YouTubeやツイッターで国内外のニュースを発信し続けるエジプト人のフィフィさん。その歯に衣着せぬ提言、論調には、YouTubeやツイッターのフォロワー数あわせて102万人を集めるなど、絶大なる支持を集めています。
そのフィフィさんが上梓した『まだ本当のことを言わないの? 日本の9大タブー』では、外国人の目線だからこそ気づく日本の深い闇について、9つのジャンルからズバズバと斬り込んでいます。
「私の頭の中が丸ごと一冊の本になった」とご本人が言う、本書の一部を公開します。
* * *
すべての親に性善説が通用するわけじゃない
子育て世帯には、国が定めた制度によって、子どもが誕生してから中学校を卒業するまで「児童手当」が支給されます。金額は、子どもの人数や年齢によって異なりますが、子どもがひとりなら、0歳から3歳までは月々1万5000円、それ以降は1万円が受け取れます(ただし、親の所得が定められた限度額を超えると、一律5000円に)。
ひとり親世帯にはこれ以外の給付金もありますし、2020年には新型コロナウイルス感染症の蔓延を受けて、2022年には食費などの物価高騰などを受けて、子育て世帯に、子どもひとりにつき、それぞれ10万円の特別給付金が支給されています(ただし、後者は、親の所得制限あり)。
これだけ見ると、「なんだかんだ言いながらも、国は子どもたちのことを考えているんじゃないの」と感じるかもしれませんが、私はそうは思いません。
これらのお金は、現金で親の銀行口座に振り込まれます。そのお金を我が子のために使うなら問題はありませんが、そうじゃない親がいるから、学校の給食費が未納になったり、3度の食事さえ満足に食べさせてもらえない子どもが出てきたりしてしまうんです。
手当や給付金を親の口座に現金で振り込むのは、「親なんだから、そのお金は子どものために使うはず」という性善説に基づいています。けれど、それが通用する親ばかりではないのです。そのお金を握りしめて、いそいそとパチンコに出かける親もいます。
給食費を払ってもらえない、修学旅行のお金を積み立ててもらえない──。
子どもたちの中には、家が貧しくて、学校でしかごはんを食べられない子もいます。そんな子は給食を何より楽しみにしているというのに。お金を積み立てていないために修学旅行に参加できず、「風邪をひいたから」などと言い訳して、休まざるを得ない子もいます。
親のせいで、なんで子どもが、恥ずかしい思いや惨めな思いをしなくちゃならないの?
この国は一体どうなっちゃっているの?
子どものために使われないなら、児童手当や給付金などなくていいんです。その分を、国は、直接子どもに使ってあげてください!
子どもはすべて無償でいい
幼稚園、小学校、中学校、高校、できれば短大まで、学校にかかるお金をすべて無料にすることはできませんか?
どんな親のもとに生まれようが、すべての子どもが、学校に行きさえすれば教育が受けられて、制服も支給されて、みんなと同じ教材を使うことができて、お腹いっぱい給食が食べられて、みんなと同じように遠足に行ったり、修学旅行に参加したりできる。そんな制度を整えなければダメなのです。
給食費なんて、お金をばら撒く前に、最初から無償化すればいいのに。ずっとそう思い続けていたのですが、ここにきてやっと、その動きが出てきました。岸田首相の「異次元の少子化対策」のたたき台の中に給食費無償化の検討が盛り込まれましたし、立憲民主党と日本維新の会が「学校給食無償化法案」を共同で国会に提出しました。
遅きに失した感もありますが、こうした動きは歓迎すべき。早期の実現を目指して欲しいところです。
また、特別給付金などの名目でお金をばら撒くときに、所得制限云々という話が必ず浮上します。「大事なのはそこじゃないでしょ」と、今すぐにでも国会に行って言いたいくらいです。お金をばら撒くくらいなら、親の所得なんか関係なく、子どもはすべて無償でいい。それで増税されるなら、甘んじて受け入れましょう、と私は思います。
子どもが飢えて死んでしまったとか、親に虐げられて死んでしまったとか……。私はこれ以上、心が痛むようなニュースは見たくありません。
今このときだって、苦しんでいる子どもがいます。親が悪いのはもっともですが、子どもを救うことができないのは、性善説に基づいた制度に欠陥があるからではないですか。
おかしな親はいくらでも存在するのですから、親に委ねるべきではないんです。日本は国として、子どもたちの権利を守るためには何を優先すべきかを、よくよく考えていただきたいです。
フードバンクによる“監視の目”
アメリカが発祥の「フードバンク」のような“開かれたシステム”を整えることもまた、日本には必要だと思います。
フードバンクというのは、品質に問題がないものの、賞味期限などいくつかの理由から市場で流通できない食品を、企業から寄付してもらって、生活に困っている人に配給する活動です。食品以外でも、たとえば、衣類や生活雑貨などが配られることもあるようです。
日本でも、その活動は始まっているものの、もっと活発になってもいい気がします。というより、そうしなくてはならない。
フードバンクのようなシステムは、生活困窮者を物質的な面で助けるのはもちろんですが、他にも大事な役割を果たしています。
たとえば、アメリカなんかでは、そこに相談員がいて、「何か困っていることはない?」などと声掛けをして、配給を受けに来る親や子どもの相談に乗ったりします。また、子どもはちゃんとご飯を食べさせてもらっているか、虐待されていないか、母親に変なパートナーがくっついていないか、といったことを、彼らの様子などから確認したりもします。フードバンクは、いわゆる“監視の目”の機能を持ち合わせているということですね。
日本では、個人の自由を守らなくてはいけない、プライバシーを保護しなくてはいけないなど暗黙の縛りのようなものが多すぎて、監視の目がないのも問題なんです。
フードバンクのような制度をつくるのは、行政の仕事じゃないですか。
日本は、世界中が認める先進国です。先進国であるならば、子どもたちに何ひとつ不自由を感じさせることのない、子どもの権利を第一に考えた制度をつくっていくべき。また、そうした制度が整っていることも、先進国の条件になるのではありませんか。
『第5章(子どもの権利、親権、給食費)ニッポンの未来を担う子どもたち。その権利が蔑ろにされている!』より