脳出血で倒れ、失語症・右半身まひという後遺症を抱えながら、懸命なリハビリを経て、大学の学長職に復帰した出口治明さん。その支えになったのは、それまでに読んできた1万冊以上の本から得た「知の力」「教養」でした。新刊『逆境を生き抜くための教養』のプロローグからお届けします。
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世の中は何が起こるかわからない
僕たちが暮らす世界は、この数年のあいだに、3つの大きな災厄に見舞われました。新型コロナウイルスによるパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻、そしてトルコ・シリアの大地震です。
パンデミックの被害は世界全体に広がりましたし、戦争や大地震も当該国だけの問題ではありません。食糧やエネルギーの逼迫(ひっぱく)などによって、世界中が悪影響を受けました。
パンデミックも戦争も大地震も、人類の長い歴史を振り返れば「よくあること」です。決してめずらしい事態ではなく、いつ、どんなタイミングで起きても不思議ではありません。
しかし、ほとんどの人は、それが「いま」起きるとは、想像していなかったはずです。思いがけない事態によって、多くの人々が厳しい逆境に直面して苦しんでいるのが、世界の現実です。
そんな現実を目の当たりにして、あらためて「世の中は何が起こるかわからない」と痛感している人は多いのではないでしょうか。人の世は、変化の連続です。社会情勢だけでなく、僕たちひとりひとりの暮らしも、常に順風満帆というわけにはいきません。
誰でも、調子のいい順境にあるときほど「この状態がいつまでも続くだろう」と思い込みやすいものです。でも、残念ながらそうはいきません。順境は、大抵の場合は「突然に」、逆境に転じます。
2020年の年初から世界に拡大したコロナ禍で、僕が学長を務める立命館アジア太平洋大学(以下、APU)も、オンライン授業の導入や卒業式と入学式の中止決定など、急な対応に追われました。学長として、できるかぎり迅速な意思決定をする必要がありました。
APUは、学生のほぼ半数にあたる約3000人が外国人留学生です。その家族などが外国から集まるイベントですから、卒業式・入学式の中止は、どこの大学よりも早く決めました。
それからも長期にわたって、国境を越えての人の移動が制約され、APUにとっては、ほかの大学以上に大きな逆境となりました。
そして、そのコロナ禍のもと1年が過ぎた2021年1月に、僕自身も大きな災難に遭遇しました。亡母(ぼうぼ)の四十九日法要のために故郷の三重に向かう前日に、宿泊していた福岡のホテルで脳出血を起こし、病院に運び込まれたのです。72歳にして、生まれて初めての入院でした。
脳出血の後遺症で右半身まひ、失語症にも
もちろん、それまでの人生も、ずっと順境だったわけではありません。手痛い失恋を経験したり、司法試験に落ちたり、勤めていた会社で左遷されたりなど、いろいろな逆境を経験しています。
それでも、健康にだけは自信を持っていました。入院するような大病を患ったことがないというだけではありません。風邪を引いて少し熱が出ても、しっかり食べて、ぐっすり眠れば、医者にかからなくても2、3日で回復していました。病気で仕事を休んだことは、一度もありませんでした。
とはいえ、健康維持のために何か特別なことをしていたわけではありません。健康の秘訣を聞かれると、「病気や健康のことをいっさい気にしないことです」などと答えるのが常でした。病気の心配ばかりしていると、そのストレスのせいで、かえって病気になりやすい。「病は気から」だと信じていたのです。
健康面については、僕はまさに、「この順境がいつまでも続くだろう」と思い込んでいたわけです。年に1回の健康診断は受けていたものの、人間ドックは人に勧められても受けない。医者から「血圧が高い」と忠告されても、降圧剤を服用するほかはとくに気にすることもなく、それまでと同じ生活を続けていました。
しかし、どんなに自信があっても、やはり何が起こるかはわからないものです。丈夫な体に生んでくれた両親にはいつも感謝していたのですが、その母の法要に向かう途中で倒れてしまいました。
命が助かったのは幸運でしたが、気がついたときには、右半身がまひして思うように動かせない。それに加えて、失語症にもなっていました。自分の足で歩くこともできなければ、話すこともできません。
僕にとって、これは人生最大の逆境です。それを乗り越えるためには、とにかくリハビリに励むしかありませんでした。
倒れたときは72歳。この年齢になってから脳出血などによる後遺症を抱えた場合、すでに仕事をリタイヤしている人が多いこともあって、リハビリの目的は自宅での日常生活に復帰というのが一般的です。
でも僕は、APUの学長を辞めるつもりはまったくありませんでした。執筆や講演活動なども、前と同じように続けたい。乗り越えるべき壁が高いので、リハビリも厳しいものになりました。
いまもまだ喋るのには苦労しますし、徒歩の移動は困難なので、電動車いすのお世話になっています。リハビリはいまも週5日のペースで続けています。
支えになったのは「知の力」
しかし、さまざまな形で助けてくださった方々のおかげで、倒れてから1年後の2022年1月には、立命館東京キャンパスからオンライン会議に参加する形で仕事を再開。3月末にはAPUキャンパスがある大分県別府市に戻り、本格的に学長職に復帰しました。
70代の僕が、生死に関わるような病気を患ってからわずか1年という短期間で、しかも右半身まひと言語障がいを抱えたまま仕事に戻ったと聞くと、ほとんどの人はとても驚きます。「強い精神力をお持ちなのですね」「自分なら絶望してしまって、立ち直れないと思います」などと言われることもあります。
でも僕は、そんなふうに言われても、あまりピンと来ませんでした。もちろん、突然の病で自分の体が思いどおりに動かなくなったのはショックでしたが、絶望することもなければ、気持ちが落ち込むこともありませんでした。
目の前の現実を受け入れ、「ではどうすればいいか」と考え、やるべきことをやる。僕がやったのはそれだけです。
僕は以前から、著書や講演などを通じて、「知は力」だと語ってきました。
状況の変化に対して良い判断を下し、正しい行動を取るためには、まずは数字(データ、エビデンス)とファクトをしっかりと把握し、それに基づいてロジカルに考えることが大切です。数字・ファクト・ロジックという3つの要素のどれかひとつでも欠けると、思考が曖昧なものになってしまう。これは昔から僕がいろいろなところで語ってきた持論です。
その考えは、今回の逆境を経験したいまも変わっていません。むしろ厳しい逆境のときこそ、数字とファクトに基づいて論理的に考えることが求められるのだと思います。
逆境にさらされたとき、「挫(くじ)けないよう気持ちを強く持たなければ」と自分を鼓舞する人は多いでしょう。いつまでも立ち直ることができない自分を「弱い人間だ」と責めてしまう人もいると思います。
気力や精神力はたしかに大事です。でも、それに加えて重要なのは「知力」だと、僕は思います。「教養」といってもいいでしょう。
僕自身、病という逆境から復活するまで、いままでに読んだ1万冊以上の本から学んだ物事の考え方や歴史の知識などが、大いに役立ちました。
たとえば今回、「大きな病気を経験して人生観が変わりましたか」とよく尋ねられました。
「将来に何が起こるかは誰にもわからない。だから、川の流れに身を任せ、流れ着いた場所でベストを尽くそう」「流されて岩にぶつかったり、濁流にのまれたりすることを面白がろう」
これは僕が若いときからの人生観で、病気をしてもそこはまったく変わっていません。病気になって後遺症を抱えるという逆境もそのようにとらえることができたのが、僕が落ち込まなかった理由のひとつかもしれません。
これは、後でも紹介しますが、大学時代に読んだダーウィンの『種の起源』から学んだ考え方です。
この本では、僕が今回の逆境を通じて考えたことを、いろいろとお伝えしたいと思います。
逆境は、必ずしも苦しいことばかりではありません。そもそも逆境とは、自分を取り巻く環境の変化によって生まれるもの。季節が変われば目に入る風景も変わるように、逆境を迎えた人には、それまでの順境では見えなかった風景が見えてくるのです。
なにしろ逆境ですから、それはあまり良い風景ではないかもしれません。明るい太陽の下が順境なら、逆境は暗いトンネルの中かもしれません。
しかし暗いトンネルの中には、太陽の下では知ることのできない何かが必ずあります。逆境は、僕たちに新しい「発見」をもたらしてくれます。
僕も、初めての入院から今日までのあいだに、新しい発見がたくさんありました。その発見は、新たな知識として、僕が物事を考えていく上での武器になっています。
まずはそんなところから、話を始めたいと思います。
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この続きは『逆境を生き抜くための教養』でお楽しみください。
逆境を生き抜くための教養
脳出血で倒れ、失語症・右半身まひという後遺症を抱えながら、懸命なリハビリを経て、大学の学長職に復帰した出口治明さん。その支えになったのは、それまでに読んできた1万冊以上の本から得た「知の力」「教養」でした。新刊『逆境を生き抜くための教養』の一部をお届けします。