がんばるのは悪、あきらめるのは善、「もっと」をやめよう——。過去を追わず、未来を願わず、今この瞬間の幸せを堪能できるヒントが詰まった『人生はあきらめるとうまくいく』(ひろさちや著、2012年刊)。静かに読み続けられている本書から、試し読みを抜粋してお届けします。
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私は「がんばる」という言葉を悪い言葉と思っている、と最初に申し上げました。私の子どもの頃は、「がんばる」をあまりよい意味ではつかわなかった。私は大阪生まれなのですが、「あの人、がんばってはるわぁ」と言うときには、ちょっと批判めいた意味が込められていました。がんばる必要ないのに、石頭でテコでも動かないように頑固だ、と。そんな非難を含めて「がんばる」をつかっていました。
辞書を引くと「がんばる」には三つの意味が出てきます。一つは、他人の意見を聞かずに、自分の意見を押し通すこと。我をはる、というのが語源です。自分が絶対正しいとがんばる人なんて、いい意味ではありませんね。
二つ目は、ある場所に座を占めて、少しも動こうとしないこと。立ち退のきを迫られたが、がんばっている、などとつかいます。
三つ目は、苦しさに負けずにがんばること、努力すること。今の時代は、この意味で「がんばる」をつかっているのでしょう。
でも、なぜ苦しいときに負けてはいけないのでしょうか?
たとえば、五、六人で山登りに出かけたとします。一人体調の悪い人がいて、「俺はもうしんどいからやめるよ」とつらそうにしていたとき、あなたならなんと答えますか?
「お前、もうすぐ頂上なんだから、がんばれよ」と言ってしまうのではないでしょうか。のぼったところで、たかが山の上です。私ならこう言います。
「ああそうか。それなら下山して、ビアホールでも行こうよ」
人はどうしても、頂上にたどり着く、という目標にこだわってしまう。がんばる生き方を選んでしまいます。「どうしてもつらい、もう嫌だ」と泣きださんばかりの相手にも、「じゃあ、お前だけおりろ。俺たちはまだがんばる」と突き放してしまう。こんなふうにつかわれる「がんばる」は、悪い意味だと思いませんか?
がんばるのはプロだけでいい
「がんばる」という言葉が日本で市民権を得たのは、一九三六(昭和十一)年に開催されたベルリンオリンピックのときだと言われています。「前畑がんばれ!」という実況中継といえば聞いたことがあるでしょう。
二百メートル平泳ぎに出場した前畑秀子選手が、日本人初の金メダル獲得をかけて、ドイツの選手と接戦になりました。興奮したNHKラジオのアナウンサー、河西三省さんが「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」と二十回以上連呼して、有名になったという一件です。それまでの明治、大正の時代には、「がんばる」という言葉に好印象はありませんでした。それがこの放送で一変したのです。
私は、熱烈なタイガースファンです。三振でもしようものなら「こらっ! もう、ひっこんどれ」と選手をボロカスに言います。ファンというものは、そういうふうにものを見ます。阪神ファンはとくに、阪神球団を俺たちのものだと思っていますからね。俺たちの思い通りにやらないのはけしからん。しかも選手はプロなのだから、がんばりにがんばらないといけない、と思っています。
でもアマチュアは違います。がんばる必要がちっともないのがアマチュアです。プロはがんばるのが当たり前。アマチュアはのんびりやればいい。あきらめは、のんびりの代名詞です。
ところが日本人は、アホみたいにみんながみんなプロ意識を持ってしまう。一番けしからんのは高校野球です。
私は新聞社の人にあうたびに、あんなものやめてしまえ、と言っています。なぜ日本一を目指さないといけないのか。高校生はアマチュアです。それなのに野球一本で生きていきます、と宣言するような子どもたちばかりになっている。グローブをはめて寝たり、バットを抱いて寝たりするのが美談になる。
一日二時間以上、野球の練習をするような学校は出場停止にすればいいのです。個人的に何をしても自由ですが、学校が団体の練習を二時間以上もするなんておかしい。
高校生は、野球のために生まれてきたわけではありません。ほかにもやることがたくさんあります。野球以外のスポーツもやるし、遊びもするし、読書も、勉強も、恋愛もしないといけません。ついでに、失恋だってしておかないといけない。大人になってから失恋すると目もあてられない。若いうちなら立派な美しい失恋ができます。十代のうちに、さまざまなことを体験する。それが人間です。
それなのに今の高校球児は、まるでプロの予備軍になっています。
練習するほど楽しみは奪われる
私はゴルフなどやりませんが、一生懸命ゴルフを練習している人を見るとアホかと思う。日本にはやたらとゴルフの練習場があります。プロは練習しなければいけませんが、アマチュアは練習などしてはいけない。そのあたりのけじめが、どうもみなさんわかっていないようです。極論を言えば、人間らしく生きられなくなります。
イギリス人は、日本人とゴルフをするのが嫌いだと聞いたことがあります。その理由がじつに頷(うなず)けるものでした。日本人とプレイしても楽しくないからです。
イギリス人はたしなみとしてゴルフを楽しみます。こちらは気楽にやっているのに、日本人はすぐ真剣になります。次にまわるときには、練習してくるから確実にうまくなっている。あいつと俺とはどっこいどっこいだと思って楽しんでいたのに、練習なんてしてきてけしからん、と怒るのです。
日本人には独特の恥の意識がありますから、余計にうまくならないといけないといって練習を重ねます。でも、下手を楽しむのがアマチュアの生き方。それこそがあきらめる生き方です。
最近はスポーツでも学業でも、どんどん専門的なトレーニングを低年齢で受けさせるようになっています。幼稚園にあがる前から、目標を決めて勉強をさせる。下手であること、できないことを楽しめない世の中になっています。
それはとても危険な世の中です。だからこそ「生き方」をかえる、意識改革が必要だと感じています。
人生はあきらめるとうまくいく
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