日本ではじめて「女性解放」の視点での心理療法、フェミニストカウンセリングを実践した河野貴代美さんが、後進のカウンセラー加藤伊都子さんとともにオンライン講座「人生100年時代の女性の生き直し方~生きづらさから生きやすさへ~」を9月16日(土)に開催します。心理的苦難を抱える女性たちに「苦しいのは、あなたが悪いのではない」と「語り」を促し、社会の変化を後押ししてきたフェミニストカウンセリングの活動を河野さんの著書『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』よりご紹介します。
フェミニストカウンセリングが扱う問題
身体の病いは、身体そのものが損なわれます。一方、精神的問題は、間接的に身体が損なわれることがあるものの、医学的にどのように損なわれているかが判明していません。
たとえば心身にまたがる心身症の場合、患者さんは身体のどこそこが痛いと訴えて、整形外科などに行きますが、現在の検査方法ではどこにも悪い所見は見られないといわれます。
あるクライエントは、風邪の後、熱が下がらないと訴え、幾度も医者に行きましたが、熱はないといわれる。でも(心臓をおさえて)ここの深いところに熱があるんですよ、と私にはいいます。熱があるのは自分にしかわからない、医者にはわからないのだ、といい張って医者と喧嘩したといいます。熱が本当にあるかどうかは誰にもわかりません。
拒食症は、完全に身体の問題になり、それが原因で、場合によってはカレン・カーペンターのように死に至りますが、それは意図的な拒食によって生じた身体問題であり、意図的な拒食は心理問題です。
アルコールや麻薬依存症も「精神障がい」として位置づけられていますが、これほど曖昧な境界もありません。
私の知人の男性には、現役時代、終業後毎日飲酒し、時には、終着駅まで行ってしまい、駅で始発を待ったとか、カバンをどこかに置き忘れて、入っていた相当額の現金を失くしたとか、何かにぶつかったのか血だらけで帰宅したとか、限りないエピソードがあります。でも翌日は会社に出かけ、相当な地位まで行ったとか。
私はその人の妻に相談されて、アルコール依存に近いねえ、とはいいましたが、彼がボロボロになる(この表現が正しいかどうか)のは飲んでいる時のみ。お酒が好き以上の、彼にはそうするべき理由があるのだろうと思ってきました。結局私は彼にも妻にも何もできませんでした。退職した今も彼は元気で、でも昔ほど酔いつぶれはしないものの、毎日三度の食事でも飲みたいのだそうです。
また、物故した私の親友は、いろいろな恐怖症のある人でした。たとえば高速道路での下り坂は、急坂であればあるほど前のめりで車が前方にひっくり返ってしまうのではないかと恐れ、極端にスピードを緩めましたし、高所恐怖もありました。もちろん普通に暮らしていて決して変わった人ではありませんでした。
私がいいたいのは、誰でも何かへの依存傾向やフォビア(恐怖症)を持っているということです。「神経症」にしても。あるのは、基準ではなくて、その程度の差――本人や家族がどう困っているか――だと考えています。
すなわち私にとってもフェミニストカウンセリングにとっても、カウンセリングとは、症状や問題が何かよりも、まず、その女性の訴えを真摯に受け止め(こんなつまらないことで来るのは恥ずかしい、とクライエントはいいますが、でもそれはあなたにとって大事なことなのでしょう、と返します)、彼女を丸ごと理解することであり、彼女のエンパワーメントを促進することです。そして究極的には、自分であっていいという状態を自己受容できるように、この性差別的社会構造においていかに助けられるかが重要です。
そんな曖昧な考えでは、誰が「正常」で誰が「異常」かの境界のない、混乱社会(仕切りのない社会)になるのではないか、との反論があるかもしれません。精神科クリニックの戸を叩くのも、フェミニストカウンセリングを訪れるのも、本人が困っているとか、周りが迷惑しているとか、それのみが基準だと考えています。私はそれでいいのではないかと思います。しかしいくら周りが困っていても、本人が来所したい(するべき)と思わなければ、どうしようもありません。本人にとっても周囲の人たちにとっても「困った人」をも包摂しての社会ですから。
私はかねがね人間の「過剰さ」を考えてきました。「過剰さ」は、脳の作り出したものだ、と脳科学者ならいうでしょうか。コンピューター科学は、脳機能を拡張し、車は足の延長になり、飛ぶ羽を持たない私たちは、飛行機を持ちました。
最近、著名な僧侶であり作家である女性が相当な高齢で亡くなりました。活動は膨大に広がり、死ぬまで書いていたいとおっしゃったそうです。友人の一人は、彼女を「欲の深い人だ」と称しました。良し悪しの判断としてではないので、どうか誤解しないでください。なるほど、そういえるのか、と。動物を私たちが愛でるのは、多分彼らには、彼らの「存在的節度」とでもいいうる本能があり、それをいとおしいと思うとすれば、彼らへの私たちの愛もそのあたりにあるような気もします。
人の仕事の多くが、やがてはAIに取って代わられるとして、地球を捨てて他の星に移住することを目論むとすれば、人間とは「何」であって、どこに行こうとしているのでしょうか。
「人間は人類という厄介なものを抱え持っている」といったのは哲学者ハンナ・アレントでした(志水速雄訳『人間の条件』ちくま学芸文庫 1994)。
哲学者ではない私には、人間存在の根本は混沌としているとしかいいようがありません。
河野貴代美さん×上野千鶴子さんオンライン講座
「おひとりさまの老後を生きる」
開催日時:2023年12月11日(月)19時~21時
場所:Zoomウェビナー
2024年1月8日(月)23時59分まで視聴可能なアーカイブを販売中です。詳細は、幻冬舎大学のページをご覧ください。
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2023年3月8日発売『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』について