平凡な主婦が洗脳・暴行され命を落とした、「太宰府主婦暴行死事件」。テレビ西日本報道部は、事件の特集を組むことに決めた。しかし、放送にあたって塩塚記者には譲れないことがあった。遺族の訴えに杜撰な対応をした鳥栖警察署の巡査長・綾部への突撃取材だ。
『すくえた命 太宰府主婦暴行死事件』より
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異例の特集
「俺は絶対に直撃するべきだと思います」
夕方のニュースのオンエア前、記者や内勤、デスクが慌ただしく走り回る報道フロアを尻目に、めずらしく西川さんと揉めていた。
「塩塚、気持ちはわかるけど、これはよく考えた方がいい」
議題は「テープさと起こし発言」をしたとされる綾部巡査長に直撃インタビューをするかどうかだ。西川さんは諭すようにこう言った。
「あくまでも個人じゃなくて組織の対応を問題視してるわけやん? それをイチ巡査長に背負わせかねないのは危険だと思うけどな」
「いや、それでもこの件は『言ったか言ってないか』がすごく重要です。しかもここの真偽を本人に確認しようともせずに、一方の話だけで報道するのは逆に卑怯でしょ」
事件の取材は順調に進んでいる。取材班が立ち上がった当初は、夕方のニュース番組「ももち浜ストア特報ライブ」での特集企画として3日間放送する予定だったが、広島取材など遺族へのインタビューで幅が広がったこともあり、5日間ぶち抜きで異例の特集を組むことがすでに決まっていた。
2人が考えた大まかな構成はこうだ。
1日目は事件を俯瞰する。事件を忘れている視聴者も多いはずだ。複雑に入り組んだ人間関係が背後にある今回の事件を、視聴者にまず理解してもらうことが狙いだ。2日目は事件のきっかけとなったのは実は瑠美さんの実兄だった、という話に決めた。今回の事件の発端となったのが、山本が瑠美さんの実兄と再会したことだったので、そこに焦点を当てて10年前に遡りながら丁寧に事件を振り返る作りにする。
3日目は山本美幸にフォーカスを定める。いかに山本が残忍かつ狡猾な手口で金を掠め取り、瑠美さんや多くの被害者を罠にかけていったか。また、生い立ちやマー兄との恐喝手口にスポットを当てる。
こうして山本ら加害者側にフォーカスを当てた後、4日目は鳥栖署に話を切り替える。この事件、実は遺族が鳥栖署に何度も相談に行っていたにもかかわらず、警察がまともな対応をしなかったことが取材で判明したことを流す。
山本ら悪党による一家を飲み込んだ残忍な事件だと思っていたら、その裏では警察もとんでもなかったというこの事件の核心を描く。
そして最終日には、なぜ瑠美さんは亡くなったのか、本当は助けられた命だったのではないか、など警察の杜撰な対応を検証することに決めた。
しかし、私の中でずっと心に引っ掛かっていたのが「テープ起こし発言」だ。
確かに11回の相談対応の中で、日々悪化している状況を伝え続けたにもかかわらず、事件性を見抜けなかったことは警察の圧倒的な能力不足だと思うし、遺族が怒るのも当然だ。その一方で警察うまが即座に「事件だ」と動くことが難しかった事案であることも確かだ。
そこは山本の巧さと言わざるを得ないのだが、相談内容を見ていくと、「その対応は一発でアウトです」と断言できるのは、「被害届を出したいなら罪に当たると思う部分にわかりやすく印をつけて持ってきてください」という綾部巡査長の一連の発言くらいだと思っていた。
しかし、肝心のその発言の録音は残っていない。
もちろん隆さんと富田さんの証言を嘘だとは思っていないが、記者としてここは冷静な目で客観視しなければいけない。
この報道をすればどのみち、多くの人の人生が変わる。
遺族はもちろんそうなのだが、この件に関わった警察官の今後のキャリアにも大きな影響をもたらすだろう。であるならば、せめて我々が確信を持たなければ放送すべきではないと考えていた。
「そりゃ俺も『この件はすべて綾部が悪い!』なんて言うつもりはないですよ。実際に動かなかったのは上層部の判断があったと思いますし。でも特集をやるからには調べ尽くした上じゃないと、俺はこの件を背負い切れません」
実はこの頃、西川さんの人事異動が内示されていた。異動先はTNC の東京支社営業部。主に関東に本社を置く大企業を相手にビジネスを行う東京支社営業部は、全社売り上げの6 割を担う花形で、コロナ禍によって大きく売り上げが減少する危機的状況の中、西川さんに白羽の矢が立ったのだ。そして西川さんの後任として、私がこの取材班の責任者となる。
宮﨑局長が営業セクションに掛け合い、着任日を1ケ月先延ばしにする異例の措置が取られてはいたが、遺族の質問状に対する佐賀県警の回答がまだ来ていない以上、特集の放送は確実に異動前には間に合わないだろう。
責任者になるからには、中途半端なものは絶対に作りたくなかった。
「……わかった。とりあえず直撃は鳥栖署がどう回答するか次第で判断しよう。でもそのための準備だけはやっとこうか」
激論の末に結論は先延ばしとなったが、私たちは残り少なくなった時間の中ですぐに動き出した。
直撃に必要な準備とは、綾部巡査長の面割りとヤサ割りだ。
面割りとは「この人物が本人だ」という確認のことで、ヤサ割りとは自宅の特定のことだ。なぜこれが必要なのかというと、警察署や裁判所などの官公庁の敷地では許可なくカメラを回すことが基本的に禁止されているので、その中で直撃することはできない。かといって「太宰府事件の件で綾部巡査長に取材をしたい」なんて間抜けな取材申請を出しても通るわけもないので、綾部巡査長が住む家の近所で直撃した方が良いと判断した。
と言っても面割りとヤサ割りは容易ではない。佐賀県内で3本の指に入る大きな警察署である鳥栖署から出てくる大勢の中から綾部巡査長を特定し、さらに追尾をして自宅を割り出すのはかなりの労力が必要だった。
鳥栖署の前には警察車両や署を訪問する一般車両用の大きな駐車場がある。その駐車場に停めた車の中で西川さんと真理さん、さらに、駐車場の入り口から通りを挟んだスーパーマーケットの駐車場に停めた車の中で富田さんと青野カメラマンがカメラを構えて待機した。スーパーの駐車場から署の入り口までは直線で約100 メートル。望遠レンズを使って鳥栖署から出てくる人間の顔をひたすら観察する、という途方もない張り込みがはじまった。
このなかで、綾部巡査長の顔を知っているのは真理さんと富田さんだけだったが、
「あの顔を忘れるわけがない」
そんな静かな怒りに満ちた2人の記憶力だけが頼りだった。
「この人です! この人が綾部です!」
そう真理さんが叫んだのは、張り込み開始から4日目のことだった。
西川さんが急いで真理さんの車を降り、駐車場へ向かう綾部巡査長のあとを追う。
自家用車に乗り込んだ綾部巡査長を見届けるや「白の軽自動車!」と一報を入れると、青野カメラマンの車が綾部巡査長の車の追尾を開始する。
付かず離れずの距離感を保ちつつ片側一車線の国道を走る。もし途中で赤信号に引っ掛かったりして置いていかれれば、またイチからこの作業を繰り返すことになる。緊張感が漂う中、走ること約40分。綾部巡査長の車はアパートの駐車場に吸い込まれ、無事にヤサ割りも完了した。
青野カメラマンが捉えた綾部巡査長の顔は、いかにも真面目そうな若手警察官というものだった。彼も今回のことについてはきっと後悔の念を抱いているだろう。
取材班の面々はその顔を眺めながら、できれば直撃をしなくていいような「鳥栖署の正直な回答」が出ることを祈った。
一方その頃、私は特集の映像づくりに全神経を集中させていた。
当たり前の話だが、テレビのえ 番組は映像がないと成立しない。しかし「事件モノ」というのはそもそも素材が少なく、画を作るのに手間と労力が非常にかかる。
頑張って集めたとしても現場の映像や警察署の外観、被害者と被告らの写真、遺族や関係者へのインタビューぐらいしか揃えられないので、それだけで5日分の特集に耐えうる映像を作ることは不可能に近い。
そこで今回取り入れようと考えた手法が「再現ドラマ」だ。
証言や証拠などから瑠美さんや家族がどのように巻き込まれていったのか、役者等を使って再現する。しかし、普通ニュース番組で再現ドラマという手法はとられない。なぜなら演技によっては脚色が入ってしまい、事実から離れてしまうと考えられているためだ。 部内では当然そのことを懸念する意見も出た。しかし、この事件に関しては10年にわたる複雑な背景を視聴者にわかりやすく伝えられなければ何の意味もないと、私たちは一歩も引かなかった。
最終的には、「事実と違わぬように忠実に再現する」という条件で了承を得た。きっと私がカメラマンとディレクターの経験がある特殊な記者だったから出た判断だと思うが、こうなることを見越して画づくりを私に任せていた西川さんはさすがだった。
しかし、あくまでもニュース番組の中の一特集。予算などあるはずもない。
主要人物には古江部長のツテを使って地元劇団の役者に依頼できたが、それ以外のキャストは演技経験なんかない若手記者たちだ。ロケ場所も古江部長の実家や慶さんの馴染みの焼き鳥店にお願いするなど、とんでもなく低予算の再現ドラマが完成した。素晴らしい! と称賛できるような出来ではなかったが、ローカル局が行う異例の特集の輪郭が徐々に見えてきた。
残るピースは「鳥栖署の回答」のみ。
この仕事をやっていていつも不思議に思うのだが、ヤマはいつもこういうタイミングで動く。
まるでこの時を待っていたかのように、遺族から西川さんに連絡が入った。「あすの夕方、質問状に回答すると佐賀県警から連絡が来ました」
ついにその時が来た。
佐賀県警は一体どういう回答を出すのだろう。
非を認めるのか。認めるとしてもどんな形で?
遺族が納得できる回答なのだろうか。
すべてのピースが揃う日。取材の今後を大きく左右する日。
また、私にとっては、西川さんからバトンを受け継ぐ日でもあった。