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猫屋台日乗

2024.02.06 公開 ポスト

デイ・ドリーム・ビリーバー

『猫屋台』のホステス猫・シロミが死んでしまった。16歳と9ヶ月だった。ハルノ宵子

完全予約制の、知る人ぞ知る『猫屋台』の女将であり、吉本隆明氏の長女・ハルノ宵子さんがその日乗を綴った『猫屋台日乗』より「真っ当な食、真っ当な命」をめぐるエッセイをお届けします。

猫が死ぬことだって、私はもう“手練れ”の域に入っている。やり過ごし方は心得ている。

ただ、どこを捜しても、どこまで行っても、どれだけ待っても、もう決してシロミは帰って来ない。2度と会えないという、圧倒的な事実だけが、私を打ちのめす。

デイ・ドリーム・ビリーバー

以前、そもそも『猫屋台』は、不特定多数のお客さんに向けた、ちょっとマトモな食べ物を出す、カジュアルな居酒屋としてオープンするつもりだった──と、書いたと思う。それがなぜ、今のグダグダな店になったのか、その紆余曲折をもうちょっと詳しく書いてみようと思う。

2012年に、相次いで両親を亡くし、少しは家を整理するかと、父の服やら母の着物やアクセサリーを親戚や友人に、持って行ってもらったりしたが、ある時ハタと気づいてしまった。

「実はこの家は、自分の家じゃない。両親の選んだ家具、食器、家電、両親が人から頂いた物で出来ている。自分が選んで手放せない物を真剣に考えたら、スーツケース1個分と猫と、ボロ自転車だけじゃないか!」

腹の底から“黒い欲望”がこみ上げてきた。「吉本主義者? 知ったこっちゃない。ブルドーザーで、父の書斎もろともブッ潰して、更地にしてやろうか」。しかし、この土地と家は、困ったことに猫付きだ。引っ越しはできない(まぁ、更地に掘っ立て小屋でも建てりゃいいんだが)。それに更地にするのって、けっこう金がかかるのよね。「そうか……この家いらないんだから、小屋のつもりで破壊に任せりゃいいんだ」──と、思ったとたん、すべての戸板が(実際にはないけど)パタパタパタッと倒れて、柱と屋根だけになった。風が吹き抜ける、夏の沖縄の古民家のイメージだ。盗られて困る物は何もない。猫は勝手に出入りする。疲れた人は縁側に座って涼んでいく。お茶かビールでもお出ししましょう。

そんな感じで居酒屋でもできたらいいな。しかし、世知辛い現代社会に生きている以上、実は「食品衛生法」的には、友人数人を招いて料理を振る舞い、「材料費だけカンパでお願い!」と、1人千円ずつ徴収するのだって、アウトなのだ。ヤミ営業となる(そんなの普通、友人同士でやるだろう)。『猫屋台』的には、ヤミ営業でも全然かまわなかったのだが、複数のお客さんが出入りするのをご近所にいぶかしがられたり、SNSに料理の写真をアップされたりして、お上にバレても面倒くさい。そんならいっそ正式な「営業許可」を取っちまおう。

「食品衛生責任者」資格だけは取っていたが、「営業許可」を取るためには、色々と行政の規定に従った、認可を得なければならない。そのためには、多少の家の改修が必要だ。しかし、何の知識も縁故もないおばさんが、いきなり工務店に飛び込んで、「あのぉ~家を店舗仕様に改修したいんですけど」とやったら、どんだけムチャクソな工事をされ、ボッタクラれるかは、目に見えている。

「どうしたもんかねぇ?」と、うちにいらしたついでの時、糸井重里さんに相談したところ、信用のおける、(お高いけど)オシャレなリノベーションなんかをやっている、工務店を紹介してくれた。その流れで、改修の工程などを『ほぼ日』で取材されることになったのだが、その中で「理想としてる店は?」と尋ねられ、「う~ん……伊豆の『ジンバブエコーヒー』かな」──と、答えた覚えがある。誰もが、「何のこっちゃ?」だったことだろう。

毎夏行く西伊豆の土肥から、数㎞南下した国道筋に、小さく『ジンバブエコーヒー』という看板が出ていた。気になって妹とその息子(まだドチビだった)、友人たちと数人で、後日行ってみた。国道よりも、ちょっと小高い開けた土地に(昔は田んぼか畑だったのだろう)、普通の平屋の古民家があった。海側に向いた縁側の戸は、すべて開け放たれ、一応玄関から(玄関のイミがあるのか?)、「こんにちはー」と上がっても、誰もいない。「スミマセーン」とか呼んでも、家の周囲にも、誰もいないようだ。仕方なく仏間の座卓に座って、「本当にここがコーヒー屋?」「人んちに不法侵入してるんじゃ?」と、ちょっと不安になったところに、「ああ、スミマセンね。いらっしゃい」と、ご主人が帰って来た。初老の“趣味人”といった感じのおじさまだ。ご主人が淹れてくれた“ジンバブエコーヒー”は、特にびっくりする程美味しい訳ではなかったが、「何でジンバブエコーヒーなんですか?」と尋ねると、ご主人はジンバブエ大使だったのだと言う。リタイアして、気に入ったこの地で、ゆかりのあるジンバブエコーヒーを出しているそうだ。そりゃ100%道楽だ。自宅はもっと山の上の方にあって、そこでは奥様が、予約制のレストランをやっていると言うので、皆で「行く行く!」と、ご主人の車の後に、2台連ねてついて行った。ま~山の中ったら、舗装もされていない、車もすれ違えないような山道を上って行く。

「ポツンと一軒家」じゃないけれど、どう見ても周囲には家なんかない杉林の山奥に、けっこうな洋風の豪邸があった。

玄関ホールに続く、ゴージャスなリビングダイニングのテーブルの上には、ランチを終えたばかりであろう、お客さんたちの食器が、まだそのまま残されていた。開け放たれたリビングの扉の向こうには、山奥なのに広々とした芝生の庭が広がっている。下の古民家からのギャップに驚いた。チビの甥っ子は、芝生を走り回ったかと思うと、リビングに飛び込んできては、棚の上の(お高そうな)調度に触るので、「やめて! 壊さないでね!」と注意すると、「ホホホ、お子さんは、本物がちゃんと分かるんですよね」と、奥様。「ザ・マダムだ!」。う~ん……ご主人の趣味が下の古民家で、マダムの趣味が山奥の洋館な訳だ。分かりやすい夫婦だ。

こんな緊急車両も入って来られないような、山奥の家で(イヤ、下の古民家ですら到着まで30分以上かかるぞ)暮らすのは、リタイア後の、まだ体力がある、ほんの一時期にしか過ぎないのだし、あこがれはしないが、どちらもある意味のびやかな“開けっぱの古民家”と“予約制の道楽レストラン”──というキーワードだけは、印象に残っていたのだ。

さて『猫屋台』の改修だが、紹介されたデザイナーのKさんは、たいへん合理的で、実務能力に長けているのだが、ちょっと変わった思考回路を持つ、“依憑型”の女性で、様々なお役所の認可を得るために奔走し、とことん付き合ってくれたが、どうやらこの家と土地の、“猫と魔物”に取り憑かれてしまったらしい。

母やガンちゃんやお客さんたちの(昔は編集者ってほとんどがヘビースモーカーだった)、タバコの煙でくすんだ天井や壁も、猫にボロボロにされた柱やふすまも、とことん原形を残そうとしてくれた。いっそ見違えるくらい破壊して作り直してくれた方が、覚悟がつけられたかもしれない。私もKさんと一緒に、細部を見直していく内に、何となく、不特定多数の見ず知らずのお客さんが、出入りするのは違うな──と、感じ始めていた。

『猫屋台』は、「まったくこれまでの家のまんまじゃん!」という仕上がりになった。ブッ潰そうと呪っていた家が、そのまま残った。

しかし、現在のグダグダ予約制の形態になった、最大の要因が、シロミという猫だった。シロミは、この家に来た時から「馬尾神経症候群」という障害を持っていた(詳しくは『シロミ介護日誌』で書いた)。排泄のコントロールはできないが(つまりモラすんです)、美しく繊細で、他の猫なんか全員キライ、絶対的女王気質だった。シロミは、お客さんが大好きだった。父の生前から、お客さんが来れば、父と一緒に客間に行き、父の傍らでしばしくつろいだ。緊張していらした、初めての編集者やインタビュアーも、シロミを触ったり、シロミの話題で雑談をしたりして、場が和んだ。インタビューや対談が佳境に入ると、シロミは押し入れの中に入ったり、キッチンに引っ込んでしまう。そしてなぜか終盤になると、「さぁさ、もうお開きじゃないの?」と、お客さんをうながすように、再び登場する。シロミ登場をきっかけに、「ではこの辺で」と、お客さんも帰り支度を始める。優秀なホステスだ。

生まれついての“女優”なので、レンズを向けられると、カメラ目線でそれに応じる(スマホカメラだと、そっぽ向かれるが)。なので、『ほぼ日』やNHKを始め、いくつかのメディアに、その姿が映り込んでいるはずだ。

お客さんが帰った後、「あ~やっと帰ったわね」と、お客さんの座布団を占拠するのもまた、シロミの幸せな時間だった。

父の死後も、弔問や父の本についての打ち合わせでいらしたお客さんに、シロミは同じようにホステス役を務め、初めていらっしゃる方でも、場を和ませてくれた。

しかし、不特定多数のお客さんが出入りするとなると、そうはいくまい。家の中がワサワサして、いかに人好きのシロミでも、うっとうしくなって、顔も見せてくれないかもしれない。何よりも、シロミの平穏と幸せを奪いたくなかった。

かくして『猫屋台』は、(当面の間は)以前からやっていたことと、たいして変わりなく、ポツリポツリと予約のお客さんを入れる形態の店、としてオープンしたのだ。案の定シロミは、父の生前とまったく変わりなく、ホステスを務めてくれた(酔っぱらいの、大声大人数のオヤジ客はキライだったが)。

そのシロミが、今年(2021年)の1月末に死んでしまった。2年程前に発症した「リンパ性胆管肝炎(おそらくリンパ腫)」が、急激に悪化したのだ。16歳と9ヶ月だった。覚悟って言ったら、障害を持ったシロミを拾った16年前から、ずっと日々覚悟していた。両親の介護時代の最後の8年間と、両親の死後の8年間を共に駆け抜けた。私もシロミもやり遂げた。何1つ悔いはない。

猫が死ぬことだって、私はもう“手練れ”の域に入っている。やり過ごし方は心得ている。

ただ、どこを捜しても、どこまで行っても、どれだけ待っても、もう決してシロミは帰って来ない。2度と会えないという、圧倒的な事実だけが、私を打ちのめす。

『猫屋台』は、唯一のホステスを失った。完全にモチベーションは失われた。糸が切れた凧のようだ。

「幸せだったなぁ」。こんなにもシロミに支えられ、依存して生きていたんだと、思い知らされた。

コロナでガランとした午後の居酒屋で、ボンヤリ早飲みをやっていた。清志郎の「デイ・ドリーム・ビリーバー」が流れてきた。花粉症のふりをして、涙をぬぐった。

関連書籍

ハルノ宵子『猫屋台日乗』

完全予約制の、知る人ぞ知る『猫屋台』の女将・ハルノがその「日乗」を綴り始めたのはコロナが蔓延り始めた2020年の春。女将は怒っていた。緊急事態宣言、アルコール禁止、同調圧力、自粛警察……コロナが悪いんじゃない、お上が無能なんだ――と。怒りの傍ら綴るのは、吉本家の懐かしい味、父と深夜に食べた初めてのピザ、看板猫・シロミの死、自身の脱腸入院、吉本家の怒涛のお正月、コロナの渦中に独りで逝った古い知人……。美味しさとユーモアと、懐かしさ溢れる、食エッセイ。

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