徳川十五代将軍の中でも、九代将軍の家重は、あまり歴史小説の題材として取り上げられることがない。なぜなら扱いが難しいからだ。生まれたときから家重は、重い障がいを抱えていた。顔が引き攣り、片手片足が不自由だ。指先が震えて、文字が書けない。さらに口から音を発することはできるが、何を言っているか分からない。したがって意思疎通が困難であり、よく癇癪を起す。また頻尿であり、漏らすことも多い。尿を引きずった跡が残るため“まいまいつぶろ(かたつむり)”と陰口を叩かれたりする。描き方によっては差別表現と受け取られる可能性があり、常時、気を遣って書かねばならないから大変だ。だが村木嵐が書き下ろし長篇で、家重と向き合ってくれた。それが本書である。
八代将軍吉宗の嫡男として生まれた長福丸(後の家重)は、本来なら次の将軍職を継ぐ立場である。しかし障がいにより周囲から侮られ、廃嫡が噂されている。弟の小次郎丸(後の宗武)を次期将軍にという意見も根強い。そんなとき、長福丸の口から発せられる音を、言葉として理解できる人物が現れた。まだ少年の大岡兵庫(後の忠光)だ。長福丸の乳母を務めていた上臈御年寄の滝乃井は、このことに狂喜。兵庫の親戚である江戸町奉行の大岡忠相を呼び出し、彼を長福丸の小姓にするという。しかし忠相は、五代将軍綱吉の時代から続き、吉宗の代で断ち切ることのできた側用人政治が復活することを危惧。自ら見極めようと兵庫に会う。ところが聡明で忠義心の厚い兵庫を認め、幕府内で厳しい道を歩むことになる彼の、精神的な支えになろうとするのだった。
という第一章を経て、家重と忠光の二人三脚ともいうべき生活が始まる。実は非常に聡明であり、周囲から侮られ続けた体験から、他人の気持ちを深く理解する家重。忠相の忠告を守り、ただ家重の発言を正確に伝えることに徹する忠光。主従でありながら、互いを心の底から信頼するふたりを見て、老中の酒井忠音など、しだいに家重を次期将軍にと考える人も増えてくる。家重の正室となった比宮(増子)が妊娠したことで、血の継承にも問題ないことが分かった。残念ながら子供は死産であり、比宮も亡くなってしまう。しかしその後、比宮の侍女だった幸が家重の子を産んだ。後の十代将軍家治である。
さて、この調子で粗筋を書いていると、それだけで原稿が終ってしまうので、ここから読みどころに触れていこう。一番の注目ポイントは、家重と忠光である。他者とのコミュニケーションの方法が、首を振ってイエス・ノーを伝えるだけであった家重にとって、忠光の存在は奇跡といっていい。しかも彼は、碌な後ろ盾がない状態で、権臣になることもなく、ひたすら家重に尽くすのだ。ふたりを中心とした場面は、清々しく、美しい。
とはいえ、家重と忠光を認めぬ人も多い。障がいのある家重に将軍職は無理だと思う人がいるのは、無理もないところである。忠光が本当に家重の言葉を伝えているのか疑う人がいるのも納得できる。しかしふたりと比べれば、彼らは我欲に塗れている。権謀術数の渦巻く江戸城で、将軍とその“口”であることを貫いた、ふたりの毅然とした生き方に胸打たれるのだ。
もちろん他の人物も活写されている。最初の出会いで失望するが、家重と心を通わせる比宮。幕閣の中で、しだいに頭角を現していく田沼意次。いい加減なところがあるが、どうにも憎めない老中の松平武元。長年にわたり家重と忠光を見ていた御庭番の万里。それぞれに個性的なキャラクターが、ストーリーを彩っているのだ。
さらに、物語の背後に置かれている時代の流れにも留意したい。前半は、享保の改革の真っただ中だ。改革の内容は多岐に亘るが、そうしなければならないほど幕府そのものにガタがきていた。改革が失敗すれば、幕府が崩壊する恐れすらあったのだ。したがって、改革の後を受け継ぐ九代将軍を誰にするか、吉宗は慎重にならざるを得なかった。長子相続の決まりを破って宗武にするのか。しかし忠光の登場によって、家重が聡明であることも明らかになった。そこに父親としての情が絡む。なかなか吉宗が決められなかったのも当然だろう。
ついでにいえば、家重が将軍となった後半で、宝暦治水工事と郡上一揆が大きく取り上げられている。木曽三川の治水工事を幕府から命じられた薩摩藩の苦闘は、あまりにも有名であろう。これを幕府側の視点から描き、将軍という立場のままならなさを掘り下げているのだ。なお作者には、宝暦治水工事を題材にした長篇『頂上至極』がある。本書と併せてお薦めしておきたい。
郡上一揆も、幕府側の視点で捉えられている。なるほど幕府側からだと、このように見えるのかと感心。大きな問題を的確に処理しながら、死んでいった農民に思いを馳せる家重が魅力的。時代の大きなうねりの中で、多くの実在人物が躍動しているのである。
それにしてもだ。主従という言葉には収まり切らない、家重と忠光の関係を、どう表現すればいいのか。バディ(相棒)・親友・盟友・魂の兄弟。どれも合っているようで、しっくりこない。あれこれ考えているうちに浮かんできたのが“御神酒徳利”だ。もともとは、酒を入れて神前に供える一対の徳利のことを意味する。しかしそこから、いつも連れ立っている二人組も意味するようになったのである。本書のラストを読めば分かるが、忠光は常に家重を優先し、家族を顧みることはなかった。家重の口として、栄達を求めることなく、ひたすら寄り添い続けたのだ。まさにふたりは御神酒徳利だったのである。
だから本書は、御神酒徳利の物語といってもいい。呑んで、もとい、読んでその豊潤な世界を、味わい尽くしてほしいものである。
(「小説幻冬」2023年7月号)