国際政治学者の三浦瑠麗氏がTwitter投稿した発言で、プライバシーを侵害されたされたとして損害賠償を求めて訴訟を起こした、テレビ朝日法務部社員、西脇亨輔さん。ご自身の元妻の「不倫報道」に端を発し、最高裁まで争うことになった怒涛の日々は3年8か月にも及びました。西脇さんはなぜ、闘うことを決意したのかーー。その法廷闘争の記録を1冊にまとめた『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』の中から、「序章」を紹介いたします。
一枚の写真
一枚の写真がある。
選びに選んで決めた純白のドレス姿の新婦と、慣れないタキシードを着た新郎が写っている。二人は腕を組んで歩きながら左右にお辞儀し、列席者は手にした花を二人に投げかけ、フラワーシャワーの祝福をしている。皆に笑顔が溢れている。
宙をきらきらと白い花びらが舞っている。
よく見る結婚式の写真だが、一つだけ、普通と違うところがある。それは写真左上に印刷された文字だ。
「写真 1」
無機質な文字が、写真からすべての温もりを奪っている。
この写真は裁判の証拠として提出された「甲25号証 写真撮影報告書」の一枚だ。
新郎は私、新婦は私の元妻でテレビ朝日「朝まで生テレビ!」のMCをしていた村上祐子記者、そして報告書の冒頭には、この裁判の事件番号と当事者の名前が表示されている。
令和元年(ワ)第18906号 損害賠償請求事件
原告 西脇 亨輔
被告 三浦瑠麗
1345日に及ぶ法廷闘争の日々
この裁判で私は国際政治学者・三浦瑠麗氏を訴えた。第一審の東京地方裁判所で三浦氏に対して損害賠償30万円の支払い等を命ずる判決が出され、控訴審を経て、2023年3月22日、最高裁判所で第一審判決が確定した。
2019年7月17日の提訴から1345日。
3年8か月余りにわたる裁判の記録は合計1818ページに及ぶ。
その裁判記録に綴じこまれている一枚の写真を見ながら、私はどうして自分がこの日からこんなに遠く離れたところに来てしまったのだろうと思う。この結婚式は本当に自分の人生の出来事だったのか自信がなくなっていく。あの時いつまでも続くと思っていたものは、今は何一つ残っていない。残っているのは長い闘いの記憶だけだ。
いや、もう一つだけ残ったものがある。それは「自分」だった。
この裁判を起こすきっかけとなった三浦瑠麗氏のツイートは、私の心を深く刺し、蹂躙していった。
痛みを感じないふりをして、身をすくめて、全てが通り過ぎるのを待つこともできた。その方が楽だっただろう。その方が賢かったのかもしれない。
「自分」が壊れないため……
でも自分の心の奥底は「それは違う」と言っていた。
このツイートは間違っている。この痛みは間違っている。
それを受け入れて首を垂れてしまったら、もうこれまでの「自分」ではなくなる。
そう、強く思った。
今振り返ってみて、この裁判で失ったものはあっても得たものはない。でも全く後悔はしていない。
「自分」が壊れないために、「自分」が「自分」のままであるために、この裁判はやるしかなかった。そしてまだ、「自分」は生き残っている。
一人のサラリーマンが独りきりで足掻いた記録
この本の出版について私は1円も頂くつもりはない。この本の印税はすべて犯罪被害者の遺児支援を行う公益財団法人に寄付する。この本も、この裁判も、自分の中ではお金とは関係ない。
この本は、影響力ある人物の発信によって揉みくちゃにされた一人のサラリーマンが、独りきりでただ足掻いた記録だ。普通なら恥ずかしくて、世の中に残さない話だと思う。
しかし、いやだからこそ、心無い発信の先に、生身の人間の痛みがあることを書き留めたかった。そして不格好でも最後まで闘い抜いたことの痕跡をこの世に遺したいと思った。本を書いた理由はそれだけだ。
もしこの小さな痕跡が読者の皆様の何かの一助になれば、望外の幸せだ。
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孤闘 三浦瑠麗裁判1345日
彼女の一つのツイートが私の人生を変えた……この裁判は私の存在証明だった。
深い孤独と現世への諦観を抱え、強大な影響力を持つ相手に独りのサラリーマンが立ち向かった、国際政治学者、三浦瑠麗氏との法廷闘争の日々を綴った『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』の中から一部を抜粋してご紹介いたします。
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