「彼らこそ、この会社に必要なんです」ーー社員の7割が知的障がい者の“日本でいちばん大切にしたい会社”=日本理化学工業を舞台に、働く喜びを描いた感動のノンフィクション『虹色のチョーク』(小松成美著、幻冬舎文庫)。道枝駿佑さん(なにわ男子)の主演で、2023年8月26日(土)夜9時頃から「24時間テレビ46」スペシャルドラマ(日本テレビ系)にて放送です。働くとは? 生きるとは? 今日一日、そして未来への希望を紡ぐ感動の記録。
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チョーク製造ラインで働く知的障がい者たち
「私たちの会社は、大手メーカーのように、何十人もの障がい者を毎年雇用することはできません。けれど、縁あって社員になってくれたなら、遣り甲斐のある仕事に就いてもらい、技術を磨き、健康なら定年まで勤め上げてもらいます。10代や20代前半で入社した社員は、30年、40年、50年と長年にわたって働いてくれます。つまり、日本理化学工業の原動力であり、歴史の担い手でもあるのです」
川崎工場の1階にあるチョークの製造ラインを案内された私は、すべての工程で作業に打ち込む従業員の姿に、日本理化学工業の歴史を感じていた。
社長は誇らしげに言った。
「チョークの製造ラインで働く社員は14~15人。全員が障がいがあります。繁忙期や欠勤がある場合などは、健常者の社員がラインに入ることもありますが、通常は知的障がいがある社員だけに任せています。慣れない健常者の社員が入ったほうが、むしろ足手まといになるんですよ」
隆久さんからチョーク製造の工程の説明を受ける。
工程は、(1)混練工程、(2)押出し工程、(3)切断工程、(4)乾燥工程、(5)コーティング工程、(6)梱包工程、とおおよそ6段階に分かれている。
「この川崎工場の周辺には、特別支援学校が6校ほどあります(知的障がい児、肢体不自由児、病弱児などに対して、幼稚園・小学校・中学校・高等学校に準じる教育を行うとともに障がいによる困難を克服するために必要な知識・技能などを養うことを目的とする学校を『養護学校』と呼んでいたが、2007〈平成19〉年の学校教育法の改正により、法律上の区分として『特別支援学校』と呼ばれることになった)が、そこから毎年、何人かの生徒が就業研修にやってきます」
特別支援学校の高等部の2年生から3年生の生徒は、地域の企業で1カ月弱の就業実習を行っているという。
「我が社はこの職場実習を長年行っていて、生徒さんたちには、いくつかの作業工程を経験してもらいます。そのときには、作業だけでなく生活全般の様子を見て評価をします。チョーク作りに興味があり、また向いていると思う生徒さんとは、ご家族を含め就職に向けた面接に入ります」
実習期間を経た社員は、適性を見ながら本人の希望も聞き、配属を決めていく。
「新人社員に仕事を覚えてもらう手順も、一般の企業とは違うかもしれません。第一は本人の理解力です。それに合わせて作業を選ぶので、むしろ入社後の技術や作業の習得は皆早いですよ」
作業場を歩き、その生産過程をくまなく見学させてもらいながら、私はオートメーションの工場にはない人のエネルギーを感じて、戸惑っていた。工場の製造ラインというより、むしろ職人たちの工房である。働き手の集中力が尋常ではないのだ。
そう社長に告げると「その通りです」と言った。
「健常者なら15分、30分しか続かない高度な集中力を彼らは持ち、それを数時間継続することができます。私たちが単純作業を何時間も繰り返すと緊張が切れたときにミスが起きますが、この工場でラインを任せている社員は集中力を難なく持続する能力があるんです」
それぞれの過程で正確に動く彼らは、同時に不良品などの検品も行う。
「製造途中のチョークに不具合があった場合も、私たちには見えない歪みや気泡を見つけ出してくれます。工業ロボットでは不可能な作業です。違いを見極める鷹のような鋭い目を、彼らは持っているんです」
社長の解説を聞きながら、それぞれの作業に注目すると、熟練の技が駆使されていることがわかる。誰かの動きが滞れば、ラインはその度に止まることになるのだが、この工場では就業の8時間、一度も止まることがない。
私は作業場でチョークを作る彼らの手元と表情に目を向けた。同じ作業が繰り返されていくが、単なる流れ作業ではない。すべての工程で、彼らが訓練や経験によって身に付けた技術が活かされていく。
混練されて粘土状になった材料を、チョーク押出し成形機に入れる作業を担当する菅井雅明さんに、入社日を聞いた。
「91年。3月26日だよ」
菅井さんは“暦の天才”で、西暦と月日を言えば正確に曜日を言い当てる特技がある。
「カレンダーが頭の中にあるのですか」
菅井さんは大きく頷いた。
「うん、何曜日って」
隆久さんが、ふいに年月日を言った。
「1936年4月29日」
一秒と待たず、菅井さんが答えた。
「水曜日」
「2575年11月5日」
「日曜日」
菅井さんは楽しげに曜日を答える、何度でも。
「菅井君は2011年に20年表彰を受けました。40代になって、職場のムードメーカーでもありますよ」
押出し担当の柳沢誠さんは、菅井さんと同い年だ。
「では、柳沢さんも勤続20年の表彰を?」
社長に掛けた声に柳沢さん本人が答えてくれた。
「まだ、あと4年」
隆久さんは、嬉しそうに語り出した。
「勤続表彰があります。10年、20年、30年、40年、と。皆それを励みや目標にしてくれるんですよ」
ラインのなかでも最も重要な押出し工程では、押出し成形機から長く練り上げられた粘土状のチョークが伸びている。作業する者たちは、それを精巧に美しく「3本の束×5列」に並べていくのだ。機械よりも正確な間隔で、真っすぐに。
その粘土状の真っすぐなチョークを切断し、「かじり」を取り除き、乾燥機へと入れる工程を担当するのは中山文章さん。彼は、19歳で日本理化学工業へ入社した。
ボタンを押して切断機を操作し、チョークの長さに切断する。そのチョークの品質を見て、不良品や切断されたチョークの端だけフォークで刺して取り除き、乾燥機へと運ぶ。取り除く素早さや正確さは、あまりに鮮やかだ。
「『かじり』とは何ですか」
そう問いかけると、隆久さんがプレートに並べられたチョークを見ながら解説してくれた。
「ご覧のように、乾燥前の柔らかいチョークを3本の束×5列でプレートに並べていくわけですが、この並べ方が悪いと曲がったり、他のチョークとくっ付いたりして、不良品になります。それを『かじり』と呼んでいるんです」
かじりを取り除き、切断したチョークの両端を取り除くエキスパートがまさに中山さんだ。チョークのつぶれ部分(端の部分)を取るその道具は、食事用のフォークだ。隆久さんは、作業に使うフォークを手にとった。
「この作業にフォークを使おう、と言ったのもラインで働く社員でしたよ」
フォークの先端は、チョークのつぶれ部分を取り除くために程よく広げられている。製品となるチョーク本体を決して傷つけない巧みさは精密機器のようだ。同時に、成形されたばかりのチョークの歪みや曲がり、小さな気泡などをこの作業時に見つけ、それもフォークで刺して取り除く。
「焼く前の柔らかいチョークをこんなに繊細に扱えるのは彼だけです。私がやればチョークは曲がるし、指紋は付くし、正しい製品にはなりませんよ」
中山さんは真っすぐな正しいチョークを傷つけず、「かじり」だけを取り除いていく。
「そのときには、『かじりがありました』と声を掛けることになっています。押出しの作業を担当する者は『もうかじりを出さないぞ!』と気を引き締めますからね」
中山さんの横顔に、私はこう声を掛けた。
「傷ってどういう感じなんですか? 傷のあるチョーク、教えてくれますか」
工場中に元気な声が響いた。
「かじりはありません!」
「一瞬見ただけでわかるんですね」
中山さんはこくりと大きく頷いている。
次に手にしたプレートを見た刹那、彼の表情が変わった。
「あっ! かじり、ありました! くっ付いてる」
「どれ?」
一目見ただけではわからない。
「ありました。あった、下のほう」
「どこどこ?」
「これです、これ」
「え、こんなにちょっと?」
そこには隣のチョークに触れているのかいないのかわからないほど、微かに曲がったチョークが見えた。
「これも傷になるので、製品としては出せません。日本工業規格(JIS)は絶対なので、その砦を守ってくれているのが彼ですね」
新しいプレートを見ている中山さんに今一度、声を掛ける。
「このプレートにはかじりはありますか」
「ありません」
次の瞬間、彼は歯ブラシを手にしていた。
「この歯ブラシはどこに使うんですか」
中山さん本人が答えた。
「この歯ブラシはね、こうやって、カス落としに使うよ」
切断のワイヤーにチョークのカスが付いていたら、成形の精度を保つため歯ブラシできれいに落とすのだ。
「カスが付いたときに、このブラシできれいにするんですね」
「そう。切るときに」
小気味よい作業を30分ほど見学し、その場を離れる私は彼の背に頭を下げた。
「作業を見せてくださり、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
中山さんの声に、製造ラインのすべての人たちの声が続いた。
何重ものありがとうを聴きながら、私は静かに製造ラインを離れた。
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この続きは『虹色のチョーク』(小松成美著、幻冬舎文庫)でお楽しみください。