新型コロナウイルス感染症が5類に移行して、“日常”を取り戻したと感じている方も多いのではないでしょうか。「この3年間、なんだったんだろう」と思いつつ。
藤井清美さんの書き下ろし小説『わたしにも、スターが殺せる』は、時代の気分を大きく左右したコロナ禍の大衆心理を生々しく炙り出すサスペンスです。
主人公は【M】という署名で書く、こたつライター・真生。年上の恋人・春希はいるものの、いまひとつ冴えない自分の生活に嫌気がさしている。そんな中、放浪癖があり、家族のはみ出し者だった姉・真理が、ひょんなことからテレビ出演し、『マリー』と名乗ってもてはやされることになる。入れ替わる姉妹の『順位』と、揺らぐプライド。
各章から一部引用をお届けします。
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2 #拡散希望
翔馬のプライベートを匂わせた【M】の記事が翔馬の反応を引き出した。Twitterのフォロワーが増えたことに気を良くする真生だったが、《翔馬は命》というアカウントからの不穏なリプライを発見する。
夕食は、二人で近所の焼き鳥屋に出かけた。飯田橋から神楽坂にかけては高級店が多いけど、中に時々、財布に優しい店がある。そしてそういう店も、この飲食店激戦区で生き残っているからには、味に間違いはない。
煙だらけの店で、「追加頼む?」「俺、ねぎまもう一本」と最小限の会話を交わしながら、わたしたちはスマホを見続けた。【M】が、翔馬との確執を感じさせる『父』の存在に触れたから、ファンは既に騒ぎ始めていた。でも、翔馬が反応しなければ、この波はすぐに収まってしまうだろう。この前のように。だから春希とわたしは、翔馬のTwitterとインスタを行き来して更新を待つ。ただ、待つ。 二杯目の生ビールを頼んだ直後、春希が「来た!」とスマホをこちらに見せた。
《なれそめとか、そういう個人的なこと、記者に話す『関係者』って何? 誰かが誰かを好きになるとき、どこに惹かれたかなんて話せるのは、本人だけじゃないかな? それを推測で記者に話すやつは信じられない。そして、それを勝手に記事にする人間も》
翔馬の反応を引き出せた!
喜びがビールの酔いを突き抜けて、わたしの体の隅々に行きわたる。
《信じられない》と責められようが、気にならない。いや、むしろいい。喜怒哀楽のどの感情であっても、より強い反応を引き出せれば成功だ。
ファンは、翔馬を怒らせた記事を読みたいと思う。そして、記事を読めば、感想をツイートする。TL に《鈴木翔馬》と《なれそめ》が溢れる。TL の波は、必ずわたしの同業者の目に留まる。そして、一時間後には誰かが【鈴木翔馬がTwitterでネット記事に激怒】と記事を書くだろう。ますます【M】の記事は広がる。
春希とジョッキをぶつけてから飲んだ二杯目のビールは、いつも飲んでいる発泡酒と違って、きめの細かい泡がシュワシュワした。店の熱気で温まった体に沁み渡って心地よい。
その日から五日間、【M】のTwitterのフォロワーが増える度に鳴る通知音を楽しんだ。
一万人に届いたときには、昼間だったけど缶ビールを開けた。 Twitterのアカウントは二〇一七年の時点でだいたい四千五百万。以後、発表はないらしいが、まあいまもそのくらいだとする。この四千五百万の海に何か言葉を投げ入れても、たいていはかすりもせずに、ひっそりと、光の届かない海底に沈んでいく。「SNSは、誰もが平等に世界に向けて情報発信できるツールだ」って言う人たちは脳天気すぎる。SNS の中は、平等なんかじゃない。現実世界以上に格差がキツい。注目される人はその手応えを感じ続け、注目されない人はその結果を見せつけられる。
一方的な発信は、ただただ孤独を深める。わたしはいま、その孤独を抜け出しつつある。
気分が良くなって、テレビをつけた。マリーが出ていた。いまなら冷静に見られる。色に色を重ねた、日本じゃ誰もしないような着こなしでひな壇に座っているマリーが、表情豊かにスペインでスリを追いかけた話をしている。隣の女性タレントが大げさに「すごぉい」と笑い、お笑い芸人が「走るのそんなに速そうに見えないけど」とマリーのややぽっちゃりした体形をいじるが、マリーは脇腹の肉を摑んで、「いまはこうですけど、わたし、高校時代は陸上部の選手より速くて、市の記録会にも出たんですから!」と言う。
嘘じゃない。姉ちゃんは結構いい記録を出して、喝采を浴びていた。わたしはお母さんに連れられて、その様子を観客席で見た。うんざりしながら。
またスマホが光る。新しく増えたフォロワーを確認しようとTwitterアプリを開くと、そのリプライが目に入った。
《Mさん、あんまり調子に乗らない方がいいですよ》
調子に乗ってる? 発泡酒じゃなくビールを買ったことか? それとも、フォロワーが増えていくのを見続けていることか? それが《翔馬は命》と名乗るあなたに何の迷惑をかけた?