電話というのはあまり得意ではないが、週に1度、必ず電話をかける方がいる。
名前は、左右典之さん。仕事の話からプライベートの話まで、短いときで1時間、長いときで8時間近く話したこともある。
左右さんは、作家仲間でも、ディレクターでも、芸人でもない。"タクシー運転手"だ。
左右さんと知り合ったのは、2012年の大阪。
当時、僕はNSCの養成所に行っていた。同期が集まるサイゼリヤに左右さんはやってきた。「40代のおっちゃんが同期にいる」という話は噂で聞いていたから、前々から会ってみたいと思っていた。第一印象は「同世代の同期よりも話しやすいおっちゃん」だった。
それからというもの、左右さんと僕は頻繁に連絡をとるようになっていた。僕たちには「島田紳助さんを尊敬している」という共通点があった。左右さんは紳助さんのことをよくこう話している。
「社会問題になっていた時代に暴走族だった人が、テレビで司会者になって、政治を語っているという凄さ。普通のヤンキーでもとんでもない人間になれるんや! を体現してくれた方」「人が好きで情に厚い。紳助さんは当時MCを務めていた『人間マンダラ』で、よく泣いていた。さんまさんの神対応もそうだが、“情で生きる”は、昭和の当たり前のことだった」「そういう人間らしい紳助さんが好きなんや」
島田紳助さんと左右さん
左右さんは「有名になりたい!」という気持ちから、19歳の頃、劇団に入っていたそうだ。しかし、蓋を開けてみればエキストラの仕事ばかり。そんな左右さんが劇団を辞める決心をして地元・大阪に戻ったのは、27歳の頃だった。自分の将来について模索していたときに出逢ったのが、映画『ショーシャンクの空に』。最後まで諦めず、希望を捨てない主人公の姿に感銘を受けた左右さんは、紳助さんに「弟子にしていただけませんか?」と手紙を送る決心をする。
返事はなかったが、左右さんは折れずに手紙を出し続けた。すると3通目で、紳助さんから返事が来た。
そこには、「僕のポリシーは27歳という年齢ではとれません。あなたみたいな真面目な方は、この世界には向いていません。この世界に入るには色々な方法があるから頑張ってください。」そう記されていたという。
いち視聴者の手紙に返事を書いてくれる紳助さんこそが、テレビで観ていた紳助さんであり、その律儀さと情に左右さんが感動したことは言うまでもない。その手紙は宝物として、今でも大事に持っているそうだ。
僕が左右さんから学んでいること
業界人同士で飲みに行ったときは、最近観たテレビの話、面白い企画の話、新しいテレビの編成の話など、ある意味内輪の会話にしかならない。しかし、左右さんと話すときは、家族の話、育児の話、人の話、政治の話~のように、とにかく"普通の"会話が多い。これは、田舎に帰って地元の友達と話すときと近い感覚である。左右さんはお茶の間代表として、今の世の中が何に興味を持っているのか教えてくれる。
先日、左右さんに「最近のテレビはどうですか?」という質問をした。すると左右さんは「お笑い番組がブームになったことで、各局が真似をして番組を作るけど、人は笑うだけじゃ生きていけない。澤井君には、それを伝えていって欲しい。良い人材を育ててくれる番組が少ない」と答えてくれた。
今のテレビ業界は、作り手が自己満足するだけの企画が飽和状態だ。本当は「番組を通して何を伝えるべきなのか?」が重要なのに、「新しければ良い」という風潮が残っているように感じてしまう。
左右さんは、業界にどっぷり浸かって視聴者側の気持ちを見失ってしまう僕を引き揚げてくれる、大切な存在だ。
左右さん、これからも、沢山、沢山、会話させてください。
放送作家・澤井直人の「今日も書く。」
バラエティ番組を中心に“第7世代放送作家”として活躍する澤井直人氏が、作家の日常のリアルな裏側を綴ります。