社員の7割が知的障がい者の“日本でいちばん大切にしたい会社”を舞台に、働く喜びを描いた感動のノンフィクション『虹色のチョーク』(小松成美著、幻冬舎文庫)。道枝駿佑さん(なにわ男子)の主演で、2023年8月26日(土)夜9時頃から「24時間テレビ46」スペシャルドラマ(日本テレビ系)にて放送です。働くとは? 生きるとは? 今日一日、そして未来への希望を紡ぐ感動の記録。
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二人の少女との出会い
「今でも不思議に思うのです」
大山会長は私の前で何度も小首をかしげている。
「なぜあの先生が、若く不遜な私に何度も会いにきて、『生徒を雇ってほしい』と頭を下げてくださったのか。迷惑そうな顔と態度で接する私に熱心に話してくれたあの先生こそが、私が歩む人生の道の扉を開けてくれました」
父が社長を務める日本理化学工業に大山泰弘さんが入社して3年ほど経った1959(昭和34)年、突然に訪ねてきた40代くらいの男性が、東京都立青鳥養護学校(当時)の林田先生だった。
「その頃、専務だった私には知的障がい者に関する知識はなく、『卒業する生徒を雇ってほしい』と言った先生に、素っ気なく『責任を持てない』と断わりました。しかし、その先生は、諦めず熱心に足を運ばれるのです。今思えば、うちがチョーク屋だったからではないでしょうか。チョーク作りなら彼らにもできる、と先生は思われたのでしょう。学校の近くにあるということで、通いやすいとも考えたのではないでしょうか。その先生は三度、訪ねてきたのです」
三度目の来訪を受け、ついに大山会長は折れた。先生のこんな言葉が胸に刺さったからだった。
「もちろん、たくさんお話ししましたし、彼らの境遇も聞きました。それでも私は、厄介だな、精神薄弱の子に仕事なんてできるのか、とまったく薄情だった。けれど、先生の二つの言葉が胸を突いたのです。一つは、『卒業後、就職先がないと親元を離れ、一生施設で暮らすことになります』ということ。そしてもう一つは、『働くという体験をしないまま、生涯を終えることになるのです』ということ。何度も断った私に、先生は『就職は諦めましたが、せめて仕事の体験だけでもさせていただけないでしょうか。私はこの子たちに、一度でいいから働くというのはどういうことか、経験させてあげたいのです』とおっしゃったのです」
その言葉に、当時まだ27歳だった大山会長の心が動いた。
「その言葉に応えなければ、と思う自分がいました。2週間の期限を設け、15歳の卒業見込みの少女2名を預かることになりました」
その刹那、自分の人生が大きく転じていることなど、想像もしなかった。
「しかし、職場ではすぐに変化が起こっていったのです。チョーク工場で働く半数は中年の女性社員でした。女の子たちを見て娘のように感じたんでしょうね。2週間の実習最終日に『専務、たった二人ならなんとかなるんじゃないですか。自分たちが面倒を見るから雇ってあげてくれませんか』と、事務所へ直談判にやってきたのです。私はその勢いに押され、『わかった』と了承していました」
当時、父であり初代社長の要蔵さんは心臓を患い入院中であった。実質、息子である大山会長が経営の全権を託されており、このことは事後報告になった。
「知的障がい者を雇用することになり、病床の親父に叱責されることも頭をよぎりました。ところが親父は平然とこう言ったのです。『そんな会社が一つくらいあっても、いいんじゃないのか』と。私は親父が、創業者として途轍もない苦労をしていることを思い出していました」
農家に生まれた要蔵さんには10人のきょうだいがいた。
「自転車が好きだった親父は、商店の小僧になれば自転車に乗れると考えて、商家の丁稚に入りました。ですから親父は、小学校も満足に卒業していないんです。苦労をして叩き上げで仕事を学んでいった人でした。今振り返れば、親父は、必死に働くことで生きる道を切り開いていった丁稚の頃の自分を思い出していたのかもしれません」
黙って背中を押してくれた父の思いをそのままに、実際に工場に来て少女たちの面倒を見てくれたのは、大山会長の母・はなさんだった。
「母は、障がいのある社員が増えていっても、世話を続けてくれました。母には面と向かって感謝を告げたことはありませんでしたが、母が見守ってくれるからこそ、安堵して自分の信じた道を進めました」
日本理化学工業にやってきた少女たちは、大山会長の想像を超えてよく働いた。始業時間より1時間も早く会社に来て、雨の日も風の日も玄関が開くのを待っている。チョークを入れる箱を組み立てたり、ラベルのシールを貼ったりする仕事を、時間を忘れて行う二人。大山会長の胸には、ある疑問が抱かれるようになった。
「福祉施設にいたほうが、楽で、幸せで、守られている。そう思っていた私は、なぜ彼女たちが懸命に働くのか、不思議でなりませんでした。当時は、彼女たちにとっては、労働=苦役と思っていましたから。それなのに、何かミスをして従業員から怒られ、『もう来なくていいよ』と言われると、『嫌だ』と泣いている。『会社で働きたい』と言うのです。不思議でした。それに、私のなかには障がいのある人を働かせている、という後ろめたさがどこかにありました」
知的障がいのある二人の少女が働く姿を見て、湧き起こったいくつもの感情。それらが結い上げられ「一本の紐」になる。大山会長が出会ったある禅僧の言葉がきっかけだった。
知的障がい者雇用の決意
このまま障がい者を雇い続けるのか。チョーク工場で働いている彼女たちは本当に幸せなのか。障がいのある人に仕事をさせることは正しい道なのか。いくつもの疑問を払拭したのは、出向いた法事で同席した禅僧から聞いた「人間の究極の四つの幸せ」の話だったという。
「ある方の法事のために訪れた禅寺の住職と、会食の席で隣り合わせになり、何か話さなければと口を衝いて出たのが、彼女たちの話でした。うちの工場では知的障がいのある社員が数名働いていて、彼女たちは毎日誰よりも早く来て、一生懸命仕事をしてくれます。でも、やはり普通の人とは違って単純なミスをするので、叱ることがあるわけです。それでも毎日来るのは、どうしてなのでしょうね。会社で大変な思いをして働くより、施設で大事に面倒を見てもらったほうがずっと幸せだと思うのに、と。すると、その住職は『人としての幸せについてお教えしましょう』と言ってこう語り出しました。この四つが、人間の究極の幸せである、と」
曰く、物やお金をもらうことが人としての幸せではない。
人に愛されること
人に褒められること
人の役に立つこと
人から必要とされること
「住職はこう付け加えました。『大山さん、人に愛されることは、施設にいても家にいても、感じることができるでしょう。けれど、人に褒められ、役に立ち、必要とされることは、働くことで得られるのですよ。つまり、その人たちは働くことによって、幸せを感じているのです。施設にいてゆっくり過ごすことが幸せではないんですよ』と。人に求められ、役に立つという喜びがある。住職のお話を聞いて、そのことに気付いたのです。まさに、目から鱗が落ちる思いでした」
その瞬間から、世の中の光景も映る色も変わって見えた。
「私は、この先チョーク屋では大きな会社になれないのなら、一人でも多くの障がい者を雇う会社にしようと思いました」
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この続きは『虹色のチョーク』(小松成美著、幻冬舎文庫)でお楽しみください。