俳人・堀本裕樹さん、初めてのエッセイ集『海辺の俳人』が発売になりました。
和歌山の大自然に囲まれて育った俳人は、上京してから海にあこがれ続け、25年目にして、湘南の片隅の町にある「スーパーオーシャンビュー」の一軒家に移り住みます。結婚、愛娘の誕生、コロナ禍の自粛生活と、形を変えながらも穏やかに続いていく日々を綴ったエッセイより、試し読みをお届けします。
たいしたことはありゃあせん
きょうはコロナワクチン接種一回目の日で朝から少し緊張している。副反応に関するさまざまな情報が飛び交うなか、自分の体はいったいどんなふうに変化するのだろうかと不安がよぎる。いわゆる反ワクチンを標榜する本も一応は読んでみた。その内容に説得力があれば、接種を考え直してもいいと思ったからだ。だが、そこに書かれていた情報はしっかりしたソースが示されておらず、怪しげな言説が飛び交い、やたら不安を煽る文句ばかりが躍っていた。何よりも文章が駄目なものは、信用できない。
僕は物書きなのでよけいに、書かれた文章の気息からその書き手の態度や姿勢を少なからず見通すことができると思っている。そういう僕の感覚的な部分から眺めても、反ワクチンを過剰に訴える文章は受け付けることができなかった。これはあくまで人それぞれ持っている感覚があるので、そういった言説を受け入れる人もなかにはいるだろう。それは個々の判断であり認識の仕方なので、僕がどうこういえる問題ではない。
たしかにコロナワクチンには不安な要素も含まれているであろう。体質的に打てない人もいる。だから、打つか打たないかは個人の判断に委ねられているのである。
僕も悩みに悩んだ末に、打つことに決めたのだった。その決め手になったのは、実はワクチンを打つと重症化が防げるなどの一般的に挙げられるいくつかのメリットではなくて、町のワクチン相談室に疑問に思っていることを訊いてみようと電話した折に、
「ところで、この電話でワクチン接種の予約なんてできないですよね?」
と、僕はついでといった感じでたずねてみたのだ。するとあっさり「できますよ」と返されたのである。
「え?こんなにスムーズに電話がつながって、しかも簡単に予約できるもんなんですか?」
そう重ねて訊いてみると、「はい、朝のうちはたくさんお電話いただきましたが、いまは落ち着いています。いつにしましょうか?どこかかかりつけ医はございますか?」。
そんな感じでとんとん拍子に接種の予定が決まってしまったのである。
田舎町なので人口が少ないのも予約が殺到しない理由なのかもしれないが、ここの自治体はなかなか優秀なのかもしれないとも思った。まだ悩んでいた僕は、まあ一応予約だけでも入れておこうかという気持ちになった。そんなふうにあまりにもスムーズに接種の予約ができたのが、実際ワクチンを打つ決意につながっていったのである。予約を先に終えてから、その日に向けて思い悩みながらも、気持ちを整えていったといってもいいかもしれない。
まさかパンデミックの世になって、そのワクチンを打つか打たないかで悩む日がくるなんて、思いもよらなかった。人生にはいつなんどき、どんな悩み事が降りかかってくるかわからないものである。
十一時三十分に近所の医院に予約を入れていたので、琴世を抱っこしたMさんに見送られながら玄関を出た。
「ワクチン打ち終わったらメールしてね。あ、帰りにトマト買ってきてね」
Mさんの笑顔に送り出されて僕は自転車に乗ると、海風を背に受けつつ、ゆっくりペダルを漕いでいった。快晴である。全き秋晴れだ。
天と地と大秋晴を讃へ合ひ 高田風人子
この句のように天も地も、大きな秋晴れを讃え合って輝いている。海原も秋の日差しにどこまでも遠く煌めいている。あらゆる生命が静かに悠々と息づいているようだ。
「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」、僕は胸の中で宮本輝氏の父上の名言を思い出してつぶやいた。この言葉は宮本輝氏の大長編小説『流転の海』に出てくる台詞であるが、思い悩んだり苦境に立たされたりしたときにいつも自分を鼓舞してくれる。ほんとうに今までのいろんな人生の場面を振り返ってみても、結局たいしたことではなかったのだ。杞憂に支配され、恐怖心が先に立ってむやみに恐れただけだったのだ。「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」
ほどなく医院に着くと、待合室で順番がくるのを待った。すでにワクチンを打ち終わった一人の女性が、もしものアナフィラキシーショックに備えて待機しているようだった。看護師が時々声をかける。もう一人、僕と同じくらいの年齢の男性が医院に入ってきた。
やがて、僕の番が来たので診察室の扉を開けた。かかりつけ医を持っていなかった僕は、近所の医院で打つことになったのだが、信頼できそうな白髪の年配のドクターが問診してくれた。今までにアナフィラキシーを起こしたことがあるか、喘息を患ったことがあるかと訊かれたので、歯医者の鎮痛剤で一度軽い蕁麻疹が出たことと、今は治っているが小児喘息を患っていた時期があることを告げた。
「わかりました。おそらく大丈夫だと思いますが、念のため三十分、打ち終わった後、待機してください。何かあったら、看護師に知らせてください。では、打ちますよ」
僕は頷くと、利き手でない左腕をドクターのほうに向けて、Tシャツの袖をまくり上げた。
意外に腕の高い位置に打つのだなと思った。
「緊張しますね」
ぼそりと僕がつぶやくと、「ふだんあまり注射なんかしないですもんね。はい、肩の力を抜いてください」。
僕は全身の力を抜くように心がけた。でも、どこかリラックスしきれずに神経が張りつめている。「チクッ」と肉を貫く痛みがあったものの、一瞬で接種は完了した。
「はやっ!」
僕は思わず声を上げていた。「はい、終わりました。きょうは運動はひかえてください。お風呂は構いませんが、注射の痕はこすらないでくださいね」
「ありがとうございました」、僕はドクターに頭を下げると、一瞬で済んでしまったワクチン接種に拍子抜けしつつも、いやこれから何か副反応があるかもしれないと気を引き締めた。
待合室で待機しながら、Mさんに「打ち終わった!いま病院で様子見。一応、三十分います」とメールを送った。Mさんから「お疲れ様! 気をつけて帰ってね」と返信。そのあいだに、なんだか血の気の引いてゆく感覚がじわじわ襲ってきた。鼓動も少し落ち着かない。なんだ、これは……何かくるのか副反応かと思いつつ、大丈夫、落ち着け、落ち着けと胸の中で繰り返した。ここは病院だから大丈夫だ、何かあったらすぐに対処してくれるから大丈夫……そんなふうに血圧が下がっていくような反応にしばらく見舞われながら、それをなんとかやり過ごそうと、医院の備え付けのテレビに映し出されている菅首相退任のニュースをぼんやり見つめていた。その後に流れ出したパラリンピックの中継を見ていると、ようやくだんだん回復してきた。「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん。よし、もう大丈夫だ」と気を取り直した。
接種後のこの反応が気になったので、後ほど調べてみると、どうやら「血管迷走神経反射」という症状らしいことがわかった。ワクチン接種に対する緊張や強い痛みをきっかけにして立ちくらみを起こしたり、血の気が引いたりして、時には気を失うらしい。誰にでも起こる体の反応のようで、通常横になって休めば自然に回復するという。僕はそんな知識がなかったので、これはもしや重大なアナフィラキシーショックにつながるのでは……と待合室で不安に襲われたのだった。
やがて三十分が経ち、立ち上がって歩けそうだったので受付に声をかけてから医院を出た。秋の空が高く眩しい。リュックに入れてあったペットボトルの水をごくごく飲んだ。本当か嘘か知らないが、接種前後に水を飲むといいという情報を眼にしていたので、とりあえず飲んでおくことにした。
帰りにMさんに頼まれていたトマトを買い、ついでに美味しそうだったツルムラサキを買った。手作りのパウンドケーキも買った。なんだかお腹がすごくすいている。医院を出たのは、十二時三十分近くだから無理もないかとその時は思ったのだが、それだけじゃないことがわかった。その後もやたらとお腹がすくのである。副反応は接種した腕の痛みくらいで、熱も出なかったのだが、異常な空腹に見舞われた。こんなことってあるのかなと疑問に思いながら、ツイッターで検索してみると、同じような反応が起こっている人がけっこういたのである。ネットではそれを副反応ではなく、「腹反応」と呼ぶらしい。誰がつけたか知らないが、うまいこと名づけたものだ。まさに言葉通りで食べてもすぐに空腹になって、何か食べたくなるのだ。
僕はその日の夕飯はご飯を三杯たいらげた。そして夜十時に寝ると、五時に眼を覚まして、一人でご飯、納豆、味噌汁、らっきょうを食べて二度寝した。八時に目覚めると、Mさんと琴ちゃんと一緒に二度目の朝ご飯をわしわし食べた。今度はパンとバナナ入りヨーグルトと明日葉茶である。
「ねぇ、なんかすぐにお腹が減るんだけど、これって腹反応っていうらしいね。ツイッターで検索したら、猛烈に食べてる人が何人もつぶやいてたよ。自分だけじゃないから、ちょっと安心したんだけど。大盛りのラーメンやら餃子やらチャーハンやらレバニラ炒めやらをテーブルに並べて写真にアップしてる人もいたなあ。腹反応がつらくて早退したとか。なんだろうね、この食欲旺盛っぷりは?」
「へぇ、そんなこともあるんだね。ほんとになんだろうね……まあ、でもそれくらいですんでよかったんじゃない」
数日後にワクチン接種を控えているMさんは笑って言った。
Mさんもいろいろ悩んだ末、接種を決めたので不安があるに違いない。お互いに重大な副反応が出ないことを祈るばかりである。
もうすぐ一歳になる琴ちゃんのためにも、パンデミックの世の中を生き残り、元気に子育てをしなければいけない。琴ちゃんを守るという大事な使命が僕らにはあるのだ。僕はそんなことを考えながら、何か食べるものがないかなあと、またもや台所へ足を運んだ。
接種後の空腹つのる秋思かな 裕樹