脳出血で倒れ、失語症・右半身まひという後遺症を抱えながら、懸命なリハビリを経て、大学の学長職に復帰した出口治明さん。その支えになったのは、それまでに読んできた1万冊以上の本から得た「知の力」「教養」でした。新刊『逆境を生き抜くための教養』の一部をお届けします。
* * *
進化の仕組みを解き明かしたダーウィン
ダーウィンは『種の起源』において、「突然変異」と「自然淘汰」というたった2つのメカニズムで、生物の世界が驚くほど多様なものになったことを説明しました。
これほど単純な仕組みで生物の進化という自然現象の謎を解き明かしてしまったダーウィンは、じつに偉大な人物だと思います。
ダーウィンの理論を簡単に説明しておきましょう。
生物は、子孫を残すことで続いていくのが大きな特徴のひとつです。でも、子が必ず親とまったく同じ形質を持って生まれるとしたら、進化は起こりません。そうだったら、地球上ではいまでも、40億年前に登場した単細胞生物が細胞分裂によって増殖するだけだったでしょう。
しかし突然、親と異なる体や性質を持つ変異体が生まれたら、話は別です。それが、「突然変異」という、進化のきっかけです(ダーウィンの時代は遺伝学が未発達でしたが、現代では遺伝子のミスによって変異体が生まれることがわかっています)。
ただし、親と違う変異体がすべて新種に進化するわけではありません。親の代まではその形質でふつうに暮らせていたので、親とは違う変異体の多くは生き残れないかもしれません。
首の短い仲間たちが群れで暮らしているところに、突然やたらと長い首を持つ個体が生まれたら、みんなと同じように生きていくのは大変です。
でもその中には、たまたま生まれ落ちた環境で暮らしやすい形質を持つ変異体もいるでしょう。仲間より首が長くても、周囲にたくさんの葉を茂らせた高い木々が生えていれば、それを食べて生き残ることができます。
そういう個体が、自分と同じ形質を持つ子孫を残すことができれば、これはもう「変異体」ではありません。有利な環境があるかぎり、「キリン」という種として繁栄していきます。
これが「自然淘汰」もしくは「自然選択」と呼ばれる進化の仕組みです。
強い者、賢い者が生き残るのではない
ここで重要なのは、突然変異も自然淘汰も「たまたま」起きる偶然にすぎないということです。
「高い木の葉が食べられるようにしよう」といった目的のために、「長い首」といった新しい形質がデザインされるわけではありません。たまたま生まれた変異体が、たまたま環境に適応していたから生き残り、子孫を残すことができた。生物の進化とは、いわば「結果オーライ」の現象なのです。
つまり、進化はほかの個体よりも「強い者」や「賢い者」が生き残ることによって起きるのではありません。サルから進化した人間は、強くて賢いから生物界の頂点に立った──などと勘違いしている人もいますが、そうではありません。
いま地球上に存在する生物は、すべてそれぞれのやり方で環境に適応しています。そこには頂点も底辺もない。みんな、たまたま生き残っているだけです。
そもそも突然変異は、遺伝子のミスという「失敗」から起こります。偶然の「逆境」から始まるのが進化だといってもいいぐらいです。
そこから生き残るのに必要なのは、与えられた環境に適応すること。生き残りに求められるのは強さでも賢さでもなく、「運」と「適応」なのです。
ダーウィンの進化論は生物に関する最高の理論だと思いますが、それだけにとどまるものではありません。ダーウィン自身はそこまで考えていなかったでしょうが、これは人類の歴史を説明する理論としても使えるすばらしいアイデアです。
歴史を説明する理論としては、ヘーゲルやマルクスなどに代表される進歩史観もきれいでカッコいいとは思いますが、人間の意志の力で歴史が進歩するという考え方には、どうも僕は馴染めません。
「進歩」は高い目標に向かって計画的に進んでいくイメージですが、実際の歴史を振り返ってみると、そこに目的意識や計画があるとは思えないからです。
人間は頭でっかちな動物なので、「運」や「偶然」をなかなか認めようとしません。
そんなことよりも、人間の意志のほうが歴史を変えるだけの影響力を持っていると思いたい。運や偶然を引き寄せるのも能力のうちであり、運を人間の都合に合わせてコントロールすることで歴史は進歩する──そう考える人もいます。
でも、人間はそんなに賢くありません。高い目標を掲げて社会を計画的にデザインしようとしても、まずうまくいかない。計画になかった運や偶然によって、必ず計算違いが起こるからです。
だからこれまで人類の歴史は、運と偶然によって「進化」してきました。目的に向かう「進歩」と違って、結果として起こる「進化」は、前の状態よりも良いか悪いかという価値判断とは無縁の変化です。
偶然の環境変化に適応した者が、たまたま歴史の中で生き残る。生物の進化と同じです。
逆境を生き抜くための教養
脳出血で倒れ、失語症・右半身まひという後遺症を抱えながら、懸命なリハビリを経て、大学の学長職に復帰した出口治明さん。その支えになったのは、それまでに読んできた1万冊以上の本から得た「知の力」「教養」でした。新刊『逆境を生き抜くための教養』の一部をお届けします。