がんばるのは悪、あきらめるのは善、「もっと」をやめよう——。過去を追わず、未来を願わず、今この瞬間の幸せを堪能できるヒントが詰まった『人生はあきらめるとうまくいく』(ひろさちや著、2012年刊)。静かに読み続けられている本書から、試し読みを抜粋してお届けします。
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そのまんまでいい
私はいつも苦しくなったときには、こう唱えます。
「南無(なむ)そのまんま、そのまんま、南無そのまんま、そのまんま、南無そのまんま、そのまんま」
南無というのは南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の南無です。「帰依(きえ)します」という意味で、頭につけることで、阿弥陀仏に帰依します、身を委(ゆだ)ねます、という意味になります。
南無そのまんまは、あなたはそのまんまでいいですよ、ということです。私たちはそのまんまでしか生きられません。音痴の人は音痴のまんま。ひきこもりなら、ひきこもりのまんま。
頭の毛が薄くなっても、そのまんまです。かつらをつけてもいいけど、つけなくちゃいけないわけではないでしょう。なぜそれをあきらかにして、そのまんまを楽しめないのか。髪の毛が生えていたほうが見栄えがいいとか、より若く見られるとか、そうやってまわりを気にしてしまう。
何も若く見える必要はありません。歳をとって見られるほうが、いいことだってあります。
誰でも、そのまんまでしか生きられない。それがあきらめの境地です。そのまんまで、のんびり、ゆったり、楽しく生きていると、かわってくるものです。
ひきこもりの人間が楽しく、のんびり、ゆったりと生きていれば、ひきこもりをひょっとしたらやめられるようになるかもしれません。そのときには、俺はひきこもりをやめるもんか、とかたくなになる必要はありません。素直にやめればいいし、やめられなければ、もう少し続ければいい。それをなんとかしなくちゃいけないと、がんばるからかえってつらくなるのです。
なまけものにも存在価値がある
なまけものだって四六時中遊んでいるかと言ったら、ときには働いたりするでしょう。なまけものなりのゆるい努力でいいのです。
『働かないアリに意義がある』というおもしろい本があります。長谷川英祐さんという進化生物学者がお書きになった本です。巣のなかの働きアリの七割がなまけものだという話です。
アリが働き者だと思うのは、私たちが、エサを求めて歩き回っているアリばかりを見ているからで、全員ではないのです。多くのアリは何もしていません。なんと働きアリの二割は、生まれてから死ぬまでほとんど働かないそうです。
なまけているアリがエサを探しに行けば、効率よくエサを見つけられるでしょう。しかし、そうなると、エサ以外の突発的な出来事、巣が破壊されたりしたときに、余力がなくて、対応できなくなります。
余力のあるアリがいてくれるおかげで、アリは集団として成り立っている。
二割の死ぬまでほとんど働かないなまけものにも価値はあります。アリの卵は一時間くらいほうっておくと乾燥してしまうからです。アリは唾液を出して卵に潤いを与えています。極端ななまけもののアリまでが働きに出ていくと、唾液をつけるアリがいなくなってしまいます。
なまけものの人は、少しも卑下することはありません。「俺はほとけ様に頼まれて、なまけものをやっているんだ。お前たちを働き者にしてやっているんだ。俺に感謝しろ」と、このぐらいのことを思って、胸をはっていい。働き者は、なまけもののおかげで働くことができるのですから。
常に誰かとの関係性のなかで、役割を担っている。これを仏教では縁起(えんぎ)と呼んでいます。ご縁のなかで、おかげ様で生きている、と考えるのが、仏教的感覚なのです。
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人生に意味を求めず、あきらめてこそ、本当の幸福が手に入る。 お釈迦様の教えに基づいた、驚きの不安解消法!