今年3月2日、66歳で逝去した新興宗教団体「幸福の科学」創始者、大川隆法氏。その長男であり、また、次期総裁候補として育てられながら今は教団と袂をわかっている宏洋(ひろし)氏による手記『神になりたかった男 回想の父・大川隆法』を、弊社より9月28日に発売いたします。大川隆法氏の素顔、教団内部のシステム、新興宗教とは何だったのか。あますことなく綴られた本書の「第1章」をお届けします。(書籍ご購入はこちら)
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第1章 ひとりぼっちの少年
後に新興宗教「幸福の科学」の総裁となる大川隆法(本名中川隆)は、1956年に四国の徳島県麻植郡川島町(現在は吉野川市川島町)に生まれた。吉野川と徳島の山々に挟まれた、個人商店が並ぶ小さな町で、隆法は高校生まで暮らした。
今でものんびりした田舎町なのだから、隆法が実家を「田舎」「山の奥」などと書いたのは誇張ではないと思う。
今は「聖地・川島特別支部」の管理下にある隆法の生家は、JR徳島線の阿波川島駅からすぐのところにある。僕も行ったことがあるが、いかにも田舎という感じの小さな駅だった。
共産党と宗教と
隆法の家庭は、両親と兄がひとりいる4人家族だった。
隆法の父、つまり僕の祖父は名前を中川忠義という。ただし宗教活動では善川三朗と名乗っていた。
祖父の記憶はあまりない。僕が関東で育ったのに対し祖父はずっと徳島にいたし、僕が中学生のときに亡くなっているからだ。
ただ、「あ、この人は隆法に似ている」と感じたことは覚えている。
いつだったか、家族で徳島の隆法の実家に行ったときの帰り。理由は忘れたけれど、祖父が「ワシも東京に行くんじゃ!」と暴れ出したからだ。隆法のわがままは父親譲りなのかもしれない。
祖父から隆法への影響は他にもある。政治と宗教への関心だ。
祖父は今でいうフリーターみたいな人で、さまざまな職を転々としていたらしい。だから一家の家計を支えていたのは理髪店をやっていた彼の奥さん、僕の祖母だった。
祖父は若いころ、少しだけ東京で暮らしていた時期があり、そこでキリスト教を学んだり、新宗教「生長の家」の創始者である谷口雅春に教えを受けたりしたという。さらに戦後、徳島に戻った祖父は共産党に近づき、県委員会の機関紙『徳島新報』の発行にまで深く関わったらしい。祖母と知り合ったのもそのころだという。他にも祖父は徳島新報に記事を書いたり、共産党の評論誌に小説を応募したりもしている。祖父の宗教と政治への関心はずっと続いていたようで、隆法の生家には政治や宗教の本がたくさんあったというし、「おじいちゃま」(隆法は僕らの前では祖父をこう呼んだ)は食卓でもよくそういう話をしていた、と隆法は言っていた。
重要なのは、祖父が徳島を訪れた宗教法人GLA創始者、高橋信次の講演を聞き、感銘を受けたらしいことだ。隆法と幸福の科学がGLAから強い影響を受けていることは有名な話だが、その影響は祖父から来たものかもしれない。
宗教と政治に興味がある、少しエキセントリックな人。それが祖父だ。息子である隆法への影響は何かしらあったと考えるほうが自然だろう。
しかし隆法の人格形成を語る上で避けて通れない人がもうひとりいる。
隆法の兄だ。
兄への劣等感
隆法には4つ年上の力という兄がいた。僕の伯父にあたる人だが、僕が4歳のときに病気で亡くなっている。
この伯父が、非常に出来が良かったらしい。子供のころから勉強が得意で、後には京大に現役で合格している。しかもまずいことに、(容姿にコンプレックスを抱いていた誰かとは違って)ハンサムだった。
京大に現役合格したことからもわかるように、伯父は要領もよく、頭の回転も速かった。いっぽうの隆法は、本人の言葉を借りるなら「亀のよう」で、「兎のようにあか抜けた秀才にはなれない」ことを自覚している少年だった(どちらも土屋書店版の『太陽の法』から)。
隆法はそんな兄への劣等感を抱えて育ったに違いない。
親が期待をかけていたのは兄のほうで、自分にはあまりスポットライトが当たらなかった、と隆法は言っていた。隆法少年が毎晩遅くまで勉強していたのは、兄に向きがちな親の期待を勝ち取ろうとしたためでもあったんだろうと思う。
伯父は祖父によく似ていたらしいけれど、隆法は僕のことを祖父似だとも言っていた。つまり容姿に関しては祖父―伯父―僕という流れがあり、隆法だけがやや仲間外れだったことになる。
ひょっとしたらそのことも、隆法の、伯父や僕への複雑な感情につながっていたかもしれない。
猛勉強の甲斐もあり、小中学校時代の隆法の成績はとてもよかった。中学校では生徒会長も務めたというから、リーダー願望はこのころからあったんだろう。
高校進学では、隆法は兄を追うように同じ徳島県立城南高等学校に進む。徳島では有名な進学校だ。
ところが、どういうわけか、高校での隆法は目立たない存在だったらしい。
隆法についてのルポルタージュを雑誌に書いた作家の佐野眞一は、執筆のために隆法の高校時代の同級生たちに取材をしたが、隆法についてはっきりした記憶を持っている人はいなかったと書いている(『月刊 Asahi』1991年4月号)。成績も特に良くはなかったという証言もある。
この記事で、同級生のひとりは高校時代の隆法について「みんなとも遊ばなかったし、小太りで運動神経もニブく、女生徒にはまったくモテなかった」と言っている。ガリ勉の秀才は、このころには僕がよく知る大川隆法になっていたのかもしれない。
(続く)
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