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文化系ママさんダイアリー

2008.02.01 公開 ポスト

第一回

文化系女子、三十路過ぎてママさんになるの巻堀越英美

 文化系の人間はあんまりママさんに向いてないように思う。

 赤ちゃんがいると映画館や美術館にはおいそれと足を運べないし、マンガ喫茶にも行けないし、カフェでひとり読書なんて夢のまた夢。そもそも育児中は文化にかまけている余裕なんてまったくない、とは先輩ママの弁。大変ですねえ。私はずっと本ばかり読んでいたいから子供なんていーらない。

 フニャ~。

 わー、だれだお前。

「私ですか? いやだなあ、あなたがフラスコの中で馬糞と精液を発酵させて培養したちょっぴりチャームなホムンクルスじゃないですか~。生き血くださいよ~、パミィィ」

 こうくれば文化系らしいし、人様に発表する価値もあろうというものだが、泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられているごくごくありきたりの赤ちゃんである。もちろんまだしゃべれない。

 どうしてこんなことに。

 周囲の人々も怠け者の私がママさんになるとは予想外の外だったようで、「なぜ子供を産む気になったのか」とよく聞かれる。そのたびに「さあ……」と考え込む。正直生まれた今でもよくわからない。夫に聞いてみたが「何でだっけ?」とこちらも私以上にぼんやりだ。しかしこれだけママさんに向いていない人間が子供を産もうと考えるにいたったインセンティブを明確に書き留められれば、少子化に歯止めをかける一助になるかもしれない。さあ、思い出すんだ。

 あれは数年前、ペンギンを触りたい放題触れるという夢の楽園・掛川花鳥園を訪れたときのこと……。呆けた顔でペンギンにデレデレしつつ、ふと周囲を見渡すと、園内は若いカップル、子連れの夫婦、熟年夫婦ばかり。子供のいない妙齢の女は微妙に場違いであるようだ。おのずと走る後ろめたさ。お前はここで何をしているんだと。ペンギンをなでているその手は、本来わが子の世話に使うべきなんじゃないかと。こんなところで母性本能の無駄撃ちをしてる場合じゃないだろうと。

 生まれて(生まなくて)、すみません。

 以来動物園に行っても、水族館に行っても、この種の後ろめたさが拭えない。夫婦そろって動物が大好きなばっかりに……美術館とミニシアターと高級レストランを根城とするハイソな文化系だったらよかったのに……。こんな思いをするくらいなら……産んだほうがマシ!

 これが一番大きなインセンティブだったのかもしれない。どうしよう、思いっきり後ろ向きだ。しかもあまり普遍的でない。

 もう一つ思い出した。女も30を過ぎるとあまり伸びしろが見えなくなってくる。同世代に比べて明らかに幼稚なのに、社会人デビューして10年近くにもなれば、いきなり視野が広がるような目新しい出来事はそうそう起こらない。しかしこの精神年齢のまま人生の終局を迎えるのはあまりにしょぼい。あと何をすれば大人になれるんだろう。ホノルルマラソン? 自著表紙でフルヌード? ガンジス川でバタフライ?……一番手軽なのは出産ですよね、やっぱり。

 そんな、腹の子にしてみれば「知るか!」というような安直な理由でも、することをして月満ちれば赤ちゃんはやってくる。3日がかりの出産は聞きしに勝る難事業だった。見舞いに来た元ボクサーの父がおびえて逃げ出すほどの阿鼻叫喚地獄絵図。あのときばかりは軽い気持ちで出産を決めたことを後悔した。しかし後悔したのは後にも先にも陣痛の最中だけだった。生まれてきた赤子は赤黒くて毛深くてなんだか変な物体だったけど、もともと一緒にいたようななじみ深い存在であり、辻仁成風に言えば「やっと会えたね」であり、つまりそこにいて当然の人間だったから、生んでよかったも悪かったもなかった。やあやあ、世に出すのが遅くなってごめんねえ。もう少し早く産む気になってたらよかったんだけど。

 生まれたてのわが子は案外母親には無関心で、岡本太郎のように目を大きく見開いて両手を広げ、世界が案外大きいことに驚いているようだった。

 出産後……確かに本を読む時間は減った。授乳中に読めなくもないのだが、ホルモンのせいか、細切れの時間だからか、あまり読む気が起こらない。それでも授乳中はヒマなので、テレビをよく見るようになった。テレビというのは思いのほか出産ドキュメントが多い。不意打ちのように他人の出産シーンが映し出されるのでびっくりする。今までは興味がなかったのでスルーしていただけかもしれない。これがバカの壁というやつでしょうか。一度経験してみると他人の出産は人それぞれに個性があって面白く、いっそ前後のドラマはいらないから出産シーンだけ100連発で見せてくれないかと思う。BGMはロッカフェラー・スカンクあたりで。珍プレー好プレー的な感じで。

 そのほかつい見てしまうのが大家族スペシャル。傍目はばからぬ夫婦喧嘩、遠慮会釈のない子供の反抗期……考えさせられる、わが子の未来と自分たちの行く末について。しかし要は他人の家庭を覗き見てわが身に引き比べて愉快がっているだけなのだから、「1男1女山田家! 熟年離婚の危機! 年末大掃除スペシャル」とかでも面白いんじゃ? と思わなくもない。大家族である必然性は。

「はじめてのおつかい」の面白さについては言わずもがな。なんだったら泣くのも辞さないぐらいの感情移入ぶりだ。毎週やってくれればいいのに。

 しかし子供を持ってテレビを面白がれるようになったということは、テレビ番組というのはおもにお母さんのために作られているんだなあ、と思う。こうして育児を経て文化系女子は凡庸なプチブルおばさんになってゆくのだろうか。いいのかそれで。なんだかいいような気がしてきた。つまり私が何者であるかということなんか、どうでもいいじゃないか。という感じだ。

 おお、これこそ自意識からの解放? 大人への階段? いやそんな大それたアレではなく、ただただめんどくさいのだ、育児・家事・仕事以外のことを考えるのが……。空いた時間はひたすらぼんやりしていたい。この分ではしばらく前衛文学も難解なSFも読めなさそうだ。出産は大して私を大人にしなかったが、バカの度合いをさらに進行させた。おかげで幸せだ。言い忘れたが、子供はペンギンよりかわいいのだし。 

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文化系ママさんダイアリー

フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??

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堀越英美

1973年生まれ。早稲田大学文学部卒業。IT系企業勤務を経てライター。「ユリイカ文化系女子カタログ」などに執筆。共著に「ウェブログ入門」「リビドー・ガールズ」。

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