2019年10月、福岡県・太宰府市で平凡な主婦の凄惨な遺体が見つかった。「太宰府主婦暴行死事件」と言われるこの事件は、洗脳し、暴行を繰り返した犯人の非道、残虐もさることながら、被害者家族から何度も相談されたのに向き合わなかった鳥栖警察署の杜撰な対応が問題視された――その事件を追った報道特別番組「すくえた命~太宰府主婦暴行死事件~」は2021年日本民間放送連盟賞番組部門・テレビ報道最優秀賞受賞を受賞しました。
12月13日発売の本書『すくえた命 太宰府主婦暴行死事件』は番組作りに取り組んだ、テレビ西日本の塩塚陽介記者による、胸が熱くなるノンフィクション。塩塚さんに書籍化にあたっての想いを綴っていただきましたので、発売に先駆けてお届けします。
著者コメント
実は、以前にも書籍化のお話を頂いたことがありましたが、その時はお断りしていました。
というのも、事件を掘り返すことで再びご遺族の心理的負担となってしまうのでは? という思いと、私自身も壮絶な取材の日々ですり減っていた心が癒えたわけではなく、当時の出来事を文字化して記憶を鮮明にすることで、再び苦しみの奥底に引きずりこまれてしまうのではないかと恐れていたのです。
こうした中、2022年の冬に‟ある作品“との出会いがありました。それは同じフジテレビ系列局・関西テレビが制作したドラマ「エルピス~希望、あるいは災い~」。スキャンダルによってエースの座から転落したアナウンサー・浅川恵那(長澤まさみ)と彼女に共鳴した仲間たちが、犯人とされた男の死刑が確定した「未成年連続殺人事件」の冤罪疑惑を追う中で、一度は失った“自分の価値”を取り戻していくというストーリーなのですが、おそらく私は、あのドラマを最も苦しい思いで見た視聴者の1人かもしれません。
調査報道という地道で孤独な戦い。他者からは「使命」というありふれた言葉で形容されがちな割に、時には自分の存在意義さえも問い直したくなるほどの重責。ドラマが報道という世界をリアルに表現すればするほど胸が苦しくなりました。
しかし、主人公の浅川恵那のある台詞が、調査報道を終えて部署を異動してもなお苦しんでいた私の心を激しく揺さぶりました。
「あらゆるものを私利私欲で分解し、すべて惰性へと溶かし込むコンポストみたいなこの職場から、自分の仕事を取り戻して見せますよ。絶対に」
この台詞は私が調査報道をやっていた時の職場に対する怒りをよく表していたのです。
1人でどこまで背負うのか? なぜ共に戦ってくれないのか? もはや理解すらされていないのではないか? と。そこに立ち向かっていく主人公に当時の自分を重ね合わせていました。
しかし、調査報道を終えて1年以上が経ったこの頃の私はまるで抜け殻のようになっていて、いつしかあの時嫌悪していたはずの「あらゆるものを私利私欲で分解した惰性のような日々」を過ごしていたのです。
そんな時、幻冬舎さんから本の執筆依頼が来ました。もしかすると心にべったりと張り付いているあの日々を書き残すことで、私自身の中でしっかりとこの事件を着地させ「再びあの頃の自分を取り戻す機会」になるのではないかと思い、お話を受けることにしました。
この調査報道は「警察の怠慢で家族が亡くなった」という遺族の訴えを他社よりも早く聞いたことがきっかけでした。しかし取材を進めると、「佐賀県警の無謬主義の呪縛」「未だに事件化されていない女性の不審死」「証言者が取材後に犯した殺人事件」等々、この事件が抱えるあまりに深い闇が次々と明らかになり、気力体力共に限界かという場面が何度も訪れます。
それでも私たちが取材を止めなかった理由はただひとつ。「市民に寄り添わなかった警察の不作為を追及している我々が、遺族に最後まで寄り添わないことはあり得ない」という信念です。
私見ですが、大量の情報が物凄いスピードで消費されていく現代社会では、マスコミも大衆ウケする記事をいかに早く提供するかに重きを置いている傾向にあり、‟コスパが悪い“このような複雑な事件は社会からもマスコミからもすぐに忘れ去られているように思います。その結果「捜査情報の先出しをすることが特ダネ」だと思い、捜査関係者との関係づくりに力を注いで「報道機関に求められた本来の役割」を忘れかけている記者が多くなってはいないでしょうか。
この本は決して権力と対峙し、過ちを認めさせたローカル局のカッコいい記者たちの話ではありません。助けを求める遺族の苦しみを共に背負い、不器用ながらも共に歩もうとした記者たちの約2年に及ぶ奮闘記です。
我々マスコミや警察は何のために国民から力を負託されているのか。この本によって少しでも良い社会となる小さなきっかけになれば幸いです。
テレビ西日本 塩塚陽介