妊婦の2人に1人は読んだことがある(かもしれない)妊娠ポエム界のマスターピースが存在するのを、あなたはご存知だろうか。
おとうさん おかあさん
あなたたちのことを こう 呼ばせてください。
あなたたちが仲睦まじく結びあっている姿を見て
わたしは地上に降りる決心をしました。
こんな書き出しで始まる、胎児視点の斬新なポエムのタイトルは『私があなたを選びました』(鮫島浩二・著、植野ゆかり・絵/主婦の友社)。胎児が未来の父母に向かって、あなたを選んで生まれたきたのだと語りかける体裁になっている。作者は詩人ではない。産婦人科医である鮫島浩二氏が一晩で書き上げた詩なのだそうだ。興味があればご一読を。
ひとたび生まれ落ちるや妊婦から妊婦へ、口コミで評判が広がって絵本にもなったこのポエム。絶版となった今も各地の両親学級で、病院で、愛読され続ける泣ける妊娠文芸のエヴァーグリーンといえるだろう。この原稿を書くために読み返してみたが、恥ずかしながらまたも胸キュンに襲われてしまった。女34歳ポエムに胸キュン。ほっといて。
この詩が評判を呼んだからか、かの有名スピリチュアラーの育児本のタイトルも『江原啓之のスピリチュアル子育て―あなたは「子どもに選ばれて」親になりました』(江原啓之・著/三笠書房)。一方、326ことナカムラミツルのお父さん向け育児本のタイトルは『パパとママをえらんで、ボクはうまれてきたんだよ。』(326・著/シンク・ディー)。今や「妊娠育児本」科「子供は親を選んで生まれてきますよ」目は、一大ジャンルを築いているといっても過言ではない。
「子供は親を選んで生まれてきますよ」メッセージは、なぜかくも母親(父親)たちをキュンとさせるのか。それは赤子への愛が、つねに一方通行だからである。「あら何言ってるの、赤ちゃんはお母さんが一番なのよ」。どこからか見知らぬオバチャンの突っ込みが聞こえてきたが、必ずしもそうではないことは、ほかならぬオバチャンたちが一番ご存知のはずである。
確かに人見知り期を迎えたわが子は母の顔が見えないだけで泣きだし、遊びにきた祖母が抱くなりギャン泣きし、母がだっこまたはおんぶしないことには日も暮れぬ(この原稿もおんぶして書いてます)。私は赤子を愛しているので、別に一日中一緒でもかまわないのだが、赤子が母を愛しているかというと、それはかなり怪しい。乳の出が悪いときなどは、生え始めた歯で乳首をかんで一人前に嫌がらせをしてくることも(叫び声が出るくらい痛い)。そんなときは「私のおっぱいだけが目当てなのね!」と巨乳ギャル気取りでキレたくもなる。母よりもおいしいおっぱいを飲ませてくれる女の子がいたら、そっちにいっちゃうんでしょう、んもう、バカバカ、もう知らない。
ああ、悲しき片思い。私はあなたにこんなに尽くしているのに、あなたの頭の中は乳とおもちゃのことだらけ。母の顔が見えないと泣き出すのも、食いっぱぐれを心配しているだけなのではなかろうか、という疑いがこみあげてくる。
父親はもっと悲惨である。人の顔の見分けがつくまで、父親が帰宅するたびに満面の笑みでキャッキャはしゃいで仕事の疲れを解きほぐしていた癒し系エンジェルことわが子は、今や父親の顔を見るなり泣き出してしまう始末。
「今まで僕の顔を見て笑ってたのは、そこらへんのおばさんに笑いかけるのと同じ感覚だったのね……」と夫はショックを隠しきれない。かわいそうに。
そりゃ恋愛じゃないのだから、相思相愛になるわけもなければなる必要もない。だけれども、われわれはあまりにも恋愛至上主義に毒され過ぎたのである。あ、大げさに言い過ぎたけど続けます。自由恋愛がもたらす高揚の中に、「好きな人間に選ばれた」という承認感が多くを占めるのは、恋愛経験者なら誰もが知るところだ。自分にとって価値ある人間に、ほかの誰でもなく自分一人が選ばれることで、自分の価値を確かめたいんである。なんだったら世界に一つだけの花になりたいんである。そうして凡人たちは神様がいない世界で自分の存在意義を見出してきたのだ。
選んで選ばれて生きてきたからには、子供にだって選ばれたい。ほかの誰でもない、あなたの子供に生まれてきてよかったと言われたい。それが「愛される」ということなのだと、なぜか私たちは思っている。わが子が天上から私たちを見て、「やや、あの家にはいけないマンガとマニアックな本がいっぱい。体育会系じゃないからスポーツとか強要されなさそうだし、気が弱そうだから叱られても怖くなさそうだし、あたしみたいな文化系胎児にはぴったりの両親だわ~。よ~しあの母の腹に着床しようっと!」なんつってやってきてくれた子ならどんなに嬉しいか。
でも、そうじゃないんだろう。
だいたい、胎児に親を選ぶ権利があるならば、虐待家庭に子供が生まれることはないはずだ。「山手線ゲーム!ドラクエの呪文」「ベホイミ」「ライデイン」「ベギラマ」「……ラナケイン?」「ねーよ!おまえあのシャブ中の母親と鈍器のようなものを抱えた情夫の家な」「いやだ~」「四の五言わずに生まれて来いや!」……胎児界にそんな罰ゲームでもあるなら話は別だが。
「子供は親を選べない」というのは、かつては子供に親の勝手を押し付けないよう、親たちを戒めるために使われた言葉だ。でもそれじゃつまらない、と思うのが私たち。「私があなたを選びました」と言われることで赤子との相思相愛を夢想せずにはいられない。
しかし改めて冒頭の詩を眺めてみれば、
おかあさん
わたしのためのあなたの努力をわたしは決して忘れません。
お酒をやめ 煙草を避け 好きなコーヒーも減らしましたね。
たくさん食べたい誘惑と本当によく戦っていますね。
わたしのために散歩をし 地上の素晴らしさを教えてくれましたね。すべての努力はわたしのため あなたを誇りに思います。
酒も煙草ももともとやらないし、食欲ともあまり戦わなかったけど、こんな風に褒められて悪い気はしない。
おかあさん
あなたの期待の大きさに ちょっぴり不安を感じます。
わたしの顔はあなたをがっかりさせるでしょうか?
わたしの身体はあなたに軽蔑されるでしょうか?
わたしの性格にあなたはためいきするでしょうか?
わたしのすべては 神様とあなたたちからのプレゼント
わたしはこころよく受け入れました。
きっとこんなわたしが いちばん愛されると信じたから。
そして褒めたあとにすかさず「親の勝手を押し付けるなよ」とやんわり釘刺し。このポエム、押し付けがましい言葉は注意深く取り除かれているものの、これはこれで形を変えた親への戒めなのだ。「子守歌を聞かせ、母乳で育児」を提言して「大きなお世話」と総スカンをくらった教育再生会議に見習わせたい説法上手ぶりである。
なあんだ、おじさんの説教か、と思うと胸キュンもどこへやら。それに敬語で畳みかける子供って、よく考えたら怖いよ。赤子への愛はいつも片思い、それでいいじゃないの。愛とか人を天秤にかけるとか、面倒くさいことを知らないから、赤子は無心でキュートなのだ、たぶん。
文化系ママさんダイアリー
フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??
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