現役の大学病院教授が書いた、教授選奮闘物語『白い巨塔が真っ黒だった件』。”ほぼほぼ実話”のリアリティに、興奮の声は大きくなる一方…!
第3章「燃えさかる悪意」も公開!第3章 全6回でお届けします。
* * *
しばらく経ったある日、ぼくは教授選の内情を知ることとなる。十五年ぶりに恩師の蒲田とご飯を食べに行く約束をしていたその日のことだ。
真っ黒だった髪の毛が全て白髪に変わり、若干猫背になったものの、蒲田の優しい面影は昔のままだった。昔話に花を咲かせ、酔いも回ってきた頃にT大学の教授選の話となった。
「今回は残念でしたね。でも、大塚くんの業績は、候補者の中で一番でした。それにプレゼンもとても良かったです」
教授選に負けたことで落ち込んでいた中、蒲田の言葉はとても嬉しかった。
「大塚くんはまだ四十代です。諦めずに頑張ってください」
「ありがとうございます。やはりぼくは若すぎたのでしょうか?」
「いいえ、そんなわけではないと思います。他の二人の最終候補者も、大塚くんと同じくらいの年齢でした」
ぼくはため息をついた。他の候補者の年齢についても噂では聞いていた。ただ、ぼくは年齢のせいで落ちたと信じたかった。
「じゃあ、なんでダメだったんでしょうか?」
「あの噂話が投票に影響したみたいです」
「……噂話って」
「そうです。先生は性格が悪いというあれです」
そう言って蒲田はハイボールを口にした。今まで見たことのないような厳しい表情であった。
言葉が出なかった。しばらくすると、徐々に怒りが体の中に湧き上がってきた。
そんなことが本当にあるのか。そんな噂話で教授が決まるのか。
これは悪意だ。苦しくもなく熱くもない、息をかければ吹き飛ぶようなうっすらとした煙。いつの間にか充満し、呼吸を奪う、悪意の煙。
目の前に白い巨塔が立ちはだかっているのを、肌で感じた瞬間だった。
どこか遠くで高笑いしている大人たちの声を、ぼくは確かに聞いた気がした。
「大塚は性格が悪い」
教授選が終わった後も、蒲田の言葉が耳に残っていた。教授選は、噂話で結果を大きく左右されるものだ──小学生の悪口のような悪意に振り回され、痛いほど身に沁みて感じたことだった。
誰かが憶測で喋ったことが、いつの間にやら真実となり、同業者に拡散する。
初めての教授選終了後、ぼくが敗れたことは、あっという間にそこらじゅうに広まった。
「残念だったね」
優しく声をかけてくれる友人。
「まだ若いから次がある」
不甲斐ない自分のことを気をかけてくれる先輩もいる。
「惜しかったね。一票差だったらしいぞ」
──え? なぜ票数まで知っている?
教授選の得票数は一般に公開されることはない。関係者から直接聞かないと知り得ない情報だ。ぼくも後日、蒲田からこっそり教えてもらったから知っていたが、肝心のT大学から知らされることはなかった。
それにしても噂話は恐ろしい。
決して友人とは言えない距離感の、単なる知り合い程度の医師にまで教授選の詳細が広まっていた。
そしてなによりぼくが恐ろしいと感じたこと。
噂話というのは、それが嘘であったとしても、それらしく伝わるということだ。
先の教授選の得票数、ぼくは一票差で負けたのではなかった。実際は、ダブルスコアの票差が付いていた。
その頃、あちこちでぼくのことを語る自称情報通が増えていた。
こんなことがあった。後輩の萩原聡(はぎわらさとし)の話だ。
まだぼくと出会う前の研修医だった頃、萩原は見学先の病院で、指導医からぼくの噂話を耳にしていたというのである。
「他にどこか病院見学に行くの?」
病院を案内してくれた指導医のHは、萩原に聞いたという。
研修のシステムは、ぼくが医者になった時代と変わっていた。医学部を卒業して、医局に直接入局する時代は終わり、まずは内科や外科などで研修する「スーパーローテート制度」が導入された。これにより、興味がある診療科があったとしても、医学部を卒業してそのまま希望の医局に入ることができない。研修医として総合的な知識を身に付けながら、専門とする分野を探すことになる。
萩原は皮膚科医になることは決めていたが、まず入る医局をどこにするかはまだ決めていなかった。
かたや医局にいる側の人間にとって、後輩の勧誘は重大任務だ。なにせ、後輩が何人入局するかによって、自分の仕事量が変わる。沢山の新人が入れば、大学病院での自分の雑用は減り、少ない人数であれば当直の回数が増える。
そんなわけでHは、探りを入れたようだった。
「ぜひ、うちの医局に入ってほしいんだけど、他にも候補考えている?」
「K大学に見学に行きます」
「ああ、大塚先生のいるところね」
「大塚先生?」
(つづく)
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白い巨塔が真っ黒だった件
実績よりも派閥が重要? SNSをやる医師は嫌われる?
教授選に参戦して初めて知った、大学病院のカオスな裏側。
悪意の炎の中で確かに感じる、顔の見えない古参の教授陣の思惑。
最先端であるべき場所で繰り返される、時代遅れの計謀、嫉妬、脚の引っ張り合い……。
「医局というチームで大きな仕事がしたい。そして患者さんに希望を」――その一心で、教授になろうと決めた皮膚科医が、“白い巨塔”の悪意に翻弄されながらも、純粋な医療への情熱を捨てず、教授選に立ち向かう!
ーー現役大学病院教授が、医局の裏側を赤裸々に書いた、“ほぼほぼ実話!? ”の教授選奮闘物語。
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