東京医大の不正入試をスクープとして報じた記者。澤康臣さんの取材に応じて、スクープの裏側を明かしてくれましたが、絶対に話してくれなかったことがあります。それは……。澤康臣さん新刊『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方』から抜粋してお届けします。
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「そこは言えない。『関係者』です」
渡辺は関係者を徹底的に回ったと話していた。文科省、大学、仲介者などを……。
「そうですね、しらみつぶしに。裏口入学の実態を探ろうと」
ところが、その中で裏口入学とは別の情報が出てきた。
「ある日……『いや、実はもっと大学にとって重大な話があるんですよ』とボソッと言われたことから始まるんです」
どういう人に言われたのですか。私は聞かずにいられない。
「そこは言えない、『関係者』です」
市民にとって大切な真実でも、部外秘ということもある。それを話せばルール違反として処罰や懲戒を受ける。真実を市民へ知らせようと、危険を冒して記者に情報提供した人を、記者は守る義務がある。秘密情報源の保護義務だ。
ここで少し、ニュースの情報源や出典について説明する必要がある。
本来、ニュース記事は出典を明示することが大原則だ。「……と、法務省の山田ゆりか刑事課長が述べた」「西東京電力の小林三十郎常務は、……と明らかにした」「事故を目撃した川崎市の会社員鈴木朝香さん(35)は、……と証言した」というようにはっきりさせる。それにより、出元の明らかな、信頼できる情報として市民に堂々と届けられる。
だが、危険を冒して情報を提供してくれた人の場合は特別な例外だ。市民に真実を知ってもらおうと、メディアに内密に情報提供したところ、露見してひどい目に遭ったとなると、メディアを通じて市民に情報を提供する人はいなくなる。
そうなれば市民に流れる情報が細ってしまう。それを防ぐ責務が記者にはある。だから、原則は出典明示だが、例外として、記者は秘密情報源を必ず保護しなければならない。
そして、保護するなら徹底的に保護する。
場合によっては、記者が情報源について口を閉ざすことが法律に違反する恐れもある。例えば、裁判の証人として法廷に呼び出され、この記事の情報源は誰かと尋問された場合だ。法律では、裁判の証人は何も隠してはならない。これに従うなら、情報源を隠し守る記者の倫理には従えなくなる。
取材源についての証言拒否、最高裁の判断は?
2005年、この矛盾に立たされたのがNHKの記者だった熊田安伸だ。熊田はその8年前、あるアメリカ系食品会社が日本で税務当局から所得隠しを指摘されたとNHKニュースで報道した。
その後、この食品会社のアメリカでの関連会社がアメリカ政府相手の裁判をアメリカで起こし、そこで熊田が「誰がこのニュースの情報源か」について証言を求められる。ただしこの証人尋問は熊田をアメリカの裁判所に呼び出すのではなく、日本の裁判所(当時熊田が勤めていた新潟の、新潟地方裁判所)で日本のルールに基づいて行うことになった。
証人は知っていることを隠してはならないが、例外として「職業の秘密」に限っては隠すことが認められる。果たしてニュースの情報源は記者という職業の秘密と認められるか。
熊田が情報源について証言拒否を貫いたとして、裁判所が「こんなものは職業の秘密といえない」と判断すれば、正当な理由のない証言拒否ということになり、熊田は法律に違反したとして収監される恐れも出てくる。
熊田は証言を拒否した。裁判所はこの拒否が認められるかどうか審理し、翌年日本の最高裁判所は「取材源の秘密は職業の秘密に当たる」という、最高裁として初の判断を示した。これにより記者は原則として、取材源について証言を拒絶できる権利が得られたことになる。
こんな争いを構える必要があるほどに、秘密情報源の保護は大切な問題になる。
熊田に、この経過について尋ねてみた。
「実はこのとき、会社の弁護士や法務担当とすごく話した。どんな展開があってもおかしくない、裁判に協力するという意味で名前は言えなくても所属や肩書ぐらい言ってもいいのではという見方もあった。でも、考えてほしい。それも名前を言うのも(取材源を守っていないという意味では)同じこと」
確かに、どんな組織に所属する人かが裁判で明言されれば、その組織内で話題になる。話題になれば、そこで誰なのかの推測や調査が始まり、ついには露見することも十分あり得る。小さな穴からダムが決壊するように、秘密情報源が明らかになってしまう危険がある。
「どんな所属か肩書かを明らかにしたその瞬間に、取材先との信頼感は瓦解したも同然です。信頼関係という最高の倫理から考えたら、僕が収監されようと何だろうと言えません」
「重大な話」をつかんでも、大変なのはそれから
秘密情報源を確実に保護することの大切さは、どんな取材でも、東京医大不正入試の取材でも同じ。だからこの報道を担った読売新聞記者の渡辺も、秘密情報源に通じる話題には絶対に乗ろうとしない。「そこは言えない、『関係者』です」。全くぶれない。そのためどんな人が取材に協力したかは分からない。
でも、誰だか分からないその人はどうして「もっと大学にとって重大な話がある」などということを口にしてしまうのだろう。
「その人自身、かなり問題意識を持っていて、何とかしなければいけないと思ったのか、あとは記者の熱意に共感してくれたのか、たまたまそういう心境になったときに記者がそこにいたのか。そこは分からないですけど……でもそういうタイミングもこまめに回っていない限りはつかめない。多くの人にどれだけ回数を回るかはすごく大事」
最初は邪険に扱われる。それなのに二度三度と足を運ぶ。タフさが求められそうだ。
「それは僕らにとって普通のことで、一回断られてもこの人は脈がありそうだなと思えば何度も行きます。逆に、けんもほろろなところに通い詰めてもしょうがない」
そうするうちに不思議な、つい言いたくなる瞬間が来たということだろう。「もっと重大な話」を……。
「それは何ですかと記者が言ったとき、女性差別の存在をほのめかした。もっと詳しく聞こうとしていきますが、そこは簡単にしゃべるわけではない」
それはそうだ。むしろ「記者に口を滑らせてしまった」と後悔したかもしれない。
「だから、そこからまた通い詰めると同時に、別のところにも取材をかける」
そう簡単ではないように思える。だが、明確に調べ、かつ、裏付けを取らなければ報道はできない。
「かなり厳しかったですね」
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事実はどこにあるのか
デジタル情報の総量はこの20年で1万6000倍になったが、権力者に都合の悪い事実は隠され、SNS上にはデマや誤情報が氾濫する。私たちが民主主義の「お客様」でなく「運営者」として、社会問題を議論し、解決するのに必要な情報を得るのは、難しくなる一方だ。記者はどうやって権力の不正に迫るのか。SNSと報道メディアは何が違うのか。事件・事故報道に、実名は必要なのか。ジャーナリズムのあり方を、現場の声を踏まえてリアルに解説。ニュースの見方が深まり、重要な情報を見極められるようになる一冊。