このままでは日本語が消滅する……。「まさかそんなことがあるはずない!」と思う人もいるでしょう。しかし、今も世界のあちこちで民族固有の言語が消滅しているように、日本語も油断できない段階へと足を踏み入れているのです。日本語学の第一人者で、著書『日本語が消滅する』を上梓した山口仲美さんに警鐘を鳴らしていただくとともに、日本語を大切にすることがいかに重要かを教えてもらいました。
* * *
英語が母語になる日が来る?
── 最近、日本語が消滅する可能性がますます高まっているとうかがいました。
そうなんですよ。2020年に、小学3年生から英語教育を始めることがカリキュラムになりました。でも、小学3年生では日本語すら十分マスターしているとはいえません。そんな年齢から英語を始めるべきなのでしょうか。
そのうえ中学生になると、国語より英語の授業時間のほうが多くなってしまう。日本人を、英語と日本語のバイリンガルにすることを目指すカリキュラムなんだと思います。
今の第1世代の子どもたちは、英語もしゃべれて日本語もしゃべれるバイリンガルになれるかもしれません。問題は次の世代です。第2世代はバイリンガルではなく、世界共通語だけをしゃべるモノリンガルになってしまうことが、言語学的にわかっているんです。
もう1つ、心配なことがあります。それは日本の社会で、日本語よりも英語を勉強したほうが社会的、経済的に有利になるという状況が生じることです。そうなれば、たいていの人は有利なほうを選びます。
こうして日本語は英語に負けて、消滅への道を歩み始めることになります。本当に心配な状況です。
── 日本人の中には、英語が母語になってもよいと考える人もいるようです。
長期的に見ると、決して得策ではありません。たとえば、「英語が世界共通語でなくなったらどうするの?」と聞いてみたいですね。
世界語というのは、時代によって変遷しているんです。たとえば、最初の世界語はギリシャ語、やがてラテン語が取って代わりました。18世紀になると、フランス語が世界語に躍り出ました。
その後、英語とロシア語が覇権争いをし、英語が勝って世界語になりました。こうして現在の世界共通語の地位を、英語が獲得しているわけです。
そのうち、たとえば中国語が世界語になることがあるかもしれません。そのとき、英語に乗り換えた日本人は、今度は中国語に乗り換えるのでしょうか?
こんなふうに流行に右往左往するのは、効率がよくありません。それより何千年もの伝統を持っている自分たちの言語、日本語をしっかり保持しているほうがずっと賢いし、人類のためになると思います。
── 私たちは母語である日本語と、世界共通語である英語を、どのように学んでいけばよいのでしょうか。
まずは、生まれたときから学んできた母語をしっかりマスターすることです。次に、そのときの世界共通語を、母語を土台にしてものにすればいい。つまり、母語と世界共通語の違いを意識することによって、世界共通語を効率的に学んでいくということです。
日本語の魅力を子どもたちに伝えてほしい
── 日本人が日本語を母語として保持することが、なぜそんなに大切なのですか?
母語というのは、自分が何者であるかを証明してくれる大事な言語です。その民族の感じ方、考え方、行ない方、こうしたものをつくり上げ、支えている存在なんですね。
日本語という母語があるからこそ、自分は日本人だと思い、社会的な存在意義があると思えます。逆に、母語を失った人は誇りと自信を失い、自分が何者かわからなくなって、暴力的になることが研究でわかっています。
母語が消失してしまった民族に、母語とその文化を教えてあげると、人々の暴力がおさまっていくことを、言語学の研究者が明らかにしています。
── なぜ日本人は、母語を失うかもしれないという危機感が薄いのでしょうか。
やはり、地理的に守られているからだと思います。多くの国々は、自分たちと違う言語を使う民族が地続きで存在しています。たえず刺激を受けていて、違う言語に敏感になっている。
ところが日本人は、平素、自分たちと違う言語に出会う機会がありません。ですから、言語の危機に対しいささか鈍感になってしまうのではないでしょうか。
── 先生の文章は、さすが日本語学者だけあって、読み手を引き込むような魅力があると感じます。
ありがとうございます。論文と違って、一般向けの本では、意識的に語りかけるような文章にしています。それは長年、学生たちに語りかけてきた口調の延長なのかもしれません。
それから、一般向けの本では、ものすごくわかりやすく書くことをいちばんの目標にしています。
唐代の詩人、白楽天は、学のないおばあさんに自分の作った詩を聞いてもらって、そのおばあさんが「よくわかった」と言ったら完成にしていたそうです。だから白楽天の詩って、ものすごくわかりやすいんですよ。
この話を学生時代に読んだとき本当に感激して、今もいつも「白楽天、白楽天」と思って、わかりやすく書く努力をしています。
── 改めて、この本で先生がいちばん伝えたいのはどんなことでしょうか?
日本語の魅力を、日本人自身がもっと意識してほしい。そして、子どもたちに伝えてほしい。これが、私のいちばん言いたいことです。
子どもたちが日本語を十分使いこなせているうちは、日本語は安泰なんです。ところが、子どもたちの日本語が怪しくなってきたら、日本語が消滅するサインが点滅し始めたということです。
ですから、大人のみなさんは子どもたちに魅力ある日本語を伝えてほしい。本当に心から願っています。
※本記事は、 Amazonオーディブル『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』より、〈【前編】山口仲美と語る「『日本語が消滅する』から学ぶ日本語の魅力」〉の内容を一部抜粋、再構成したものです。
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