ワールドカップで強豪ドイツ、スペインに勝利をおさめ世界中を驚かせた、森保JAPANの快進撃が止まらない。
2023年9月には敵地にも関わらずドイツに4対1と再びの勝利、続いてトルコ戦とまさに「圧勝劇」を見せつけ、日本サッカーが本当に強くなったことを証明し続けている。
なぜ日本はここまで強くなれたのか?そこには監督・森保一が経験した「ドーハの悲劇」での教訓が生きているーー。負けて学ぶ本当の強さとは。
選手時代から取材し続けたジャーナリスト二宮清純氏による新刊『森保一の決める技法』より、知られざる秘話を抜粋しお届けします。
チャレンジしなかったことへの代償
2022年4月1日(日本時間2日)、サッカーW杯カタール大会の組み合わせ抽選会がドーハのエキシビション&コンベンションセンターで行われ、7大会連続出場の日本はスペイン、ドイツ、大陸間プレーオフの勝者とともにE組に入った。この時点で、コスタリカの出場は、まだ決定していなかった。
抽選会場にはW杯出場の最多記録(25試合、当時)を持つ元ドイツ代表主将のローター・マテウスやW杯優勝を2度経験している元ブラジル代表のカフーらレジェンドが集結し、4年に一度の祭典に花を添えた。
日本代表監督の森保一は、前日にドーハ入りし、英国製のスーツをびしっと着込んで会場にやってきた。表情は驚くほど柔和で、後で本人に聞くと「緊張よりもワクワク感の方が大きかった」という。
欧州列強の一角を占めるドイツ、スペインと同組に入った感想はこうだった。
「来るかな、と思っていました。強豪ぞろいで、ドイツもスペインもW杯で優勝したことがある。プレーオフがどこになるかはわからないけど、この2チームは世界でもトップ・トップ。世界的に認知されているケースが多く、分析としてはコミットしやすい」
言うまでもなく初戦に対戦することになったドイツは、ブラジルの5回に次ぐ4回(1954年スイス大会、74年西ドイツ大会、90年イタリア大会、2014年ブラジル大会)の優勝を誇る世界屈指の強豪国だ。世界ランキングこそ11位と低めだったが、W杯においてランキングはあまり当てにならない。第3戦のスペインも10年の南アフリカ大会で初優勝を果たしている。FIFAランキングは7位だ。
日本はこれまでW杯で、2回優勝国と対戦しているが、2回とも敗れている(98年フランス大会=0対1アルゼンチン、06年ドイツ大会=1対4ブラジル)。
こうした過去のデータにあたれば悲観的になっても良さそうなものだが、森保は「日本が世界に追いつき追い越せという中、経験値として素晴らしい。我々はベスト8以上を目標に掲げ、そこに入るということは世界のトップに位置するということ。相手をリスペクトし過ぎず、同じ目線で何ができるか考えたい。楽しみです」と胸を張って答えた。
さらに森保は続けた。
「93年は悲しい思いをした。今度は目標を達成して歓喜に変えたい」
93年の「悲しい思い」とは“ドーハの悲劇”を指す。94年米国W杯出場まで、あと数秒と迫りながら、アジア地区最終予選のイラク戦で試合終了間際に同点に追いつかれ、終了のホイッスルと同時に選手たちはピッチに崩れ落ちた。その時のメンバーのひとりが森保だった。
この“ドーハの悲劇”については後で詳述するが、森保にとってサッカー人生最大の痛恨事だったことは言を俟たない。
あのときの僕らは、「積極性」に欠けていたのです。残りあと数十秒を守り切ればワールドカップに行ける。そこまで辿り着いたとき、普段なら相手のマークをタイトにすべきところなのに、僕らはゴール前にへばりついて守ればいいという意識になってしまいました。そうするとどうなるか。マークが緩んでいるわけだから、相手は自由にボールを保持できるし、思ったところにボールを蹴れる。結果、クロスを入れられる。ヘディングシュートを打たれる──。
僕らは、チャレンジしなかったことに対する代償を支払わされることになりました。
状況に応じて守りに入ることは悪いことではないですが、足が止まり、相手選手へのマークが甘くなってしまったがゆえに、ギリギリのところで夢をつかむことができず、後悔することになってしまったのです。
(森保一『プロサッカー監督の仕事』カンゼン)
チャレンジしなかったことに対する代償──。それが30年前に得た教訓だった。自らが指揮を執るW杯の地がドーハとは……。本人も因縁めいたものを感じていたに違いない。
W杯の借りはW杯で返す
この試合に森保はフルタイム出場している。ショートコーナーについては「意表を突かれたものだった」という。
「僕自身、ゴール前で守りを固めていたら守れるかな、という思いはありました。僕も含め皆の気持ちが受け身になっていた。あの時、僕が何か声をかけていれば……」
キャプテンの柱谷哲二によれば、「ロッカールームは地獄絵図そのもの」だった。
「すすり泣いているヤツがいれば、声を出して号泣しているヤツもいる。それでも、皆で泣きながらロッカールームを掃除したんです」
ドーハのホテルで柱谷は森保と同室だった。
「先に部屋に戻ってソファで水を飲んでいると、ポイチが入ってきてベッドに倒れ込んで、うつ伏せになったまま泣いていました。そして泣きやんだと思ったら急に立ち上がって、フラフラとベランダに出ようとするんです。“ポイチ! ”と声をかけても返事がない。不安になって“おい、どこに行くんだ! ”と怒鳴ったら、我に返ったように“部屋が暑いから外に出ます”と言うわけです。でも部屋はクーラーがきいていて、むしろ外の方が暑い(苦笑)。もちろん、変な気を起こしたりはしなかったでしょうが、相当追い詰められていたんだと思います」
そのことについて問うと、森保は「あまり覚えていない」と言った。それくらいショックだったのだろう。
ワールドカップは夢だった。夢に賭けていた。何度も何度も合宿をして、家族といるより哲さんといるほうが長くて、本当に夢に手が届くところまできていて、つかみかけていて、つかんだと思ったら失ってしまった。あの時のことを思い起こすと今でも熱いものがこみ上げてくる。
(森保一、西岡明彦『ぽいち』フロムワン)
五輪に出場するトップアスリートの常套句に「五輪の借りは五輪でしか返せない」というものがある。サッカー選手なら「W杯の借りはW杯でしか返せない」──。
W杯出場を決める直前、目の前に遮断機が下りてきた森保たちの心情は、いかばかりだったか。代表監督となった森保はドーハ組全員の無念の思いも背負っている。目の前の出来事に一喜一憂しないのは、どん底を知ってしまったからだろう。
森保は、大きな試合の後に、日本代表監督の肩書きで出席するイベントの予定を入れない。「その時も同じ立場でいられるかどうかわかりませんから……」
契約はあっても、それは約束されたものではない。刹那に生きる勝負師の原点は30年前のドーハにある。
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続きは幻冬舎新書『森保一の決める技法 サッカー日本代表監督の仕事論』でお楽しみください。
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