2024年3月31日をもって、32年間続けてきた放送作家業と脚本業を辞めることを表明した鈴木おさむさん。マンネリを捨てることで、働く意味、人生の目的、幸せのカタチが見えてくるといいます。著書『仕事の辞め方』の一部を再編集してお届けします。
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「大人の事情」を気にしなきゃいけなくなった40代
30代で、放送作家としては打席に立つ回数が増えたことにより、ホームランを打つ回数も増えていきました。
映画『ONE PIECE FILM Z』も大ヒットしたりして、自分の仕事の幅も広がっていきました。
が、やはり、40代は自分の中で不安でした。
30代は自分が大きなものを背負って仕事しているつもりでしたが、ふと気づくとそんなことはない。
30代で成功したことにより、さらなる大きなチャンスを頂けたりするのですが、そうなると、そこで自分の限界を知ることになります。
テレビで言うと、番組単位で自分が思ったことを発言していましたが、テレビの世界でもどこでも、上には上がある。
決定権のある人が50代どころか、60代、70代であることを知り、様々な「事情」も知っていくことになります。
30代の時には見えなかった大人の事情が見えてくる。30代の時には気にしなくてよかった「大人の事情」を気にしなきゃいけなくなる。
40代の諸先輩方が「耐え忍ぶ40代」とか「認められない40代」と言っていたことをひしひしと感じるようになります。
30代の時には自分だけを信じて自信を持って動けていたのに、気にしなきゃいけないことが多くなり、動きが鈍くなるのです。
育休で気づいた「自分の代わりなんている」という事実
そんな自分を見て、今まで自分のことをリスペクトしてくれていた人の目の色が変わっていることに気づく。
自分の生き方が格好悪いことに気づく。
僕は43歳の時に、子供を授かりました。妻が「妊活休業」を世間に宣言しました。妻の行動により、励まされた人もきっと多かったと思います。
自分も男性不妊だったりして、それを経てようやく授かった命。普通にこのまま仕事していていいのかと疑問を持つようになり、放送作家業を一年間休んで、育休することにしました。
自分のレギュラー番組の関係者にこの思いを伝えに行くと「実は僕も、なかなか子供が出来なくて」と告白してくれる男性プロデューサーもいて、そういう人たちは「応援しています」と言って、僕が戻ってくるのを待っていてくれるとも言ってくれまし た。
ですが、そのタイミングで「卒業」となった番組も結構ありました。そりゃそうですよね。
その時に気づきました。「自分がいなきゃダメだって思っていたけど、そうでもない」ということと、「代わりなんているんだ」ということに。
これは自分にとって大きな経験でした。
仕事の辞め方
2024年3月31日をもって、32年間続けてきた放送作家業と脚本業を辞めることを表明した鈴木おさむの著書。「仕事を辞める」と想像することで、働く意味、人生の目的、幸せのカタチが見えてくる。