東京医大の不正入試のように、特ダネになりそうな「重大な話」をつかんでも、そこから「報道」までは長い道のりです。記者はなぜそんな骨の折れる仕事をするのか? ボーナスをもらえるからでしょうか? 澤康臣さん『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方』の試し読み、最終回です。
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記者になった以上、特ダネを書いて世の中を変えたい
取材班は、裏付けを証言だけに頼らず、データでも確認しようとした。例えば、医学部入試で男性女性の合格率に差があるか。男女別の合格者数は公表している大学が多い。これを調べようとした。
「10年分のデータを入手しました。そのデータを見ると、明確に男女で合格率の差がありました」
女子受験生の合格率が明確に低い。これは普通ではない。他の事情もあるのかもしれないが、検討する材料の一つにはなる。
「女子を差別しているという話なのに、女子の合格率が高かったら証言の信憑性が低くなりますから。でもそれだけでは不十分で、複数から同じような話を聞く必要がありました」
一人の証言でも大変なのに、複数から取るのはもっと大変だろう。
「大変ですね。最初はうそをつかれます。『そんなものはない』『知らない』と。でも一回断られても何度も行くということは、我々は日常的にやっていることです。当たり前のことです」
テレビで見る記者会見のような公式取材とはまた別に、公式取材では明かされない事実を探る非公式の取材がある。取材にたくさんのやり方があってこそ、真実が分かってくる。とはいえ、骨の折れる仕事だ。精神的にきついはずだ。
「別に特ダネを書いたからといってボーナスがもらえるわけでもない。でも記者になったからにはやはり特ダネを書いて世の中を変えたいというのは、誰もが持っているモチベーションです」
新聞が報じなくてもSNSが暴露してくれる?
実際、女性差別入試が撤廃され、あってはならないという社会的合意ができた。ただ、この問題は何かの法律に違反していると言い切れるわけでもないのに、なぜ報道で取り上げる意味があるのだろうか。
「表向きは『入試は公正に、純粋に点数でやっています』と言っておきながら裏で操作しているのは、受験生に対する裏切り、社会に対する裏切りだと考えます。女子は一律減点されると知っていたらこの大学を受けていましたかと言ったら、受けていなかった人が少なからずいるはずです」
こんなことがむしろ明確な違法ではないなら、「そんな甘いルールでいいのか」をみんなで議論しなければまずい。必要なら法律やルールを変えないといけないし、変えるのは誰かといえば、社会の「運営側」である私たち市民、その世論。その私たちの議論の材料となる情報を、報道は提供することになる。
だが新聞が取り上げなくともSNSに投稿する人も出てくるのでは。ツイッターやティックトックにはいろいろ暴露話が出る。新聞記者が書く記事とは違うのか。
「思い上がりかもしれないですけど……やはり精度が違います。新聞はうわさ話を書いているのではなく、裏付けを取って書いている。誤報を出してしまったときに叩かれるのは仕方ない、そうならないように一生懸命、裏付けを取りながらやっているんです。その努力は、やはり新聞を中心とした紙メディアが一番やっているのではないでしょうか」
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この続きは『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方』でお読みください。
事実はどこにあるのか
デジタル情報の総量はこの20年で1万6000倍になったが、権力者に都合の悪い事実は隠され、SNS上にはデマや誤情報が氾濫する。私たちが民主主義の「お客様」でなく「運営者」として、社会問題を議論し、解決するのに必要な情報を得るのは、難しくなる一方だ。記者はどうやって権力の不正に迫るのか。SNSと報道メディアは何が違うのか。事件・事故報道に、実名は必要なのか。ジャーナリズムのあり方を、現場の声を踏まえてリアルに解説。ニュースの見方が深まり、重要な情報を見極められるようになる一冊。