現役の大学病院教授が書いた、教授選奮闘物語『白い巨塔が真っ黒だった件』。”ほぼほぼ実話”のリアリティに、興奮の声は大きくなる一方…!
第3章「燃えさかる悪意」も公開!第3章 全6回でお届けします。
* * *
教授はどちらかというと小柄なのだが、ときに大男のように見える。
「自分なりに精一杯頑張ったのですがダメでした」
「あれはもともと出来レースだったんだよ。教授選に出る前に一声、私に相談してくれればよかったのに」
まっすぐにぼくの目を見て言った。
隣に座っている医局長はバツが悪そうな笑みを浮かべた。彼も教授選の顛末は聞いているようだった。
ぼくは動揺していることを感づかれないように、教授の目をまっすぐに見つめ返した。そこには本音とも建前とも判断がつかぬ真っ黒な空洞があった。
教授選の話はできれば避けたい。それはまだ傷の癒えていない出来事だった。ぼくは失礼を承知で、思い切って話題を変えた。
「先生の医局は産休明けの女性医師さんもほぼ復帰されているみたいですが、なにか特別なサポートをされているのですか?」
ここの医局は離職率が低いことが自慢すべきポイントであると、移動中のタクシーの中で医局長から話を聞いていた。酒の力も借り、ぼくは教授にストレートに質問を投げかけた。
「ああ、簡単だよ」
ゆるくかかったパーマはしっかりと固められていて、ピクリとも動かない。
「私に逆らったら、この県では医者を続けられないからね」
ぼくはできる限り上品に笑った。
教授の左隣に座る女性医師は、静かに視線を落とした。反対側に座るもう一人の女性医師は、教授がなにを言ったか聞き取れていなかったようだ。
ぼくの隣の医局長は気配を消していた。
ふと、教授の目が一切笑っていないことに気がついてゾッとした。
ぼくは慌ててスプマンテを喉の奥に押し込んだ。
帰り道のタクシーも医局長と一緒だった。
「うちの医局は簡単に辞められませんから」
諦めたように笑う医局長の目も、全く笑っていなかった。
●
教授選を終えた後の心境は最低だった。さらに、敗因が根も葉もない噂と知った日には、どこにぶつけていいか分からない怒りが加わった。
いつからかぼくは、やり返すことばかり考えるようになった。悪い噂を流してぼくを潰そうとした連中に対する復讐。
悪意への復讐だ。
しかし、怒りの感情を長く持ち続けることは難しい。教授選の結果が噂話で左右されるのならば、いくら頑張っても報われることはない。月日とともに復讐心は徐々に消えていった。
「医局辞めようかな」
一つ年下の妻と小学生の娘と夕食を食べながら、ぼくはポツリとつぶやいた。
「うん、いいと思うよ」
妻は大皿に盛り付けたハンバーグをフォークで取り分けながら返事をした。
「千葉の実家に帰ってさ、小さなクリニックを開業しようと思う」
娘は携帯の画面に夢中になっており、「食事中はやめなさい」と妻に注意されている。
「私はどこでも生活できる。鳥取もついていって楽しかったし」と言うのに重ねて「携帯を取り上げるよ」と娘に言った。
「前野先生のところで研究しているときも辛そうだったし、あなたは大学病院が合わないんだと思う」
ぼくは黙って妻の話を聞いていた。
「あのとき、高橋先生や谷口先生が助けてくれたからよかったけど、この先は自分で決めないといけないでしょ」
「そうだね」
「今だから言うけれど、あのままあなたが鬱で家に引きこもっていたら、私この子を連れて離婚するつもりだった」
そしてこちらを見ずに、あさりの入った味噌汁に口を付けた。
──離婚か。
家庭を壊してまで、医局に残る理由はなんなのだろうか。そこまでして教授になってなにがしたいんだろうか。本当にぼくの人生はこのままでいいんだろうか。 次の日、迷いに迷った挙げ句、ぼくは一通のメールを谷口に送ることを決めた。普段の仕事のメールに付け加える形で、違和感がないようにできるだけ自然な言葉でしたためた。
何度も読み返し、句読点を付けては外しを繰り返し、最終的にはたったの一行にまとまった。
さすがに指が震えた。
ぼくは深呼吸とともに送信ボタンをゆっくりと押した。
「今年度末で、千葉の実家に帰って開業しようと思います」
自分が医局を辞めるなんて、昔の自分からは想像がつかないことだった。
(つづく)
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白い巨塔が真っ黒だった件
実績よりも派閥が重要? SNSをやる医師は嫌われる?
教授選に参戦して初めて知った、大学病院のカオスな裏側。
悪意の炎の中で確かに感じる、顔の見えない古参の教授陣の思惑。
最先端であるべき場所で繰り返される、時代遅れの計謀、嫉妬、脚の引っ張り合い……。
「医局というチームで大きな仕事がしたい。そして患者さんに希望を」――その一心で、教授になろうと決めた皮膚科医が、“白い巨塔”の悪意に翻弄されながらも、純粋な医療への情熱を捨てず、教授選に立ち向かう!
ーー現役大学病院教授が、医局の裏側を赤裸々に書いた、“ほぼほぼ実話!? ”の教授選奮闘物語。
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