謎とロマンにあふれている古代文明。あの建造物や不思議な絵などは、いつ、誰の手で、何のためにつくられたのか……? 世界中に残る謎に満ちた遺跡や神秘的なスポットについて解説。今回は「ハンニバルのアルプス越え」の謎をお送りします。
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戦象37頭を従えたハンニバル軍
古代ローマは、建国から500年余りで地中海の周辺で無敵の存在と化した。最大のライバルは現在のチュニジアで栄えた通商国家カルタゴだが、ローマは三次に及ぶポエニ戦争(前264~前146)のすえ、これを完全に葬り去った。
ローマの勝利は決して約束されたものではなく、第二次ポエニ戦争(前218~前201)においては、敵将のハンニバルにあと一歩のところまで追い詰められ、危うく白旗を挙げるところだった。
カルタゴのハンニバルは、マケドニアのアレクサンドロス大王、ローマのカエサル、フランスのナポレオンと肩を並べる世界史上でも屈指の名将。騎兵を巧みに使った包囲殲滅戦を得意としたが、それより何より、ハンニバルの名を不朽のものとしたのは、戦象をも従えた精鋭を率いて敢行した「アルプス越え」だった。
第一次ポエニ戦争(前264~前241)がシチリア島を主戦場としたのに対し、第二次ポエニ戦争で前線の指揮を任されたハンニバルは、現在のスペインからピレネー山脈とアルプス山脈を越えて、北からローマに迫る進軍計画を立てた。
前218年8月初頭、ハンニバルはスペインの地に弟のハスドルバルを残し、まずは北東へ軍を進ませ、ピレネー山脈を越える。
続いてアルプス山脈越えを開始したのが、9月半ば過ぎのこと。その軍容は歩兵3万8000人、騎兵8000人、戦象37頭、替えの軍馬と荷車多数からなっていた。
侵攻ルート解明は古代の〇〇がカギとなった
平地では秋の盛りでも、4000メートル級の高山が連なるアルプス山脈はすでに冬。冷たい雨や冬の降る日は厳寒期なみに気温が下がり、地中海性気候のなかで生まれ育ったカルタゴ人にとってはもちろん、本来は赤道付近に生息するアフリカ象には、なおさら厳しい環境だった。
ハンニバルがアルプス越えに要した歳月は15日間。10月初頭、生きてポー河流域に出られたのは歩兵2万人、騎兵6000人、戦象20頭(替えの軍馬と荷車の損害は不明)というから、かなりの損害率である。のちに歴史家の関心は、ハンニバルのその後の戦闘より、アルプス越えの正確なルートに向けられた。
正確なルートに関しては、現在に至るまで数百冊の本が出され、何十通りもの説が提示されたが、どれも決め手に欠けていた。物証が皆無だったからである。
物証としては、同時代の硬貨、ベルトの留め金、短刀などが連想されたが、2016年、意外なものの発見が事態を急展開させた。人びとを色めかせた意外なものの正体は、大量に堆積した動物の糞(ふん)の痕跡だった。
同年4月7日付のAFP通信の記事『ハンニバルの侵攻ルート解明か、古代の馬糞がカギに』によれば、痕跡を発見したのはカナダ・ヨーク大学のビル・マハニー氏率いる国際研究チームで、場所はフランスとイタリアの国境に位置するトラベルセッテ峠とのこと。炭素同位体分析を行ったところ、堆積物の年代は紀元前200年頃で、馬糞によくみられるクロストリジウム菌の存在を示す有意な証拠も発見されたという。
科学の力で謎が全容解明か
トラベルセッテ峠は過去にも有力ルートの一つとして候補に挙げられながら、その狭さと海抜3000メートル近くという高度を理由に否定する向きが強かった。インド象よりさらに大きなアフリカ象を含み、替えの軍馬と荷車をも大量に連ねた大軍が進むのは非常に困難と思われたからである。
けれども、現に時期的に符合する大量の糞の痕跡が発見されたとあっては、有力な物証と認めざるをえず、戦象の糞の痕跡も発見されれば、ほぼ確定と言ってもよい。その頃、多数の軍馬と戦象を率いてアルプスを越えたのはハンニバルと、前207年に援軍を率いてきたハスドルバルしかおらず、ハスドルバルのもとにもハンニバルから分与された戦象20頭がおり、ハンニバルと同じルートを取ったとされているから、糞の痕跡がどちらの残したものでも問題はない。
また、同月6日付のCNN配信の記事『ハンニバルのアルプス越え、軍馬の「ふん」でルート判明か』には、調査に携わった北アイルランド・クイーンズ大学ベルファストの微生物学者クリス・アレン氏が、糞の中に寄生虫の卵が残っている可能性に言及。
「遺伝子レベルでより多くの情報を得られれば、古代に生きたこれらの動物の出身地域なども正確に判別できる」との見解を示しており、科学の力でアルプス越えの謎が全容解明される日は、もうそれほど遠くはないのかもしれない。
「超」古代文明の謎
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