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白い巨塔が真っ黒だった件

2023.08.13 公開 ポスト

サイエンスの落とし穴:3

第2章-3 華やかなエジンバラでの学会。そのときは知らなかった。サイエンスの落とし穴を…大塚篤司(医師)

現役の大学病院教授が書いた、教授選奮闘物語『白い巨塔が真っ黒だった件』。”ほぼほぼ実話”のリアリティに、興奮の声が多数。
第1章につづき、第2章「サイエンスの落とし穴」を6回に分けて公開します。

*   *   *

中世の建物を現代風にアレンジした学会会場は、丘の上にそびえ立つエジンバラ城から、歩いて二十分の距離にある。

(写真:iStock.com/mapo)

重厚な建物の中に入ると、フルーツの香りがほのかに漂う。目の前の吹き抜けに丸テーブルがいくつか並び、その上にリンゴやバナナがどさっと積まれたバスケットが置かれているためだ。その横をスーツ姿のアジア人が何人か足早に通り過ぎていく。ブロンズヘアの西洋人はTシャツにジャケットを羽織り、テーブルの横でリンゴを頬張りながら友人たちと談笑していた。

メインホールと書かれた部屋の扉を開けると、真っ暗な会場が広がっており、前方に白く光るスクリーンが見えた。横幅が六メートルほどあるそのスクリーンには、カラフルな細胞の写真と棒グラフが映し出され、スポットライトで照らされた演者は壇上から流暢な英語で自慢のデータを説明している。スクリーンを挟んで演者の反対側に黒い布が掛けられたテーブルがあり、そこにはなにやら熱心にペンを走らせている二人の座長が座っている。一〇〇〇人近く入るであろうフロアに、整然と並ぶパイプ椅子。ぶ厚いプログラムを片手に、熱心に話を聞いている参加者。

今日の夕方、ぼくはこの会場で発表を行うのだ。

発表時間が近づくにつれ、緊張は高まった。会場から少し離れた人気のない廊下で、壁に沿って並べられた椅子に座り、ぼくは最後の練習を行った。わずか七分の研究発表だったが、このために何十時間と準備に費やしてきた。発表スライドは、作成段階から谷口の厳しいチェックを経ている。読み原稿の作成、そして暗記、さらには想定し得る質問の内容とその答え、万が一、聴衆からの質問の英語が分からなかったときのための聞き直しのフレーズも全て、谷口の指導のもとで整えた。用意してきた全てをもう一度頭に叩き込んだ。

自分の心臓の音がバクバクと聞こえる。今にも吐きそうな気分だ。大きく深呼吸をしてから、小声で「よし」と気合を入れ、ぼくは巨大スクリーンが待つ会場へと向かったのだった。

発表が終わると、会場から拍手が湧いた。明かりがつくと部屋全体が照らされ、フロアにはマイクスタンドの前に一人の女性が立っているのが見えた。

(写真:iStock.com/fongleon356)

「では質問をどうぞ」

座長の声とともに、その女性がマイクをトントンと叩く音が部屋に響く。

「Congratulations」

ブロンドヘアの女性は言った。学会では素晴らしい研究成果を発表したことに対し祝福の言葉を述べることがある。日本では馴染みがないが、国際学会では時おり目にする光景だ。まさかこの言葉を自分がもらえるとは思ってもいなかったので、思い切り胸を張りたい気分だった。

女性は少し訛った英語で、実験に使った遺伝子改変マウスのことを聞くと席に戻った。ぼくがたどたどしい英語ながら質問に答えると、質問者が何度もうなずいている。

──やった、うまくいった。

「Thank you」と言って発表は終わった。

徐々に湧き上がってくる解放感を味わいながら、ぼくは壇上から降りた。するとすぐ目の前にブロンドヘアの女性が現れた。先程、ぼくの研究発表を聞いて祝福してくれた女性だった。

「私はドイツのK大学のマリア。あなたの研究はとても素晴らしかった。もしこの後、時間があるなら、私たちの研究室に来て、もう一回あなたの研究を発表してくれない?」

思わぬ誘いにぼくはびっくりして、「Thank you」と二回続けて口にした。

「残念ながらぼくはこの後、日本に帰らないといけないんだ。また次回ヨーロッパに来たときに、研究室にお邪魔させてもらうよ」

そしてこの日のために作成した英語の名刺を渡した。ブロンドの女性も「分かったわ」と言って、K大学助教授と書かれた名刺をぼくに差し出した。

──サイエンスは素晴らしい。サイエンスに国境はないのだ。

ぼくは沢山の思い出とともにエジンバラを去った。初めての海外での発表は大成功であった。

サイエンスは確かに素晴らしい。

今でもそう思う。一方で、そのときは知らなかった。サイエンスは素晴らしいが、とても厳しいということを。 ぼくがこの厳しさを思い知らされたのは、それから一年後のことである。

(写真:iStock.com/nsjoy)

(つづく)

関連書籍

大塚篤司『白い巨塔が真っ黒だった件』

患者さんは置き去りで、俺様ファースト!? この病院は、悪意の沼です! 現役大学病院教授が、医局の裏側を赤裸々に書いた、“ほぼほぼ実話!?”の教授選奮闘物語。

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白い巨塔が真っ黒だった件

実績よりも派閥が重要? SNSをやる医師は嫌われる?

教授選に参戦して初めて知った、大学病院のカオスな裏側。

悪意の炎の中で確かに感じる、顔の見えない古参の教授陣の思惑。

最先端であるべき場所で繰り返される、時代遅れの計謀、嫉妬、脚の引っ張り合い……。

「医局というチームで大きな仕事がしたい。そして患者さんに希望を」――その一心で、教授になろうと決めた皮膚科医が、“白い巨塔”の悪意に翻弄されながらも、純粋な医療への情熱を捨てず、教授選に立ち向かう!

ーー現役大学病院教授が、医局の裏側を赤裸々に書いた、“ほぼほぼ実話!? ”の教授選奮闘物語。

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大塚篤司 医師

1976年生まれ。千葉県出身。近畿大学医学部皮膚科学教室 主任教授。 2003年信州大学医学部卒業、2010年京都大学大学院卒業、2012年チューリッヒ大学病院客員研究員、2017年京都大学医学部外胚葉性疾患創薬医学講座(皮膚科兼任)特定准教授を経て、2021年より現職。専門は皮膚がん、アトピー性皮膚炎、乾癬など。アレルギーの薬剤開発研究にも携わり、複数の特許を持つ。アトピー性皮膚炎をはじめとしたアレルギー患者をこれまでのべ10000人以上診察。アトピーに関連する講演も年間40以上こなす。間違った医療で悪化する患者を多く経験し、医師と患者を正しい情報で橋渡しする発信に精力を注ぐ。日本経済新聞新聞、AERA dot.、BuzzFeed Japan Medical、などに寄稿するほか、著書に『心にしみる皮膚の話』(朝日新聞出版)、『最新医学で一番正しい アトピーの治し方』(ダイヤモンド社)、『本当に良い医者と病院の見抜き方、教えます。』(大和出版)、『教えて!マジカルドクター 病気のこと、お医者さんのこと』(丸善出版)などがある。最新刊は、自身の教授選の体験をもとにした初の小説『白い巨塔が真っ黒だった件』(幻冬舎)。

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