季節は一瞬の秋を過ぎて冬へ。会社に近い外苑のいちょう並木もテレビで見ただけで、もうコートの季節だ。
市況はどんどん悪くなっていくが、目の前のミッションを淡々と片付けていいくだけ。傍観者でも、評論家でもなく、汗かくプレーヤーであり続けたい! そんな日々をどうぞ!
某月某日
紀伊國屋書店新宿本店で行われた、第12回日本歴史時代作家協会賞受賞記念トーク&サイン会に出席。村木嵐さんの『まいまいつぶろ』が作品賞を受賞したので、そのお手伝い。村木さんはこれまでにも『頂上至極』『阿茶』など幻冬舎から出してくれている。5月に刊行した『まいまいつぶろ』をゲラで読んだのは1月。この作品を読めたのなら、今年の時代小説が全部つまらなくてもいい、と誰にとっても厚顔不遜で大変失礼な感想を抱くくらいハマった。のちにこの作品は「本屋が選ぶ時代小説大賞」も受賞。全国の書店員さん、本当にありがとうございます。11刷(12月初旬現在)までコツコツ積み上げることができたのは23年の大豊作。イベントの合間を縫って村木さんに初めましての挨拶をさせていただく。
その後、副都心線で渋谷へ移動。鈴井貴之さんのイベントの人員整理に駆り出される。営業スタッフと編集者の2名で運営しているので、そのヘルプ。お客さんは「水どうファミリー」の要素が高め。
某月某日
土曜日はイベント。おかげ様で晴天。ØMIさんの『LAST SCENE』のイベントで人数は1000人規模。とにかく熱気がスゴイので、予期せぬ事故などが起きないようにスタッフ一同で対応しなければいけない。朝から会場に入って、午後イチで交代スタッフが来て私は解放されたが、当然ØMIさんは一日中。本当に大変だと思うが、ファン一人一人の目を見てきちんとお話しをされていた。カッコいい。
その後、昨日イベントをやってくれた鈴井さんと担当編集者が書店回りをしているので、そちらへ同行。わざわざ北海道から来ていただいて、イベントだけでなく書店回りも丁寧にやっていただく。各店で作っていただいたサイン本は瞬く間に売り切れてしまった。夜、新幹線で大阪へ移動。明日のØMIさんの大阪イベントに備えて前入りする。土曜日の夜の車内の弛緩した空気がたまらなく心地いい。この土日はイベントでつぶれるが、なんか気持ちいい。
某月某日
移動が続く。土日で東京と大阪でイベントをやって、月曜の今日は会社で仕事を終えて米原まで新幹線。明日は滋賀・長浜に朝イチで行くので前日入り。会社のある北参道駅から東海道新幹線に乗るのは、副都心線で新横浜駅まで一本で行って乗り換え。(※業務連絡:新横浜駅での乗り換えには10分くらいみておいたほうがいい)米原駅に着いたのは21:30。この地に降りるのは初めてだ。駅前にはコンビニもなかったが、こんなこともあろうかと、食事は新横浜駅の京樽で買ったお寿司で済ませていた。翌日、予定通り長浜で会合を済ませ帰京。琵琶湖の湖畔にそびえる長浜城は秀吉の手によるもの。大河ドラマの影響でまた観光客が増えているという。
営業の仕事をしていると各地の観光地にも足を運ぶが、どこに行っても足早に通り過ぎるだけで、いつかゆっくりまた訪れたい、という場所だけがどんどん増えている。
某月某日
また出張。名古屋駅近くで書店員さんとランチ。このランチはとあるお礼の意味があって担当者がセットした。おいしくたべて、コースはデザートまで進む。そしてそのデザートで運ばれてきた皿にはチョコパウダーでメッセージまで書かれていた。今回はお礼の席だから、担当者が気を回して事前に用意してもらっていたのだろう。さすがです。で、そのメッセージを良ーく見ると「TANKS!」とある。直訳すると「戦車!」?。どんな意味だろう? まさか「THANKS!」を間違えた? こういう時には気にしないのが一番なのだろうが、つい店員さんに「これ、どんな意味なんですか?」と聞いてしまう自分は性格が悪い。あの時の店員さんのハッとした顔は忘れられない。
名古屋では「中部トーハン会」に出席。東海地区のトーハン帳合の書店様の会合で、私は数年ぶりの参加。こういう会合では、取次会社の首脳が、現状の分析や今後の方針など講演するので、それをできるだけメモに取っている。ちなみに、私のサラリーマン人生は週刊誌の記者で始まったので、話を手書きのメモに取るのはよく訓練されている方だと思う。長かったり、早口でしゃべるような講演でも手書きでメモを残す。20代の時にいろいろとテクニックを磨く機会を得たおかげ。
この日の講演では、(1)返品率を下げること、(2)24年に直面する物流問題などが主題。「持続可能なビジネスモデル」にする、という話だった。我々の業界はそういうレベルなのだ。
某月某日
名古屋のホテルで目を覚まして、早朝の新幹線に乗って会社へ。車中、ぼーっとしながら、ここ数日を振り返る。土曜(東京→新大阪)、日曜(新大阪→東京)、月曜(新横浜→米原)火曜(米原→品川)水曜(東京→名古屋)、で今日が木曜(名古屋→新横浜)と毎日新幹線に乗っていた。東京ー大阪は約550キロ、他の路線の距離も調べるとこの5日間で2800キロ新幹線に乗っていた。ついでに東京からの距離を調べるとソウルが1157キロ、北京が2100キロだという。なんか移動しすぎで、こんな計算しかしていない。外食が多いのと、睡眠不足が原因なのか、口内炎がずっと治らない。
明日は金曜日だが休みをもらっている。そうだ、明日も新幹線に乗って金沢へ行くのだった。
某月某日
『小説幻冬』の年一好評企画の「23年の文芸振り返り対談」を、アルパカ内田さんと行なう。今年が3回目。もうそんな季節になったんだなと実感する。1日1冊読むことを日課にしている(!)アルパカ内田さんが、持ってきてくれた今年のPOP全点が壮観。しかし、内田さんと話していると、自分がまったく小説を読んでいないなと反省。内田さんは本を紹介するのが得意なので、どれもこれも本当に面白そう。出張の新幹線で、自分の移動距離を計算したりするヒマがあったなら、1冊でも多く小説を読めばよかったと反省。今日から書店パトロールの最中に、内田さんが薦めていた本を毎日買うことにする。年末年始に読もう。対談後は、会社近くの焼き鳥屋さんと編集Sと内田さんと3人で忘年会。面白い小説はこんなにあるのに、なんでもっと売れないのかな。編集者も必死に作品を作っている。書店さんも必死に売っているのに。
某月某日
夜遅く家に帰ったタイミングで伊集院静さんの訃報が入った。25年以上も前だが、伊集院さんにはずいぶんと可愛がってもらった。初めて会ったのは山の上ホテルの執筆部屋。伊集院さんのために用意された木製机に、万年筆が数本と原稿用紙、スポーツ新聞と飲みかけの紅茶があったのを覚えている。誰にも、特に若い人には優しかった。ただ、何か納得できないことがあると、その場の空気が悪くなるのを分かっていても怒れる人だった。深夜、バーの電話を借りて突然奥様に電話して二言三言話すと、「あとは任せた」と受話器を渡されたこともあった。「この小説は読んでおいたほうがいいぞ」と酒場でコースターににいくつかの小説のタイトルを書いてくれたことも。僕が、伊集院さんが作詞した歌をカラオケで歌うと、「いい歌詞だな」とみんなを笑わせた。寂しがり屋だったが、群れるのは嫌いな人だった。
結婚式にもらった私宛の祝電は「これからの日々であなたが我慢して済む事なら、すべてあなたが我慢しなさい」という文面だった。
なりたくてもこんな大人にはなれないな、とは20代の自分にもわかった。あの頃の伊集院さんの年齢はすでに越えてしまったが、まだ自分は半人前だ。あの大きな背中はまだ遠い。