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海辺の俳人

2023.07.11 公開 ポスト

冬霧を抜けあやかしの落つる船

海上の幻惑堀本裕樹

俳人・堀本裕樹さん、初めてのエッセイ集『海辺の俳人』が発売になりました。
和歌山の大自然に囲まれて育った俳人は、上京してから海にあこがれ続け、25年目にして、湘南の片隅の町にある「スーパーオーシャンビュー」の一軒家に移り住みます。結婚、愛娘の誕生、コロナ禍の自粛生活と、形を変えながらも穏やかに続いていく日々を綴ったエッセイより、試し読みをお届けします。

海上の幻惑

朝起きて最初にするのは、リビングの大きな窓の雨戸を開けることだ。窓が大きいと雨戸も大きくて、それを開けるのに力がいる。がらがらがらと音を立てて開かれると、たちまち海景が眼に飛び込んでくる。一気に潮風に包まれるときもあるし、いきなり鷗の飛翔に出会うこともある。そんななんらかの海からの息吹を感じた瞬間に、ぼやぼやしていた寝ぼけた頭が、ようやく揺り起こされたような感覚になって、きょうの始動のスイッチが入るのだった。

一月のある朝、いつものようにリビングの雨戸を開けると、海面に初めて見る現象が起こっていた。僕は「ほううう」と溜息とも賛嘆ともいえぬような寝起きの息を吐き出すと、しばらくその海面の現象に眼を奪われた。

冬の霧である。この湘南の片隅の高台にある家の大きな南向きの窓からは、正面に伊豆大島を遥かに見はるかすかたちで、海原のダイナミックな姿が広がるのだが、ほぼ一面に霧が立ち上っていたのだった。 単に「霧」といえば秋の季語だけれど、冬にも霧は発生する。だから「冬の霧」として冬季の季語になっている。だが、僕は海上に立ちこめる冬の霧は初めて見た。その幻想的な光景は、人を立ち止まらせる静かな力を持っている。たとえるならば、海原が馬鹿でかい露天風呂になったような感じといったらいいだろうか。冬の霧が、なんだか湯けむりのようにも見える。

いや、しかしこんな情緒に欠けた比喩は、やっぱり違うような気がする。そうだ、まるで海原がしんしんと天上に向かって歌い出しているような趣がある。天上へ届けようと、白々とした息を継ぎながら声なき声で歌っているのだが、海面を少し昇ったところでその歌声は途切れてしまう。息白が掻き消えてしまう。そんな風景であった。

冬の霧舟に嬰児のこゑおこる 加藤楸邨

冬の霧が立ちこめているのは海だろうか、それとも川だろうか。乗船していた嬰児の声が不意に起こった。この声はどんな声だろう。泣き声かもしれないし、子どもらしい奇声かもしれない。その声も冬の霧に呑み込まれて流れてゆくのである。どこか不穏な風景でもある。

視覚的な「冬の霧」と聴覚的な「嬰児のこゑ」とのアンバランスなぶつかり合いが、舟の上で揺れて惑っているようだ。

橋に聞くながき汽笛や冬の霧 中村汀女

この句の舞台は海だろう。「ながき汽笛」を鳴らすのは、海上を行く大きな船だろうから。この句も前述の俳句と同じ聴覚と視覚を組み合わせた構造だ。冬の霧を貫くように、ぶおおうううと尾を引きながら汽笛が鳴る。誰を見送っているのか。誰一人知人など乗っていない船をただ見送っているのか。すでに船体は冬の霧にまぎれて見えなくなっているように思える。「冬の霧」という季語は、寒々しくすべてのものを曖昧にし、やがて掻き消してしまう柔らかな魔力を有しているようだ。

北海道の留萌(るもい)地方で使われはじめたと言われる「けあらし」という方言がある。放射冷却によって冷え込んだ朝に、海面に立ちこめる霧のことをそう呼ぶらしい。

「気嵐」もしくは「毛嵐」などと漢字では書くそうだが、写真で見るかぎり相当な量の霧が立ちこめている。湘南の太平洋の冬の霧とはその濃さがまるで違うようだ。これはおそらく冷え込みの強い北海道の海だからこそ起こる現象なのだろう。気温と海水の温度差が十五℃ 以上で、風は穏やかで快晴の早朝という条件が揃ったときに、「けあらし」が発生しやすいようである。

気嵐の氷海に旭の揺らぎ出づ 深谷雄大

北海道の氷海に気嵐が立ちこめている。その冬の霧によって隠された沖の方に、朝日が揺らぎながら昇ってきたのである。気嵐のなか、朝日の輝きはほとんど奪われているのだろう。

海も人もしばれるなか、巨大な朝日が気嵐にその輪郭を歪ませて音もなく顔を出そうとしている。厳粛な一日の始まりである。

僕は温かいアールグレイを片手に、なお海原の冬の霧の動きを見つめつづけた。

見ていると、立ちこめる範囲を刻々と変えながら、変幻自在に海面を流れていった。そうしてしばらくすると、沖の方から突然船が現れた。それは大型の漁船に違いないのだが、冬の霧に覆われてゆっくりとこちらに進んできたので、曖昧模糊として漁船の輪郭や特徴はぼやけ、まるで幽霊船のように眼に映ったのだった。

佐藤快和著『海と船と人の博物史百科』(原書房)で「幽霊船」を調べてみると、あまり日本では幽霊船とは呼ばないというのがわかった。日本では海上に現れる怪しげな船を「船幽霊」「亡霊船」「亡者船」「ヨイヨイ船」「マヨイ船」「ヒキモーレン」「灘幽霊」「沖幽霊」などと呼んだそうである。

では、幽霊船とはいったい何なのか。この本では「ひと口に幽霊船は船の形をして現れるものと、アヤカシ(海の怪異現象を総称していう。海坊主やチロチロと燃える妖火など)に分けられるが、二つの間にそれほど厳密な違いはない」と定義されていた。

そういえば、僕たちが幽霊船をイメージするとき、どちらかというと西洋の大きな帆船を思いがちである。たとえば、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ二作目『デッドマンズ・チェスト』に登場した幽霊船、フライング・ダッチマン号のようなイメージであろう。

この船のモデルというか想像の元になったのが、「さまよえるオランダ人」という北欧伝説の幽霊船であった。「さまよえるオランダ人」は、R・ワグナーの歌劇の題材にもなっていて、アフリカ南西端の岬である喜望峰の沖を舞台として神罰を受けた船長が、行くあてもなく永遠に海上をさまようという物語だ。このオランダ人を船長とした不気味な幽霊船に遭遇すると、さまざまな不幸な目に遭うというのである。

そんな大航海時代に入った頃に流布しだしたという伝説を思いながら、太平洋の冬の霧を纏った幽霊船に見まがう漁船を見ていると、視覚だけが異世界に紛れ込んだような不思議な気分になってくる。もちろんこの船がフライング・ダッチマン号であるはずもないのだけれど、はじめて見る海上の幻美ともいえる冬の霧が、この漁船の登場によって、いっそう神秘的な大気を揺らめかせて幻惑へと誘い込んだのだった。

やがて三十分もすると、冬の霧はみるみる晴れていった。幽霊船のように佇んでいた船は、いつもの漁船の輪郭を取り戻して突堤に身を寄せると、淡々とした日差しのなかで何事もなかったように、ぽつねんと停泊したのであった。

冬霧を抜けあやかしの落つる船 裕樹

関連書籍

堀本裕樹『海辺の俳人』

潮風を胸いっぱいに吸い、地球と繋がる。 “ここ”にある、小さな確かな幸せ。 海辺の暮らしは、結婚、愛娘の誕生、コロナ禍の自粛生活と、形を変えつつ穏やかに続いていく。 湘南の片隅の町に暮らす、俳人、ときどき“変人”の初エッセイ。

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堀本裕樹

1974年和歌山県生まれ。國學院大学卒。俳句結社「蒼海」主宰。「いるか句会」「たんぽぽ句会」でも指導。句集『熊野曼陀羅』で第36回俳人協会新人賞受賞。著書に『芸人と俳人』(又吉直樹氏との共著)、『短歌と俳句の五十番勝負』(穂村弘氏との共著)、『俳句の図書室』『NHK俳句  ひぐらし先生、俳句おしえてください。』など。

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