている?
難しい質問ですね。自分がなぜ日本語で書いているかについてはよく考えたことがあるが、日本語で書くことが私に及ぼす影響までは考えていなかった。
一つ、とても具体的な影響をいうと、日本語で書いてなかったら絶対に知り合ってない人を知り合った。りさもその一人!
友達――日本人も外国人も――にあまり自分の執筆活動について話していない。知らない人もいる。顔を出したくないのが一つの理由だね。でも、去年本を出したのをきっかけに、アイデンティティは特定の人にはバレてもいいか、と態度を変えて日本人のライターと交流するようになった。
とても心強かった。ずっと金融業界で働いていた私が、やっと脳の構造が同じ人間たちと交流できて、カラカラに乾いていた私の心にとって恵みの水になった。それから、他のライターともっと交流したくなった。こういうexchangeは次の作品のインスピレーションになるし、想像力も刺激される。素晴らしい友達ができたのは一つの影響だね。そして、自分は一人でライターになれない。寂しすぎるので。やっぱりコミュニティが必要だ。
もう一つの影響は、違う自分を見ることができる。脳の違う部分を。
アメリカの著名な作家ジュンパ・ラヒリは複数の英語小説を出してピューリッツァー賞を取ったけど、44歳の時にイタリアに引っ越してイタリア語で書くことにした。全然流暢に話せなかったのに。彼女はあえて、もう英語で書いていない。イタリア語で書き始める前はフィクションの話ばかり書いていたけど、イタリア語で書くようになってことで「自分の話」を書く勇気を見つけた、と彼女は書いている。
作家ラヒリの元同僚である人が彼女の文章について面白いことをいっている。英語の文章で特徴的な「細かい描写」はイタリア語の文章にない。
「英語で書くラヒリは目。イタリア語で書くラヒリは耳」とこの元同僚が二つの言語の違いを特徴づける。
きっと私の日本語の文章と他の言語の文章はそれなりに違っていると思う。他言語と日本語の構造的な違い、表現技法の違いは思考の違いを産んで、複眼的な思考が可能になる。だから日本語で書く時に使う脳、英語で書く時に使う脳、他の言語で書く時に使う脳は全部違う。
それぞれの「OS」から何が産まれるか、これが多言語で書く醍醐味だね。
「オートエスノグラフィー」の話に戻るけど、りさは自分の話だけではなく、同人誌や今までの本や研究を通じてもっと幅広い「女性のエスノグラフィー」、一貫性のある女性についての作品群を作っているような気がする。短かったけど、この文通連載もその一部に入るね。
りさが一生を通じて書き続けることに、時々でいいから何かの形で貢献できたら、とても嬉しい。
では、次会える日まで〜。
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社会を取り巻くバイナリー(二元論)な価値観を超えて、「それでも女をやっていく」ための往復書簡。