連載「美しい暮らし」 #イカレポンチの回顧録では、ゲイというご自身のセクシュアリティとともに人生をどう歩んできたかを率直に綴ってくださった矢吹透さん。あらためて、同性婚についての思いをご寄稿いただきました。
陽のあたる場所
性的少数者(LGBTQ+)はずっと日陰で生きてきた。
世の中には同性が好きだとか、体と心の性が異なるとか、そういう人がきっといるんだろうなということには昔から皆がなんとなく気づいていた。でも、まあ、そういう人たちはひっそりと人の目のつかないところで生きるのが定めであると考えられていた。
なぜならそのような性指向・性自認を持つというのは異常なことであり、とても恥ずかしいことなので、そういった人々は陽のあたる場所に出るべきではないというのが世の中の通念だった。
昔、障碍を持つ子供が生まれると座敷牢で育てられることがあった。家の奥にこっそりと作られた密室に閉じ込められ、一生をそこで過ごした。
性的少数者もそれと同じようになるべく人の目の触れない、隠れたところで一生を過ごすべきものとされていた。
昭和の中頃に生まれた僕は、小学生くらいの時に自分が同性愛者であると自覚した。
自分は両親や周りの人たちとは違うと気づいた。同性に惹かれる自分はこの世で一人ぼっちだと感じた。
童話では王子さまは必ず王女さまと結婚して幸せになる。王子さまが王子さまと結ばれる設定のストーリーはひとつもなかった。
教科書に出てくる歴史上の人物や偉人にも、テレビや映画に出てくるタレントやキャラクターにも同性愛者は一人もいなかった。(少なくともその誰かが同性愛者であるという表現や記述に子供の僕が出くわすことはなかった。)
子供の僕の目に唯一触れる性的少数者は、夜更けの大人向けのテレビ番組にたまに登場するカルーセル麻紀さんであり、ゲイバー「吉野」や「青江」のママだった。
ああ、自分は大人になったら、この人たちのように女装をしたり、女言葉を話し、ゲイバーというところで働く以外に生きていく道はないのだと考えた。銀行員や商社マンや学校の先生にはなれないと思った。
僕は女装をするのも女言葉を話すのも嫌だった。僕は普通の男の子で、ただ好きになる対象が同性であるというだけだった。
僕は学校では優等生だった。学級委員や生徒会長に選ばれた。けれど、どんなに成績がよくて、どんなにいい学校に進んだとしても自分には他の同級生たちのように普通の会社に普通の就職をすることはできないだろうと僕は感じていた。
そう感じることはある種、絶望に近い何かを僕の中に生んだ。当時、僕は十歳くらいだったと思う。十歳にして僕は既に自分の人生に絶望していた。
十代の後半から二十代の頃、僕はアメリカに憧れを抱いた。若者雑誌に時々、ニューヨークやサンフランシスコのゲイ事情に触れた記事が掲載されることがあった。記事に添えられた写真では、男性同士が手を繋ぎ、互いの腰に手を回して、大通りを闊歩していた。
ああ、自分もこんなふうに好きな人と手を繋いで、陽を浴びながら街を歩きたいと願った。
僕はその頃、もう何度か男性同士の恋愛やセックスを経験していたけれど、僕が好きな相手と手を繋いだり、抱き合ったりできるのは、この国では暗いゲイバーの片隅や狭いアパートの部屋の中に限られていた。
愛し合う恋人やゲイの友人と街に出かけ、レストランなどで食事をする時、いつも周囲の目を気にし、振る舞いに気をつけた。他人に聞こえてしまうかもしれない会話の内容や言葉遣いにも気を配った。人前で自由に振る舞ったり、会話を交わすことは僕たちには許されていなかった。
誕生日やクリスマスに同性の恋人と素敵なレストランに出かけて祝うことも、大切な日だからといって一流ホテルに二人で泊まることも憚られた。
日陰に生きる自分たちには晴れやかなことは無縁なのだとずっと考えていた。それが当たり前のことだと諦めて生きてきた。
恋人と一緒に暮らしたいと思っても、同性二人に部屋を貸してくれる大家はほとんどいなかった。どちらか一方の名前で賃貸契約を結んだ部屋にもう片方がこっそりと住む以外になかった。しかし、その同居が発覚すれば契約者以外の居住という契約違反として両者共に部屋を追い出される結果へと繋がった。
住宅問題をクリアして同性の恋人同士でなんとか一緒に暮らすようになったとしても、どちらかが体を壊して入院したり、不幸にも命を落としたりしたような際に、恋人は医師から病状の説明を受けたり、最期を看取ったり、葬儀に近親として参列することを許されない。
長い間ひっそりと連れ添った同性カップルがそういった厳しい局面に晒される状況を何度も見聞きした。
日陰で生きている者たちには許されないことが世の中にはたくさんあった。それは仕方のないことなのだと思いながら僕はずっと生きてきた。
日陰を生きる僕たちには愛することさえ許されてはいなかった。なぜならその愛情は異常なものとされていたから。
長い時間をかけて世の中は少しずつ変化してきた。海外では同性同士の婚姻を認める国も増えてきた。
日本が未だ同性婚を認めていないのは人権の侵害である、憲法違反であると訴えている人たちがいる。しかし、その主張はこの国ではなかなか受け入れられないままでいる。
性的少数者の活動家たちの声高な権利の主張はうるさい、そっとしておいてほしいなどという苦々しい反応の声がLGBTQ+当事者たちの間からさえも聞こえてくる。
僕は個人的にこの国で同性婚が認められることを願っている。
僕の望みは大層なものではない。
僕はただ太陽の光を浴びて人生を生きたい。
陽のあたる場所で愛する人へ声を潜めることなく愛を語りたい。
温かく降り注ぐ明るい陽光の下でパートナーや仲間たちと笑いたい。
長い間、暗く冷たい日陰で人生を生きて来なければならなかった僕は今、そう願う。
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<第二弾>社会の意識の変化、要望があっても、“選択的”夫婦別姓や同性婚の法制化が進まないのはなぜなのか。「夫婦同姓」でないと認められない権利や利益とは? 夫婦別姓の各国事情は? 婚姻制度の不平等を考える。
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