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なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル

2023.11.24 公開 ポスト

#5

イスラエルは入植地を拡げ、パレスチナ難民は増える 政治風景を一変させた中東戦争高橋和夫

中東戦争に勝利し入植地を拡げるイスラエルに、パレスチナ人の英雄・アラファトが一矢を報いる――イスラエルとハマスの衝突が進める国際社会の分断。中東情勢の背景が良くわかる!と話題の書籍『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』より、一部を抜粋してお届けします。

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中東戦争に勝利し入植地を拡げるイスラエル

いずれにしろ、こうして1948年にイスラエルが成立した。これをもって紛争が始まり、この紛争の歴史は、約60年とも言われている。

しかし、説明してきたように、問題が発生したのは、それ以前である。19世紀末に始まったヨーロッパのユダヤ人のパレスチナへの移民によって引き起こされている。

ただイスラエルの建国と同時にパレスチナ難民問題が発生した。つまり、60年の歴史として語れるのは、パレスチナ問題そのものではなく、その問題の中の一つの問題であるパレスチナ難民問題である。

(写真:Unsplash/Ahmed Abu Hameeda)

イスラエルは、難民が故郷に戻るのをさまたげ、難民の残した家や土地を没収し、新たにヨーロッパや中東各国から移民してきたユダヤ人に与えた。

イスラエルの存在を認めない周辺のアラブ諸国と、イスラエルの間に対立が続いた。そして1956年にスエズ戦争とも言われる第二次中東戦争が、さらに、1967年に第三次中東戦争が起こった。

第三次中東戦争では、イスラエルがエジプト、ヨルダン、シリアを打ち破った。エジプトからはガザを、ヨルダンからはヨルダン川西岸地区を奪った。これでパレスチナの地のすべてが、イスラエルの支配下に入った。

さらにエジプトからはシナイ半島を、シリアからはゴラン高原を奪った(次の「第三次中東戦争」後のパレスチナと周辺の地図を参照)。これらは歴史的にパレスチナと考えられてきた範囲の外側の土地である。この戦争は6日間で終了し、中東の政治風景を一変させた。

この戦争でイスラエルが新たに支配下に収めた土地、つまりヨルダン川西岸、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原は、国際法上は占領地とされる。しかし、この占領地にユダヤ人が移り住み始めた。これを入植と呼び、占領地でユダヤ人が住んでいる地域を入植地と呼ぶ。この戦争以降、現在に至るまで入植地は拡大を続けている

パレスチナ人の英雄となったアラファトがPLO議長に

エジプトのナセル(ガマール・アブドゥル・ナセル)大統領が、故郷を解放してくれると期待していたパレスチナ人にとっては、1967年の第三次中東戦争でのアラブ諸国の敗北は、ショックであった。もはや誰にも期待できない。

パレスチナ人は、自ら戦う以外ないとの決意を固めた。そうした動きの先頭に立っていたのが、ヤセル・アラファトであった。アラファトはゲリラを組織し、ヨルダンを拠点に出撃し、ヨルダン川西岸のイスラエル軍を攻撃した。

1968年、イスラエル軍は、アラファトのゲリラを追って、ヨルダンのカラメという村に侵攻した。ここでアラファトのゲリラたちは、反撃してイスラエル軍を退却させた。これがアラブ世界を歓喜させた。

エジプト、シリア、ヨルダンの軍隊を6日で敗走させたイスラエル軍に、パレスチナ人のゲリラが一矢を報いたからだ。アラファトは英雄となり、1969年にPLOPalestineパレスチナLiberationリベレイションOrganizationオーガニゼイションパレスチナ解放機構)の、第2代議長に就任した。

しかし、ヨルダンを拠点とするパレスチナ・ゲリラの活動は、ヨルダンの王制を脅かした。ヨルダンは、第一次世界大戦後にオスマン帝国から奪った土地に、イギリスが人工的に創り上げた国である。その王は”アブダラ”で、パレスチナの地を約束されていた”フセイン”の息子であった。

イギリスが、第一次世界大戦中にオスマン帝国に支配されていたアラブ人に反乱を呼びかけ、戦争に勝利したら独立国家を認めると約束した「フセイン・マクマホン書簡」については、前に紹介した。このフセインというのは、当時のアラブ人の指導者であった。

 

このヨルダンに、イスラエルの成立後に多くのパレスチナ人が難民として流入した。現在のヨルダンの人口の半分以上は、難民と、その子孫のパレスチナ人である。

ヨルダンのアブダラ国王は、公然とイスラエルと交渉したために、パレスチナ人の怒りを買い、暗殺されてしまった。その後継者となったのは、孫の”フセイン”であった。

1970年、フセインのヨルダン軍パレスチナ人のゲリラが衝突した。ヨルダン内戦という事件である。ヨルダン軍が勝利を収め、多くのパレスチナ人が殺された。敗れたアラファトは、残ったゲリラとともにレバノンへと移動した。亡命先からの亡命であった。

パレスチナ・ゲリラがレバノンへ逃げ込んだのは、レバノンの政府の力が弱く、それを阻止できなかったからである。

また、1948年のイスラエルの成立時に、多くのパレスチナ人が難民としてレバノンへ流入していた。アラファトは、レバノンに拠点を移して、北からイスラエルを攻撃した。

*   *   *

この続きは書籍『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』でお楽しみください。

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高橋和夫『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』

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なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル

中東情勢の複雑な過去、背景をわかりやすく解説する話題の書籍『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』より、一部を抜粋してお届けします。

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高橋和夫

福岡県北九州市生まれ。大阪外国語大学ペルシア語科卒業。コロンビア大学国際関係論修士。クウェート大学客員研究員等を経て、現在、放送大学教授。『燃えあがる海――湾岸現代史』(東京大学出版会)、『アラブとイスラエル――パレスチナ問題の構図』(講談社現代新書)、『イランとアメリカ――歴史から読む「愛と憎しみ」の構図』(朝日新書)、『現代の国際政治』(放送大学教育振興会)など著書多数。

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