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虹色のチョーク

2023.08.26 公開 ポスト

職場に起きた軋轢と逆境を超えて ~道枝駿佑さん(なにわ男子)主演『虹色のチョーク』8/26放送小松成美

社員の7割が知的障がい者の“日本でいちばん大切にしたい会社”を舞台に、働く喜びを描いた感動のノンフィクション『虹色のチョーク』(小松成美著、幻冬舎文庫)。道枝駿佑さん(なにわ男子)の主演で、2023年8月26日(土)夜9時頃から「24時間テレビ46」スペシャルドラマ(日本テレビ系)にて放送です。働くとは? 生きるとは? 今日一日、そして未来への希望を紡ぐ感動の記録。

*   *   *

職場に起きた軋轢と逆境を乗り越えて

障がい者に働く喜び、幸せをもたらしたい。そう思い、力を振り絞る大山会長を支えていたのは、彼女たちの無言の説法ともいうべき働く姿だった。大山会長はどんなときにも、彼らを健常者の社員と分け隔てなく扱った。

「私の結婚式には社員全員を招きました。場所はパレスホテルです。披露宴では障がいのある社員たちが集って、私と妻のために歌ってくれました。歌は『赤とんぼ』です。結婚式には似合わない“唱歌”ですが、一生懸命歌ってくれたことが嬉しくて、披露宴に来ていたお客さんも皆笑顔になりました。私はそのとき、『この子たちと一緒に、チョーク屋をやっていこう』と胸がいっぱいになったのを覚えています」

大山会長は、そのハレの日の主賓に青鳥養護学校の校長を招いていた。

「今思うと、無意識のうちに、障がい者雇用の決意を学校の先生にも伝えたかったのかもしれません。また、人生をともに歩む妻にも自分の思いをわかってほしかったのでしょう」

健常者の社員も知的障がいのある社員も全員で祝った結婚式。

「あの結婚式は、私の自慢です。『赤とんぼ』は今でもいちばん好きな歌ですよ」

人生の節目を大切な社員とともに迎えた大山会長は、ますます知的障がい者の雇用を増やしていった。知的障がい者が、いきいきと働く会社を作りたい。そんな使命感に胸を膨らませる大山会長は、先に経営者として逆境に遭遇することを想像していなかった。

「この時期に訪れた状況こそ、経営者である私にとってのターニングポイントだったと思います」

一体どのような出来事があったのか、私が問うと大山会長はその詳細を説明してくれた。

障がい者雇用の実現は、大山会長の決意だけでは到底叶わない。障がい者とともに働く健常者の社員の理解と厚意・厚志が不可欠だった。会長が当時を振り返る。

「あの頃の知的障がい者の仕事は、すなわち健常者の社員の手伝いをすることでした。字が読めない、数字も数えられない彼らができることは、健常者の社員の側にいて、物を運んだり、積み上げたりすることでした。それでも健常者の社員たちは『私たちが面倒を見ますよ』と快諾してくれて、障がい者雇用は続けられていったのです」

ところが、間もなく職場に軋轢(あつれき)が起こっていった。工場のラインで一緒に働いていても、健常者の社員と障がい者の社員とでは同じ仕事ができるはずがない。障がい者の面倒を見ながら仕事をする健常者の社員は、当然、負担を負うようになった。

大山会長はその様子を克明に覚えている。

「工場でも、休憩所でも、健常者の社員はいつも障がい者の面倒を見ていました。養護学校の先生のように、いえそれ以上に、彼らが困らないように、手を取り足を取り、教えていたのです」

長らく勤める社員たちは大山会長の志や気持ちを理解し、そうした日々を黙々と過ごしたが、生活の糧を得ようとパートに来ていた主婦たちは違っていた。

「チョークの製造ラインに入ったパートさんたちが、不満の声を漏らしはじめたのです。『いろいろと手がかかり、私たちには余分な仕事が増えていく。それなのに、なぜ同じ給料なのですか』と、直談判に来る人もいました。ほとんどのパートさんも最低賃金で働いてくれていましたから、もらうお金が障がい者と一緒では納得がいかないのも当然のことでした」

障がい者雇用を心に誓い、その数を一人、二人と増やしていけばいくほど、思いもよらない反応が起こっていった。

「パートさんであろうと、障がい者であろうと、雇った以上は賃金を払わなければならない。知的障がい者雇用を始めた頃、すでに雇用者の最低賃金法がありました」

障がい者の賃金については都道府県労働局長の許可を受ければ特例として「最低賃金の適用除外」が認められていたが、大山会長はそうしなかった。

「申請をすれば最低賃金より2割から3割低くできましたが、私はそれを選びませんでした」

しかし、「仕事ができない障がい者と同じ賃金ではやっていられない」と声をあげたパートさんたちに辞められてしまえば、仕事は回っていかない。考えあぐねた大山会長は、一計を案じた。

「障がい者の仕事がパートさんより劣るからと、適用除外を申請することは、私にはできませんでした。決めたことを貫くためにも方策が必要でしたが、そこで考え出したのが『お世話手当』です。日頃から障がい者の面倒を見てくれている健常者の社員全員、そして障がい者と一緒に仕事をするパートさんたちにも『お世話をしてくれてありがとう』と、手当を出すことにしたのです」

額は小さかったが、大山会長の感謝の念と気遣いは社員全員に伝播(でんぱ)していった。こうした思いやりのある会社に勤めて良かった、と社員たちはその環境を喜んだ。ささやかな額だが、この「お世話手当」が障がい者と健常者の潤滑油ともなった。

「文句を言う社員はいなくなり、むしろ『手当をもらっているんだから、もっと親切にしましょうよ』という空気さえ生まれていきました」

職場には円滑さが戻り、退職者を出さなくて済んだ、と大山会長は胸を撫で下ろした。だが、すぐに「この環境にこそ“問題”が潜んでいる」と気付くことになるのである。

大山会長は言った。

「健常者の社員に障がい者と同じ職場で働いてもらう。その両者の関係性に注視したことにより、決して簡単には解決できない問題が浮き彫りになっていきました」

それは次のようなものだった。

「健常者が障がい者の仕事の面倒を見るというやり方でしたから、常に命令する側とされる側という主従関係が成立していました。そうしたなかで『お世話手当』は当然のものになっていましたから、健常者は世話をする側、障がい者は世話をされる側、というポジションも変わらない。施す側と施される側の固定化は、一見、整然と正しく見えますが、私は『本当にこれで良いのか』と、疑問を持つようになりました。ときには違和感を覚えるまでになっていったのです」

大山会長が感じた違和感は、小さなことではなかった。

「知的障がい者にも働く喜びを、と言いながら、職場で世話をされている。それが本当に喜びなのか、と思えてきたのです。そして、それ以上に、健常者の社員に負担をかけている現実が浮き彫りになり、健常者の社員からも働く喜びを奪ってしまったのではないか、と考えるようになりました」

その悩みの発端は、社員旅行や忘年会など、社内の行事での光景だった。

「健常者と障がい者の社員の行動や気持ちにズレが見えてきたのです。健常者の社員にとっては仕事を離れて仲間と楽しむ機会に、障がい者の世話をして、彼らに合わせていたのでは、(ほが)らかに心を解放することなどできません」

健常者の社員たちの表情には陰りや曇りが見えはじめた。

「障がい者との社員旅行ではどうしても緊張を強いられました。迷子にならないよう、他のお客さんの迷惑にならないよう、気を配るからです。温泉に入ってお酒を飲んで、のんびりするはずの社員旅行でも“お世話”から解放されません。一方、障がい者も健常者の社員と一緒に旅行に行ってトイレやお風呂や寝る場所が変わり、心細く思い、不安になって楽しむどころではない人もいました」

大山会長は、社員旅行や忘年会や懇親会の度にこの問題について悩み、健常者と障がい者を分けたこともあった。

「ぎくしゃくして誰も楽しめないなら、いっそ別々がいいと思ったのです。しかし、それは私にとっては、耐えがたいほど寂しいものでした」

熱心な養護学校の先生の来訪、知的障がいのある二人の少女との邂逅(かいこう)、心優しい社員たちの障がい者への親切心、知的障がい者にもできると信じたチョーク作りという仕事。そうしたことが相まって決めた障がい者雇用という経営方針と、大山会長はもう一度向き合うことになった。

「株主のなかには企業の成長を望むなら、障がい者雇用は止めたほうがいいという反対意見もありました。私自身、健常者社員だけの会社であるほうが、どれほど気が楽かと考えたこともあります」

大山会長のなかに生まれた迷い、逡巡は社内をざわつかせた。

「経営者が迷えば社員は不安になり、会社は不安定になります。あの小さな工場にも、そうした陰気な空気が満ちていきました」

会社だけではない。当時の社会は知的障がい者に対し、偏見を拭えなかった。

「障がい者雇用に対する冷たい視線があったのも事実です」

大山会長は迷い苦悩するなかで、会社とは何か、経営とは何かと考え続けた。そして、彼は一つの答えを出した。

「それは『重度知的障がい者の幸せを叶える会社を作り経営する』ということでした。私は決めたのです。日本理化学工業は、利益を出し成長を遂げるとともに、すべての社員に幸せを提供する、と。この二つの目的を叶えるために全身全霊で働くのが経営者であるはずだ、と自らに言い聞かせました」

大山会長はこのときから、知的障がい者がお世話される側・施される側から脱却し、力強い労働者になる方法を考え出していくのである。

その胸にはいつも、法要で会った住職の言葉があった。

「人は働くことで幸せになれる。日本理化学工業では、健常でも障がいがあっても働くことで幸せを感じてもらおう。その気持ちは、あの日からぶれることがありませんでした」

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この続きは『虹色のチョーク』(小松成美著、幻冬舎文庫)でお楽しみください。

関連書籍

小松成美『虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡』

社員の7割が知的障がい者のチョーク製造会 社・日本理化学工業。 60年もの間、障がい者雇 用を続けながら、業界トップシェアを確立す る。世界でも例のない企業として、“日本でい ちばん大切にしたい会社”と注目を浴びるが、 その一方では、社員の家族、経営者や同僚た ちの苦悩と葛藤があった。「働く幸せ」「生き る喜び」に満ち溢れたノンフィクション。

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小松成美

1962年横浜市生まれ。広告代理店勤務などを経て89年より執筆を開始。主題は多岐にわたり、人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビューなどの作品を発表。著書に『YOSHIKI/佳樹』『全身女優 私たちの森光子』『五郎丸日記』『それってキセキ GReeeeNの物語』『M 愛すべき人がいて』などがある。

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