脚本家・演出家の藤井清美さんの『わたしにも、スターが殺せる』は、コロナ禍のエンタメ業界を舞台にした長編小説。政府の「大型イベントの中止・延期要請」により、自身の舞台が公演中止となった鴻上尚史さんをお招きして、あの3年間の「空気」について語り合っていただきました。 [前編]はこちら
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俳優さんたちは「出たかったです」の一言も言えなかった
藤井 私は2.26の時には自分が関わっている舞台はありませんでした。ただやっぱり、企画段階、キャスティングが1人、2人決まってるという段階の舞台がコロナで中止になってしまって、今も復活できてない企画もあります。そのうちの一つには若い俳優の出演が決まっていて、その子たちの初舞台に張るはずでした。中止が決まった時に正直な気持ちを彼らに聞いたら、「まさか信じられない」「悲しい」「悔しい」とか、いろんな言葉が溢れたと思うんです。でも、この2.26近辺でいろんな発言が炎上したので、俳優さんたちも本音を言わなくなったじゃないですか。公演が中止になった時に「申し訳ありません」というお詫びと公式の発表をただリツイートするだけになっていった時に俳優の心の奥の感情はどこへ行ってしまうんだろうって思って。もちろん俳優さんは叩かれるべきではないと思うし、その対応を間違ってたと言うつもりはないんです。ただ、彼らは「出たかったです」の一言も言えない中で、「必死で稽古をしていたんです、お客様の前でやりたかったんです」の気持ちはどこへ行ってしまうのかな、と。この小説を書いていた最終段階の今年になって、今ならギリギリ言えるのかなと考えていました。
鴻上 「出たかったんです」さえ言えないのは、辛いっていうか、困ったことですね。
藤井 本当にそうなんです。私自身も、公演の中止を知らされた時は、まず、「俳優になんて言おう?」「事務的手続きは何をしなきゃいけないんだ?」と理性の方が働いていたんですけど、それも落ち着いた後に、じわじわショックが襲ってきました。でもその気持ちは飲み込みました。
鴻上 でも後々の人たちは信用してくれないかもしれないけど、あの当時「出たかった」ってポロッと言うだけでも「自分の都合を語るんじゃないよ」って炎上したと思いますね。
藤井 そうですよね。鴻上さんが炎上してしまったコメントも、テレビで見ていたんですけど、スタッフの生活が心配だという思いから、スタッフのためにおっしゃった言葉でしたよね?
鴻上 「ブルシットジョブ」っていう言葉に出会って。世界的にベストセラーになったんだけど、要は「馬鹿馬鹿しい仕事」っていう意味。「シットジョブ」っていういわゆる底辺の過酷の仕事じゃなくて、「ブルシット=クソッタレ」の仕事って言う。つまり結構収入があるんだけど「実は私のポジションっていらなくない?」とか、「無駄な会議しかしてないよね」とか、自分の仕事にお金をもらってるんだけど、やりがいとか意味とか生きがいを感じないって言うのが、ある一定以上の収入の人たちの中に多い状況ですね。好きなことをしてない人がそんなに多いのかってところから「ブルシットジョブ」まで、いろんなことを、コロナは僕に思考を強制させましたね。一人でも多くの人が何らかの意味で好きだって言えるような仕事をしてほしいし。じゃあ演劇を仕事にしてるから幸せなのか、って言われたら、そんなわけはないんです。好きで選んだからこそしんどさも山ほどあるし、演劇が嫌いになる瞬間もあるし、もう辞めたいって思ったことももちろんあるわけです。そんな夢ような、毎日ハッピー、ってそんな仕事ないだろうと思いますね。
コロナ以前は「好きなことを仕事にする」がもてはやされた
藤井 そうですよね。また「好きなことを仕事にする」に話が戻りますが――コロナ以前は「好きなことを仕事にする」っていうのがもてはやされたじゃないですか。実はあの状況には、少し不安を感じていたんです。つまりすべての人が「好きなことを仕事にする」わけにはいかないし、また、それを望むわけでもない。敢えて「好きなことは仕事にしない」人だっていていいはずなのに、と。それが、「好きなことを仕事にする」を賛美していたはずの世の中が、「好きな仕事をしやがって」という声で溢れたときには恐ろしさを感じました。
鴻上 経済的に逼迫してきたのが一番の原因かと思います。好きなこと云々言ってる場合じゃない、っていう。とにかくこの不安な、先が見えない中にいて苦しんでいる人達と、ブルシットジョブっていう、それなりのお金はあるけれど、意味のない仕事に苦しんでいる人達の、ダブルの事情があるのかなと思います。
藤井 ダブル……(笑)。
鴻上 いかんいかん。どうもコロナのこの辺のことを語るとネガティブにフォーカスが当たり始めて、いかん! 何とか希望を見つけて語りたいなと思うんだけど。でもだからこの小説は希望があって良かったと思いますよ。これがもうどうしようもない終わりだったらどうしようかと。たまに演劇であるじゃないですか。毒饅頭売って終わり、みたいな(笑)。人生、最悪、絶望、以上! 幕! みたいな。
藤井 客席を立ち上がるのが辛い(笑)。
鴻上 いい加減にしろよって。高い金払ってわざわざ劇場まで来たんだから、なんか、生きる元気、希望くれよっていうさ。またその毒饅頭ほど評論家が評価したりするから(笑)。
藤井 舞台公演の配信はいかがでしたか?
鴻上 最初はね配信がわーっと数字が伸びたんですよ。やっぱりみんな見たかったんだと思います。ところがある時期からがたんと数字が下がったの。やっぱり演劇好きな人って劇場で観たいっていうのがあるんだよね。だからオンラインは違うな、っていうふうになって、今はどこもオンラインもやるけど、多くは興行としてはオンラインの設備を賄えた、くらいですね。ただ、遠方の地域の人は喜びました。未だに根強いのは、各地の人は本当にありがたいって言うけど、でも本当は劇場で観たいですよねって。オンライン僕はやりますけど、本当に来れない人向けみたいなことかな。やっぱりもどかしくなってくるんだよね。だったらカメラ持って舞台に上がって、アップにして、切り替えて、みたいな。
藤井 でも、配信に関わったスタッフは頑張りましたよね、映像に関する知識なんてほとんどなかったはずの人たちが、短期間で勉強して、配信に関する技術がどんどん進化していった。どこどこの配信は新しい手法を取り入れたとか、こういう場所にもカメラ置いてるとか、情報を共有して研究を重ねて。あーみんな頑張ってるなーって。
鴻上 日本人得意の真面目さでしょう。この困難の中でね、っていう。
推しが舞台のないあの時期何をしてたんだろう、ってこれを読んだらわかる
鴻上 どんな人に読んでもらいたいですか?
藤井 もちろん、演劇に興味がある人には読んでほしいとは思いますけど。あとは、あの時に起きたことに何となくもやっとしたものを抱えているみたいな人。心の中で、私あの時あんなに怒られたけどあれって意味あったのかな? って思ってるとか。もしくは自分も人に対してとってもピリピリしてたけど、それって結局何だったんだろうっていうことをふわって思ってる人には読んでほしいです。
鴻上 2.5次元に推しがいて、どんなふうに過ごしていたんだろうな、っていう興味がある人にも読んでもらえるよね。
藤井 そうですね、ありがとうございます。
鴻上 応援してる推しが、舞台のないあの時期何してたんだろうって。これ読んだらわかるんじゃない。
藤井 公演が飛んだ時はみんな、小説に登場する鈴木翔馬がブログに書いたような気持ちだったと思うんですよ。
鴻上 本当にリアルで正直な言葉だなと思いましたよ。
藤井 小説全体は何度も何度も書き直したんです。でも、あそこだけは自分が辛くて、おいそれと読み返せなかったです。いったい何百人、何千人の俳優があんな気持ちになったんだろうと考えてしまって。ファンやお客様に対しては、いつも応援ありがとうございます、公演の中止は残念ですけど、僕は大丈夫です、って笑顔で言った人たちが、一人になると、もう起き上がる元気がない、自分は世の中にとって不要な人間になってしまったんだなと思っていたんじゃないかなと想像してしまいました。
鴻上 そうですよね。あとは、Twitterにモヤっとしてて、どういう付き合い方をしたらいいかなって思ってる人は、読んでくれるかもしれないですね。
藤井 主人公の真生は、翔馬を叩いたことで最初炎上するんですが、あるTweetで一気に流れが真生の方に変わります。そんな、世の中の変わり身の早さ、Aが正しいと言われる風潮が、数週間後には、Aとは矛盾するBが正しい世の中になっている現実を見て、「これでいいのかな?」と疑問を感じているような方には是非読んでほしいです。
鴻上 コロナも人類が初めて経験したことだけど、TwitterもSNSも人類が初めて経験したことだから。初期はみんなTwitterで議論しようとして、議論できると思ってたんだけど、Twitterは議論に向かないんだということを炎上が教えてくれたんですよね。人と人間の情報交換のツールなんじゃないかと。ここで何かを建設的に議論できると思っている人は少ないんじゃないかな。結果的に、炎上の形が変わってくるかもしれない。
藤井 鴻上さんもTwitterとの付き合い方変わってきましたか。
鴻上 僕は昔はもう、丁寧に、匿名のコメントに対して事情を語っていたけど、もうやめました。何を言われても深い議論ができない、建設的な会話ができにくいツールなんだと思っています。少なくとも匿名の乱暴な書き込みをする人に対しては。情報を交換するツールで、生産的な会話をするツールではないと思ってます。まあ、昔からいろんな考えの人がいたと思うんだけど、本当にSNSがさまざまな人を見える化してしまったということですよね。えらいこってす。
藤井 ここ最近、感染者がまた増えてきて、また、舞台が中止になったという話を耳にします。でも、決定的な解決策はないですもんね。世の中にいろんな意見が溢れていることがSNSによって見える時代だからこそ、コロナという誰もの生活に悪影響を及ぼすことを体験したときに、わたしたちはやはり、自分の視点でしかものを見られないのだと痛感しました。でも、そこにこそ、フィクション――小説や演劇の出番はあると思うんです。自分が当事者じゃないこと、自分とは反対の意見って、理詰めで説明されるとぴんと来なかったり、拒否反応が起きたりするんだけど、物語の中で体験すると、すんなり違う側の気持ちになれるというような。自分が一人分の人生で、一つの視点からだけ経験したことを、他のいろんな方面から「体験する」っていうのは、本当に今、やっておくべきなのではないかと思います。そして、物語やエンターテインメントの役割は、そういうことはなのかなと。
鴻上 うん! それだ(笑)。結論はそれですね。
撮影:米玉利朋子