平凡な主婦が洗脳・暴行され命を落とした、「太宰府主婦暴行死事件」。2019年10月に発生したこの事件の各メディアの報道は、年が明けると下火になっていった。しかし、どのメディアよりもリードしていたテレビ西日本報道部は、番組作りに向けて「太宰府事件取材班」を結成した。
『すくえた命 太宰府主婦暴行死事件』より
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鳥栖警察署への質問状
年が明けて2020年1月9日、山本、岸、松尾が、山本が通っていた美容室の従業員から現金149万円を脅し取った疑いと、亡くなる1週間前に瑠美さんから現金10万円を脅し取った疑いで福岡県警に再逮捕された。山本は4回目の再逮捕、岸と松尾はそれぞれ3回目だった。
ところがこの頃、各メディアの報道はすでに下火になっており、この事件を扱わなくなるところも出始めた。
私見だが、報道機関というのは事件の背景があまりにも複雑に入り組んでいると早々に手を引きがちだ。思うに、世間が情報についてこられなくなるがために、視聴者・読者にとってわかりやすい内容か否かという部分を基軸にして、報道する事件を取捨選択する節がある。
例えば、2023年1月に博多駅前で飲食店従業員の男が元恋人を包丁で刺殺した事件などは報道が過熱しやすい事件の典型である。「博多駅前」「衆人環視の中」「ストーカー」という世間の耳目を引きやすい要素が並んでいるため、視聴者の興味・関心が高いと判断されるのだ。
一方で太宰府事件は、人間関係が複雑で事件の背景および前提を説明するのにどうしても時間がかかってしまう。だから説明している途中で視聴者に飽きられてしまうと判断し、マスコミの熱も続かなかったのではないか。
この事件は登場人物が非常に多い。さらに、10年以上前の瑠美さんの兄の借金トラブルも含めるといきさつは複雑だし、こうした事実以外にも、山本が危険人物であることを鳥栖署に何とかわかってもらおうと妹や内縁の夫が独自に調べていた、山本周辺の失踪事件や金銭トラブルのいわゆる「噂話ネタ」も多くあった。遺族はまだ取材を受けるか迷っていたが、私たちはいつでも動き出せるように空いた時間を見つけては人物相関図や時系列を整理する作業に勤しんでいた。
「もう少し取材の人数を増やした方がいいですね」
私は記者室で不格好な人物相関図を眺めながら西川さんに言った。
私たちの頭には「ある人物」の顔が浮かんでいた。
「どした? こんなとこに呼び出して! なになに? 2人とも真面目な顔して!」
飄々とした感じで報道フロアの会議室に現れたのは、報道部で内勤のディレクターをしている木村慶だ。慶さんは元々フジテレビの社会部で働いていたフリーのディレクターで、出身が福岡ということもあり、2年前からTNC 報道部に新戦力として加わっていた。
フジテレビ系列の事件記者でこの男を知らない人がいるとすれば、その記者のいる地域は殺人事件が起きない平和なエリアなのだろう。全国ニュース級の事件が起きれば必ずと言っていいほど取材班に入り、SNSを駆使して事件に関連する投稿や動画を見つけたり、ネットを通じて取材対象者を見つけたりしては交渉する能力に長けている。いわば「地回り空中戦」のスペシャリストだ。
それでいてかなりマメで、TNCが工藤會(全国唯一の特定危険指定暴力団)の特集を組んだ時には会社のアーカイブをすべて見返して組織の史実をまとめ上げるという、何ともマニアックな仕事を進んで引き受けたりもする変人だ(その時の特集はYouTubeで再生回数が1000万回を超えているものもある)。
慶さんに事件のあらましと現状を伝えると、みるみるうちに顔つきが変わった。
「相当大変になるね……みんなで頑張ろうや」
そう言うとすぐ我々の取材メモをかき集め、年表づくりに取り掛かった。
また、複雑なこの事件をわかりやすい構成に仕上げるためには、記者からあがってくる原稿を放送用に手直しする“信頼できるデスク”の存在も重要だ。
そこで海外特派員やドキュメンタリー制作も経験した最年少デスク・松永裕二郎に声をかけた。永松デスクは入社以来報道一筋。ことあるごとに飲みに連れて行ってくれ、若手の気持ちを汲んでくれる私たちの兄貴分的存在だ。
さらに、遺族の心理的負担を考えてカメラマンは常に同じ人がいいだろうという判断から、取材中に気になったことがあったら記者に負けじと相手に質問するような熱いカメラマン・青野寿俊を招聘。
ここに「太宰府事件取材班」が結成された。しかし、翌2月。社会は一変する。新型コロナウイルスだ。
テレビ西日本も他局と同じく、日本中で猛威を振るうこの正体不明のウイルスによって、社会が大混乱に陥る様子を報道することに日々追われることとなった。
その一方で、緊急事態宣言の発出で人が出歩かなくなったために、事件・事故の発生は激減。それによって奇しくも取材班の作業は捗った。思わぬ誤算だったが、おおよその年表が整理でき、事件の輪郭がようやくつかめてきた。
いつもなら世間は花見のシーズン。花見客を失った桜がそれでも満開に咲き誇ったこの頃、事態は動き始める。
遺族の心境はここまでずっと、揺れ動いていた。
鳥栖署に相談を繰り返していたのに取り合ってくれなかったのはなぜなのか、という怒りは、おさまるどころか日に日に増している。
一方で、いまや続報を打つ報道機関もないことから、太宰府事件への世間の関心は薄らいでいた。瑠美さんを失った悲しみが癒えることはないが、ニュースをはじめとする周囲からの注目が逸れることで、徐々に平穏な「日常」に戻りつつあるのは事実だ。
怒りを原動力とした「この事実を誰かに知ってほしい」という思いと、「そっとしておいてほしい」という思いが交錯していた。
悲しいかな人間の記憶というものは、時間の経過と共に薄らいでいくものだ。瑠美さんの事件も時間が経つにつれ世間からもっと忘れられてしまうだろう。
だからもし報道するとしたら、一日でも早い方がいいと私たちは思っていた。
でも私たちは、待った。
警察の杜撰な対応が事実であるならば、あまりにひどいのは明白だ。しかし、瑠美さんの悲劇から時間が経過したのに、遺族たちは事件のことを思い返さないといけない。また、もし警察を追及するのであれば、我々報道の人間と一緒に警察を糾弾する覚悟を持たなくてはいけない。周囲の人間は“色々な目”を向けてくるだろう。せっかく少しずつ「日常」という凪の状態になってきているのに、自ら嵐の中に飛び込み強い風に逆らいながら歩かなければならない。
事件を蒸し返して取材が始まれば、明らかに遺族が今よりも大変な状況になるのは目に見えている。それを知っているからこそ、一方的に「報道します」なんて決めずに遺族に寄り添い続け、遺族自身が決心するのを待ったのだ。
遺族も取材を受けるとなったら大変なことが待ち構えているのは理解しているだろう。
でも、それさえも吹き飛ばすものがあった。
瑠美はなぜ死なねばならなかったのか。
鳥栖署はなぜ動いてくれなかったのか。
そもそも綾部巡査長は関係部署に連絡を入れていたのだろうか。
やっぱり佐賀県警は許せない。
「取材を受けます」
隆さんが、妻の瑠美さんが徐々に変貌していった経緯をカメラの前で証言する覚悟を決めた。また、あれほど「早く忘れたいから取材は受けたくない」と話していた圭子さんも「西川さんなら信頼して任せたい」と、顔出しをしない条件で証言してくれるという。
取材班はその決心に沸いた。
事件から8ケ月が経った2020年6月。
「このままでは瑠美が浮かばれない。せめて非を認めて今後二度とこういうことが起きないように佐賀県警にはしっかりと反省してほしい」
遺族は生活安全課の対応に関する疑問点をまとめ、佐賀県警鳥栖警察署にその是非を問う質問状を提出すると同時に、本格的にカメラでの取材が始まった。 西川さんが2人のインタビュー取材をおこなうことになった。
その一方、私は事件の背景を知る「もう一人の重要人物」の取材を担当することになった。
向かった先は広島県三原市。
駅前の広場で落ち合ったその人物は、青野カメラマンが担いでいた大きなカメラにちらっと視線を向けると、緊張が増したのか体を何度か揺らした。
しかし、意を決したように私の目を見ると、
「僕のせいで妹が殺されたみたいなものなので……知っているすべてをお話しします」と口にした。
その重要人物とは、10年間も行方不明だった瑠美さんの兄・智一さんだった。