デビュー以来、夫婦・家族の不思議をテーマに書き続けてきた樋口卓治さんの最新作は、樹木希林さん・内田裕也さんが実名で登場する、こんなお話。〈売れない脚本家・三林草生介(みつばやしそうすけ)は、人気大物監督に頼まれ、樹林・裕也夫婦を主人公にしたホームドラマの脚本を書くことに。ホームドラマとは一番かけはなれた二人に手こずり、執筆は難渋。なんとか書き上げた第一稿に全否定のダメ出しを喰らい、打ちひしがれた草生介が街をさまよっていると……〉。小説『危険なふたり』から、一部抜粋してお届けします。
* * *
草生介はあてもなく歩き続けていた。
行き先など考えず、むしろ迷子になりたいと知らない道へ歩を進めた。
太陽が雲に隠され風が出てきた。ひっきりなしに風が吹くので耳が痛くなる。流れる雲を見上げ、真っ白い息を一つ吐いた。
歩いても気持ちは癒えなかった。
入り組んだ道をくねくね、緩やかな坂道をだらだら、ひたすら歩き続けた。
ここはどの辺りだろう。スマホで調べる気にもなれなかった。
辺りは丘陵地になっていた。
大通りにはオフィスビルが建ち並んでいるが、一つ奥の道に入ると大使館、古い洋館、大きな邸宅が並んでいた。
都会の喧騒は消え、人通りも少ない。
そういえばこの辺りに希林の家があったはずだ。
也哉子さんと本木雅弘さんに子どもができた頃、希林は二世帯住宅を建てた。不動産が好きだった希林は、地価の高騰が収まった一番いいタイミングで買ったという。
散歩の最後にその家でも眺めて帰ろうと思った。
草生介は路地に入り、家並みを眺めながら探した。入り組んだ道をうろうろしていたらそれらしき家があった。ここか、と見上げた。
希林はこの土地に立った時、何を感じてここを住処(すみか)としたのだろう。裕也が酔って夜中にやってきたのもこの家だ。
家の塀を触ると冷たかった。裕也もこの冷たさを感じたのだろうか。
草生介が引き返そうとすると、勝手口の格子戸が少しだけ開いていた。
「……」
覗いてみると、その先は薄暗かった。
風が静かに通り抜けるような不思議な空間だった。
草生介は足を踏み入れた。
玄関に続く小道に飛石が並び、周りに苔が生えていた。
玄関のドアノブを回すと、開いた。
「ごめんください」
奥からは返答はなかった。
「誰かいますか」
やはり返答はなかった。
ふすまに木漏れ日が揺れていた。ふすまに描かれていたのは枯れた蓮だった。
リビングに足を踏み入れた。気忙しい日常を感じさせない整理された空間。
静かだった。窓から苔むした庭が見えた。古木が数本立っている。都会の真ん中とは思えない風情だった。
奥へ行くと、マリア像のステンドグラスがはめられたドアがあった。希林が裕也のために作った部屋だ。懺悔(ざんげ)室のようにも見えた。
別のフロアに行くと、少し広めの応接室があった。ここは記者会見用の部屋だ。裕也が何かやらかす度、ここで希林はリポーターたちに向かって話をした。謝罪を求めるというより、人気の尼さんの法話を聞きに来ているようだった。
希林の寝室を覗いた。
枕元の壁には額に入ったニューイヤーロックフェスティバルのポスターが飾ってあった。
渋谷西武劇場で行われた第一回のものだ。ちなみにデザインは横尾忠則だ。この音楽イベントは毎年年越しに開催され四五年以上続いている。夫婦の歴史はここから始まった。
日も暮れてきて、そろそろ出ようかと思った時だった。
「随分、淋しそうね」
誰かの声がした。
振り向くと、そこに立っていたのは希林だった。
* * *
この続きは小説『危険なふたり』でお楽しみください。
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