デビュー以来、アイドルグループのメンバー、母と娘、女友達など、さまざまな女性同士の関係を描いてきた真下みことさん。最新作の『わたしの結び目』では、中学二年生の女の子二人の、いびつな友情を描きました。
友情が恋愛よりも軽んじられてしまうのはなぜか、という違和感が作品の出発点だという本作。第一章の試し読みをお届けします。
第一章
1
「生徒達に小林さんのことを話してから呼ぶから、ちょっとここで待っていてね」
佐藤先生に笑顔で告げられ、私は黙って頷いた。先生に色々と言いたいことはあった。生徒達という言葉に自分は含まれていないのだとか、スペシャルゲストの登場とばかりに遅れて教室に入りたくないだとか、制服の着方はこれで合っているのかだとか。しかしここでごねていても仕方がないし、何より先生は忙しそうだった。
ドアが一度閉じ、クラスが緩やかに静かになる。サトセン、転校生来るんでしょ。え、なんでもう知ってるのよ。職員室にスパイ送っといた。は、ちげーし俺はスパイとかじゃなくて日誌取りに行ったら聞こえただけだし。ちょっともう静かにしてよー。
こんな盛り上がりの中、どんな顔をして入ればいいのかわからない。私は中学二年にもなって初めての転校で、いや転校をしたことがある人の方が少数派だとは思うのだけど、とにかく緊張していた。この学校で、うまくやっていけるのだろうか。前の学校のことを思い出すと、やはりどこか心配だった。
目線を上げると、二年B組という表札があった。この学校は一年生が四階、二年生が三階、三年生が二階という造りらしい。前の学校は一年生が一階、二年生が二階と学年数がそのまま階数になるから覚えやすかったのに、また覚え直さないといけない。現時点でわかっていることを復習してみる。出席番号は最後尾の三十七番、担任は佐藤先生。全てが前の学校と違って、だから私は前の学校で起きたことは忘れなければいけない。昔の記憶を手放さないと、新しいことも覚えられない。
「小林さん、入って」
ドアを開けた佐藤先生に促され、私は鞄を両手で持ったまま歩く。クラスの子達がみんな、私を見ている。
「今日からみんなの仲間になる、小林里香さんです。自己紹介してくれる?」
「小林里香です。前の学校ではテニス部に入っていました。よろしくお願いします」
頭を下げると、もう上げたくないと思ってしまった。そんなに可愛い子ではなかったとでも言いたげな男子のテンションの下がり方と、この子はどのグループに入るんだろうというような女子の鋭い目線に、もう耐えられない気分だった。前の学校で学級委員をやっていたなんて、こんな空気で言えるわけがない。
「じゃあ小林さん、窓際の一番後ろに」
はい、と小さい声で答え、私はできるだけ目立たないよう、だけど卑屈に見えないように背筋は伸ばして席についた。机の中は空っぽで、汗ばんだ手を入れるとひんやりと冷たい。
佐藤先生は金曜日の六時間目は全校集会があることなどを連絡し、みんな小林さんと仲良くしてあげてね、と言い残して職員室に帰った。
みんな思い思いの友達のところに話しかけにいき、私はなんとなく時間を持て余してしまった。先生には、職員室という帰る場所があって羨ましい。
まだ教科書が来ていなかったので、今日は全部の先生にそのことを言わないといけない。隣の男子は明らかに怖い雰囲気で、この人に教科書を見せてもらわないといけないなんて、憂鬱以外の何物でもなかった。変なことをしたら殴られそうだ。
事前に買っておいたノートと、前の学校から使っていた筆箱を机の上に出し、筆箱の中身を整理するふりをしてみる。一時間目の社会の先生が来たのでみんなは方々に散って、私は先生に教科書がないということを打ち明けに教卓の方に歩み出た。
隣の席の彼は森くんという人で、教科書を見せてやれと先生に言われるたびにものすごく嫌がって舌打ちしてきた。ごめんなさいと心の中で謝りながら見せてもらうと、そこらじゅうに落書きがしてあった。それを見ても笑うことはできず、なんだかこれからこのクラスで過ごす実感が全くない。夢を見ているような感覚だ。
二学期の途中での転校にお母さんは反対していたのだと、引っ越しの車の中で話していた。私と弟の初めての転校が心配だと言っていたけれど、実際のところお母さんは前のマンションを気に入っていたのだと思う。お父さんも会社に掛け合ってみると言ってくれたらしいが、結局は仕事の都合なのだからと引っ越すことになってしまった。引っ越せばお父さんは出世できるので、引っ越し先のマンションの部屋は前よりも広いし、お母さんはパートで必死に働かなくてもよくなるらしい。私は正直、前の学校から逃げたいと思っていたし、弟と一緒の子供部屋ではなく自分の勉強机を置けるひとり部屋をもらえたので、引っ越しをして良かった。
給食の班はちょうど六人ずつの六班で、机をくっつけたときに隣になった斎藤さんという女の子がよく話しかけてくれた。斎藤さんはおそらくこのクラスの女子の中では結構上の立場だ。二つ結びにしたセミロングは嫌味な感じはしないけれど、このクラスで二つ結びをしているのは彼女くらいだと思う。
「名前、里香ちゃんだよね? 最初にちゃん付けすると呼び捨てにするの戸惑うから、もう里香でいい?」
「うん、斎藤さんは」
「葵。アオって呼ぶ子もいる。四班の瑠奈とか」
「瑠奈、ちゃん?」
指差す方向を見ると、ショートカットで目が大きく、少しつり目気味の気の強そうな女の子がいた。
「瑠奈は女バスのエースなんだよ。瑠奈ー」
友達を紹介するふりをして、この子はさりげなく自分がこのクラスでどのような立場であるか示しているのだ。きっと彼女はクラスの中心人物で、だから給食の時間でも自由に他の班の子と会話しても許されている。転校初日はどのグループに入るかを考える前にどんなグループがあるのかを把握しないといけないのでありがたかった。このクラスの中心は誰なのか、浮いている子はいるのか。知りたいことはたくさんある。
「何、呼んだ?」
瑠奈という女の子が頭を傾げてこちらを見た。
「女バスのエース紹介してた」
「うちじゃん」
「そーゆーこと」
二人の会話に入っていけず、私は薄く笑っておいた。葵ちゃんは瑠奈ちゃんと目を合わせるのをやめて私に顔を向ける。
「小林さん、じゃなくて里香は、部活どうするの?」
「うーん、やっぱりテニス部かなって」
「うち女テニしかないよ」
「あ、私も女テニだったの」
「え、そうなの? じゃあもう女テニじゃん。桃子ー!」
葵ちゃんが教室の前の方に声をかける。班の人以外との会話を担任はどう思うんだろうと佐藤先生の顔を盗み見ると、彼女は心ここにあらずといった様子で黙々とジャージャー麺を啜っている。
「どしたー?」
桃子と呼ばれた女の子がこちらを向いた。
「里香ちゃん、じゃなくて里香、女テニ入りたいって!」
「いや、入りたいっていうか……」
「前衛? 後衛?」
「わかんない!」
「それくらい聞いとけよー。……え、何?」
桃子という子は自分の班の会話に戻っていったので、私達も班の会話に戻る。森くんはジャージャー麺をおかわりしに行き、その様子を大食いみたいだと葵ちゃんに揶揄われていた。
「昼休み、うちらはピロティでダベってることが多いかな」
急に昼休みの話になり、そうなんだーと適当に相槌を打った。できるだけ早く、他のグループの様子も見ないといけない。
「昼休みは佐藤先生に色々プリントもらわなきゃっぽくて」
「そっかそっか。ま、うちはいつでも大歓迎だから」
明るく笑う葵ちゃんにありがとうと言って、前の学校のよりも硬いゼリーを、嚙まずに喉に流し込んだ。