無一文かつ人力のみで世界一周を目指す……こんなクレイジーな日本人、見たことない! ヒマラヤ山脈をママチャリで越え、インド最南端からエベレスト頂上まで人力のみで登頂し、手漕ぎボートでガンジス川を海まで下り、イギリスの人気オーディション番組でマジックを披露。そんな無謀で痛快な旅の模様をつづった岩崎圭一さんの紀行エッセイ、『無一文「人力」世界一周の旅』から一部をご紹介します。
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インドの聖地・ベナレスでボートを買う
まずは練習と思い、ガンジス河に漕ぎ出したものの、あっという間に流れに引きずり込まれて、コントロールを失う。水流がボートの操縦にこれほど影響を及ぼすとは思いもしなかった。観光客向けのボートを漕ぐインド人は簡単そうに操作していたけど、実は技術とコツがいるのだと思い知った。
見るに見かねたのか、ボートを買ったお茶屋の店主の弟が、コーチ役として練習に付き合ってくれた。
彼の名前はスラジ君。まだ12歳だが、船の扱いは大人顔負けだ。小さい頃から船を扱っているらしい。そんなスラジコーチのもと、ボートの漕ぎ方を学ぶ。私以外の他のメンバーも、午前と午後の練習に参加してもらった。1隻は私が漕ぐが、もう1隻は誰かが漕がなくてはならないのだ。
オールも既製品ではなく、竹の先に厚さ2cmほどの木の板を適当な形状に切り、打ち付けただけのものだ。長さと重さが左右で微妙に違うので、均等に力を入れると船が曲がってしまう。また左右のオールが体近くで交差するので、体にぶつからないように、注意しなければならない。
特に難しいのが船の旋回だった。左手と右手のオールを反対方向に漕げば船が高速で回転するはずなのだが、これはもう少し練習が必要だった。
日々、コーチの指示通りに上流の火葬場を目指したり、対岸に渡ったりを繰り返して、船の操縦を体で覚える。手の平にマメができ、それがつぶれ、一週間もするとある程度は流れの中で船をコントロールできるようになった。
船酔いも少し心配していたが、水面が均一なせいか、気分が悪くなるほど酔うことはなかった。
船の操縦をひと通り覚えたところで、船を正式に購入した。
1隻は私の両親と友人にカンパしてもらったお金を使い、もう1隻は参加者で割り勘にしてもらった。手書きではあるが、いちおう「この船はあなたに売りました」という契約書も交わしてもらった。これで船は、名実ともに我々のものになった。
購入後、長期の川下りに対応できるように改造を始めた。
まずは座席の部分に手を加える。船の上で寝泊まりをする予定なので、横になるスペースを確保しなければならない。
船の中央部分に段を組んで、ベニヤ板を乗せる。これで甲板はフラットになった。ベニヤ板の下には荷物や食料が入れられるので、一石二鳥だ。
もうひとつの重要な改造は、船に幌を付けることだ。11月とはいえ日中のインドの日差しは強烈である。もちろんのことだが、川の上に日陰はない。日差しを浴び続けると、思いのほか体力を奪われてしまうものだ。
乾季なので雨はそれほど降らないと思うが、もし降った時の雨除けにもなる。また、船からせり出した場所にトイレを設置することも構想していた。
ガンジスに抱かれながら海へ……
それと同時進行で、船に積んでいく荷物も揃えなければならない。主に、水、食料、調理器具などだ。
もちろん冷蔵庫などないので、常温でも長持ちする、米、ジャガイモ、パスタを始めとした主食系を合計40kg近く。にんじん、玉ねぎ、大根、マメ、卵とおかずになりそうなもの、それから塩、砂糖、胡椒などの調味料も。
調理方法はプロパンガスの20リットルボンベがそのまま使えるコンロをひとつ積み、予備として私がエベレストで使っていたガソリンを圧縮加熱して使うバーナーも積んだ。鍋は熱効率を考えて、圧力鍋を選んだ。
言うまでもないが、死体や下水が容赦なく流れ込むガンジス河の水は飲料には適さない。そこで50リットル入るプラスチックの容器を各船に積み込み、公共の井戸からくみ上げた水を入れた。飲料用以外の水は、すべてガンジス河の水で賄う。水や食料が足りなくなったら、川岸の村を訪ねて補給するつもりだ。
あとは、6人分の荷物と私の分解した自転車。これで積荷は全部になる。
そして迎えた、2005年11月4日。いよいよ出発という時に、どこから話を聞きつけたのか、インドのテレビ局がやって来て、インタビューを受けることになった。
船を売ってくれたオーナーが、花の首飾りをかけてくれた。日本の万歳のようなヒンドゥ教のお祈りを浴びながら、船に乗り込む。
メンバーを簡単に紹介しよう。
まずネパールの首都カトマンドゥで出会ってベナレスで再会したアミちゃんと、その友人のミクちゃん。二人ともアジアを旅している。さらに、彼女達の宿に宿泊していた、インドを放浪中のケンジ君とユージ君。最後に、ネパールから自転車でここまでやって来た小林さん。みな、予定があってないようなバックパッカーだ。
「ガンジス河を下る」という噂を聞きつけて集まった日本人旅行者達に見送られながら岸を離れる。練習の時と違い船に積んだ荷物の重さをずっしりとオールに感じる。
しばらくすると、歩くくらいの速度で、船が流れ始めた。船が旋回せずまっすぐ進むようにオール捌きに集中し、船をコントロールする。
ガートの前を通過すると、ヒンドゥ教の寺院から鐘の音が鳴り響き、スピーカーからは耳慣れたヒンドゥ教のお祈りが聞こえる。熱心に祈りを捧げ沐浴する信者の姿も見える。
ベナレスの日常だ。ゆっくりと前を通過し、耳に届く音が小さくなると、今度はマルビヤ橋から自動車のエンジン音やクラクションの音が聞こえてきた。橋をくぐり、小さく見えるくらいまで離れると、先ほどまでの喧騒が消え、あたりは嘘のように静まりかえった。
さあ、ガンジス河に抱かれながら海まで行こう。
無一文「人力」世界一周の旅
無一文かつ人力のみで世界一周を目指す、まさに「クレイジージャーニー」! ヒマラヤ山脈をママチャリで越え、インド最南端からエベレスト頂上まで人力のみで登頂し、手漕ぎボートでガンジス川を海まで下り、イギリスの人気オーディション番組でマジックを披露……。そんな無謀で痛快な旅の模様をつづった岩崎圭一さんの紀行エッセイ、『無一文「人力」世界一周の旅』から一部をご紹介します。