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隣人を疑うかなれ

2023.10.03 公開 ポスト

3.奥多摩女子大生殺人事件、覚えてます?織守きょうや

自宅マンションに殺人犯が住んでいる? 死体はない、証拠もない、だけど不安が拭えない――。

平凡な日常に生じた一点の染みが、じわじわと広がって心をかき乱す、ミステリー長編『隣人を疑うなかれ』の試し読みをお届けします。

『隣人を疑うなかれ』織守きょうや

*   *   *

「中見たかったら、いつでも姉貴に言いますよ。漫画家さんって言ったら、テンションあがりそうっす。格闘漫画ばっか読んでますけど」

「いえっ、そんな、私なんかまだ連載も持ってないし……小崎さんは、それ、仕事関係のやつですか?」

読切が二本載ったきり仕事がなく、五年以上プロアシスタント生活を続けてきた身なので、こうして漫画家扱いされると、気恥ずかしいを通り越していたたまれない。

話題を変えようと、小崎が判子を探している間も押印する間もずっと持ったままだったタブレットを指さすと、彼はああ、と初めて気がついたかのように頷いて、画面を見せてくれた。

「そうです。千葉市OL殺人事件。犯人の目星もついていなくて、行きずりの犯行かもって言われてる……」

「結構近くで起きた事件ですもんね。私も気になってました」

その事件のことなら、何度かニュースで観て知っていた。

作業をするときは、テレビをつけっぱなしにしている。音と映像が流れていたほうが、何故か集中できるのだ。そのとき画面は近すぎないほうがいいので、タブレットやスマホではなく、テレビで映像を流していた。

確か、印刷会社に勤務する女性が、ナイフでめった刺しにされて殺されたという事件だ。

遺体が発見されたのはラブホテルと居酒屋の間の路地裏で、千葉市内……確か、ここから二駅ほど離れた場所だったはずだ。遺体の発見から半年近く経つのに、犯人はまだつかまっていない。

「最近は報道もされてないですよね。こんなに町中に防犯カメラが増えて科学捜査も発達した時代で、殺人犯がつかまらないなんてことあるんだなって、びっくりしました」

「他人に興味ない人が増えてますからね。……それと、これです。奥多摩女子大生殺人事件。覚えてます?」

小崎がタブレットを操作して、別の記事を画面に表示させる。

それも、以前、テレビで観た覚えのある事件名だった。

「あ、そういえば……そっちもまだ、犯人つかまってないんでしたっけ。物騒ですね」

OL殺人事件の何か月か前に起きた事件で、私立大学に通う二十歳の女子大生の撲殺された遺体が廃墟の奥で発見されたというものだった。廃墟は知る人ぞ知る心霊スポットだったらしく、女子大生は動画配信とブログ記事作成のために現場を訪れていたようだと報道されていた。

「この二件、何か似たものを感じるなって思って、それを記事にできないかなって」

「似て……ます? ニュースを観たときは、特にそう感じませんでした」

東京と千葉、どちらも関東圏の事件とはいえ、距離は結構離れているし、撲殺と刺殺というように、殺害の手口も違う。被害者が若い女性、というところが共通してはいるけれど、女子大生とOLでは、全く同じではないし、報道された被害者の顔写真も、似たタイプというわけではなかった気がする。

私がそれを指摘すると、小崎は大きく頷いた。

「そうなんです、だからたまたま、犯人の手がかりのない事件が二件続いただけって見方も多い、っていうかそういう見解がほとんどなんですけど……二件とも、被害者に性的暴行の跡はなく、金品を奪われてもいないんですよ。なんていうか、殺すためだけに殺したように見えるっていうのかな」

こういう殺人って、意外と少ないんですよ、と彼は言って、タブレットに表示された記事をスクロールする。

「怨恨、ってことですよね」

「普通はそうっすよね。でも……」

小崎が何か言いかけたとき、スマホが鳴った。私のは部屋に置いてきたから、小崎のものだ。

「あっ、すみません」

「いえ、どうぞ出てください。判子ありがとうございました。私はこれで失礼します」

私は会釈をして、小崎の部屋の前を辞した。

小崎と話すのは楽しいし、漫画家のはしくれとして、事件の話に興味はあったが、わざわざ電話が終わるのを待ってまで立ち話を続けるほどではなかったし、回覧板を隣のマンションへ届けに行かなければならない。

スマホへと手を伸ばしながら小崎がこちらを振り返り、慌てた様子で会釈を返す。ドアが閉まる前、小崎のパーカの背中に、「NO EGG NO LIFE」と大きく描かれた文字が見えた。

私は念のため、すぐ隣の自分の部屋のドアに鍵をかけ、回覧板を小脇に抱えて外階段を下りて、隣のマンションへと向かう。部屋の電気はつけたままだが、数分で戻るのだからいいだろう。

これまであまり気にしたことがなかったが、マンションの名前はベルファーレ上中というらしい。小崎の言ったとおりの名前が、建物の壁にくすんだ銀の文字で貼ってあった。

管理人は気のよさそうな老人で、足が悪いらしく動きはゆっくりだったけれど、丁寧に建物のまわりを掃除している様子をよく見かける。今日も、植え込みの間から、駐輪場の掃除をしているのが見えたので、「こんにちは」と声をかけた。

関連書籍

織守きょうや『隣人を疑うなかれ』

鮮烈デビューから作家生活10周年。『記憶屋』『花束は毒』の著者、最新ミステリー長篇! 自宅マンションに殺人犯が住んでいる? 隣人の失踪をきっかけに不穏な疑念を抱いた主婦の今立晶は、事件ライターの弟とともにマンションの住人たちを調べることに。死体はない、証拠もない、だけど不安が拭えない……。ある夜、帰宅途中の晶のあとを尾けてきた黒パーカの男は誰なのか? 平凡な日常に生じた一点の染みが、じわじわと広がって心をかき乱す長編小説。

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隣人を疑うかなれ

9月21日刊行の、織守きょうやさんの最新ミステリ長篇『隣人を疑うなかれ』の試し読みをお届けします。

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織守きょうや

1980年イギリス・ロンドン生まれ。2013年、講談社BOX新人賞Powersを受賞した『霊感検定』でデビュー。15年に日本ホラー小説大賞読者賞を受賞した『記憶屋』は映画化され、シリーズ累計60万部を超えるベストセラーとなる。著書に『彼女はそこにいる』(KADOKAWA)、『花束は毒』(文藝春秋)、『花村遠野の恋と故意』『辻宮朔の心裏と真理』(幻冬舎文庫)ほか。

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