自分が好きなことにさえタイパを追求する――Z世代を中心とした意識の変化を分析する幻冬舎新書『タイパの経済学』より、内容を抜粋してお届けします。
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推し活にもタイパの風
さて、若者のオタ活について本書とは脈略なく論じたように見えるかもしれないが、ここまで説明したことで、筆者が抱くタイパやコスパに関する疑問に触れることができるのだ。
従来の文脈で言うエリートオタク(今で言うガチヲタ)の消費やコンテンツ嗜好に対する価値観と、一人の消費者がいくつもの興味対象を持ち、その対象それぞれをオタク趣味と自認し、さまざまなジャンルやコンテンツに対して「自分はオタクです」と自称する若者文脈で言うオタクの価値観とでは、その性質は大きく異なる。とはいえ、少なからず後者においても、そのコンテンツが好きだから消費するという点は従来のオタクと違いはないだろう。
前述した通り、将来へのビジョンが見出しにくい場合、消費は現在志向になりがちになる。エリートオタクと同水準とまではいかないが、カジュアルに楽しむ層にとっても、オタ活はその日その日を乗り切るための活力となり、精神的充足の側面を擁しているはずだ。それなのに、そのオタ活でもタイパやコスパを追求する者がいるのだ。
それが合理的なものなら筆者もわざわざ認めない。しかし、例えば推しが出演しているドラマや映画でどれを観るべきなのかと他のオタクに尋ねたり、好きなアイドルグループがいても表題曲(CDのタイトル曲)しか聴かず、ライブでは他人が投稿したセットリストを参考にその曲だけを予習して参加するなど他人の知見や経験にあやかる。自身で汗をかいて情報収集したり、推しが参加している楽曲や映像をすべて消費するといった、従来のオタクが当然のようにしてきたこともせず、好きなモノを好きなように消費するというスタンスが今では主流になっている。「オタクなら消費してて当然」「オタクなら知ってて当然」という「べき論」が強要されることも少ない。
さらに、マンガやアニメオタクを自称していても、そのマンガやアニメのDVDを保有している者は少なく、なかには違法アップロードされた動画を視聴している者もいる。音楽でもオタクと自称しながら、YouTubeに投稿されたものしか聴かない者もいる。
「お金を消費しなければオタクではないのか?」と聞かれたら「YES」とは言えないが、自分で対価も払わず、時間をかけることもないフリーライダーと、そのコンテンツに命を懸けている消費者が、同じ「オタク」として総称される点に筆者は疑問を抱いている。
「半年ROMれ」「ggrks」はもう古い
SNSを利用することで気軽に他のオタクと交流することができるようになったゆえに、匿名ネット掲示板2ちゃんねる時代の「半年ROMれ(コミュニティのコンテクストを理解しろ)」や「ggrks(自分で調べろ)」といった従来のオタクたちが強いられてきた暗黙のルールをすっ飛ばして、安易に他のオタクに聞く丸投げな姿勢に対しても疑問を抱くオタクもいる。
「半年ROMれ」や「ggrks」の精神は、知りたいことはたいがい掲示板での会話に存在しているので自分で調べればわかるという考えに基づいており、安易に聞くという行為はタブーであった。なにより好きなモノに対して他のオタクに質問するという行為は、自身の無知や自身の情報探索能力の低さを露呈する行為であるため、恥ずべきことであると考える層も存在する。
そういった意識を持つオタクたちに対して、丸投げで安易に質問をするという受け身な姿勢は、「本当にそのコンテンツが好きなのか」という疑念を抱かせるのである。
このような「詳しくなければオタクを名乗ってはいけないのか」「別に熱心にオタクをやるつもりもない」といった若者たちのオタクに対するスタンスが、従来のオタクにギャップを与えている。
再三述べてきたが、オタ活や推し活をはじめとしたエンターテインメントは別に消費しなくても生きていける。そのうえで、自分が好きで消費しているのならば、その消費は能動的であるべきだと思うし、探求心や興味の幅を自ら狭めるのはもったいないと思う(余計なお世話かもしれないが)。
一方で、彼らを擁護するわけではないが、さまざまなモノに興味を持ち、その場その場で消費されていくモノが異なるのは、現代消費社会を見ればおかしなことではないだろうし、それこそ同じ対象物にしか興味を持たず、それだけを熱心に消費している者のほうが稀有だろう。これだけの情報やモノに溢れているなかで一つの興味対象だけを愛せというほうが酷だし、いろんな趣味があることはなんら問題のあることではない。また、好きなモノを消費するうえで、義務感や他人からの強迫観念に駆られてしまうのもおかしいとは思う。
熱量に関係なく人はオタクを名乗る。自身の趣味に優劣をつけ、熱心に消費しているモノもあれば、表面的で、受動的で、つながりを得ることを目的とするレベルで消費しているモノもあるのである。
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この続きは幻冬舎新書『タイパの経済学』でお楽しみください。