清田隆之さんによる“能力”への見解を著書『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』よりご紹介します。
サッカーは上手くなりたいけれど
20年近く同じサッカーチームに所属している。趣味の集まりではあるものの、毎週グラウンドの予約や練習試合のマッチメイクをやってくれる代表者や、チーム戦術や出場メンバーを考えてくれる監督、さらには練習のサポートや試合の映像撮影を担当してくれるマネジャーまでいて、アマチュアの草サッカーではあり得ないほどのプレー環境に恵まれている。
メンバーは20代から50代まで多様だが、監督は四六時中ヨーロッパのサッカーを見ているような戦術オタクだし、学生時代は体育会の部活動でバリバリやっていたような選手もいて、総じてサッカー熱が高い。チーム戦術をしっかり理解しつつ、技術やフィジカルに関しては個々人で磨いていかねばならず、頭も身体もとても疲れる。贅沢で刺激的な環境である半面、ついていくのがやっとという側面もあり、ミスをしたり試合に出られなかったり、悔しい思いやふがいない思いをする瞬間も少なくない。
私はチーム幹部の一人として選手間のコミュニケーションを調整する役割を担っているのだが、ここ数年、チームのレベルが上がっていくにつれてモチベーション維持に苦しむメンバーが増えているのが悩みどころだ。技術やフィジカルに劣るメンバーは週に1回のチーム活動以外でも自主的に練習をし、少しでも差を埋めていきたいところなのだが、平日働いている社会人にとってはこれがなかなかに難しい。長時間労働の仕事だったり、子育てをしたりしているようなメンバーにとってはなおさらだ。
私自身もそんな悩みの渦中にいる。上手な選手の足を引っ張らないよう努力を重ねなければならない立場で、ランニングや筋トレ、ボールを使った自主トレや戦術理解度を高めるための勉強など、やらねばならないことが山ほどある。
しかし、仕事と子育てで手一杯というのが本音で、それに取りかかるための時間と体力が確保できない。モチベーション維持に苦しんでいる他のメンバーも概ね同じ状況で、励まし合いながらなんとか頑張っている……のだけど、グラウンドの上では結果がすべてであり、忙しさはなんの言い訳にもならない。ふがいない思いをするのも、ミスをして怒られるのも、結局は自分のせいということになってしまう。
それでもやはり上手くいかないときは落ち込むし、そうなると思考はどんどんネガティブな方向に傾いていく。例えば時間とエネルギーをすべて自分のために使える(ように見える)独身者をうらやましく感じてしまったり、「既婚の子持ちなのにそこまでサッカーに打ち込めるのは家事や育児を妻任せにしてるからだろ!」と家庭を顧みない(ように見える)一部のメンバーを心の中で腐したりしてしまうことが正直ある。
時間と体力が有限なものである以上、抱えている事情を鑑みながらそれぞれの選択と判断でその使い方を決めていくしかない。だから確かに結果がすべてなのかもしれないけれど、〝たられば〞を考え、欲張ったり後悔したりすることをなかなかやめられない。
能力主義や結果至上主義の世界ではどれだけ時間とエネルギーを費やせるか、どれだけ結果にコミットできるかが勝負になってくるわけで、それに囚われすぎると最大限利己的かつ効率的になるのが正解ということになってしまう。
個人的に結果がすべてという価値観には賛同したくないし、趣味の活動なんだから純粋にその時間を楽しめばいいのではという話でもある。しかしそれが難しいのはなぜなのか。「本当の俺はこんなもんじゃない」という謎のプライドゆえ? それとも「課題を見つけて克服していくことが成長なのだ」という意識を内面化しすぎてしまっているせい?
自分なりのペースややり方で楽しめるのが趣味のいいところだとは思いつつ、どうにも競争や成長といったものに囚われてしまう自分もいる。そもそも週に1回サッカーができるのは双子たちの面倒を見てくれる妻や義母のおかげであり、やらせてもらっているだけで「ありがとうございます!」という話なのだが……。
40代のアマチュア選手として、そんなことを悶々と考えながら残りのサッカー人生を悔いのないものにしていきたいと思う。
おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門
2023年11月17日開催の清田隆之×勅使川原真衣「能力主義の生きづらさ~仕事中心社会のモヤモヤをおしゃべりでほぐす~」講座に向けて、清田さん著『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』の試し読みです。