がんを患い、「余命わずか」を宣告された母が、家族に遺した1冊のレシピノートに込めた思いとは。「NBSみんなの信州」で大反響を呼んだ感動のドキュメンタリーを書籍化した『家族のレシピ』より、抜粋してお届けします。
「一日一日をしっかり」
9月23日。今日は、9月15日に続き、2回目の取材です。
ピンポーン。
「お母さん、先生みえたよ」。夫の浩徳さんが伊鈴さんに声をかけます。
ベッドに横たわり、右手でベッドの柵をつかんでいる伊鈴さん。お腹が大きく上下しています。
「三嶋さん、辛いかね?」。瀬角医師が伊鈴さんに話しかけますが、反応がありません。
浩徳さんが状態を説明します。
昨晩は呼吸が激しくなって苦しそうだったので、看護師さんに来てもらったこと。酸素飽和度は高いから大丈夫だと言われたけれど、お腹が痛くて辛そうなこと。
不安げに訴える浩徳さんに、「うんうん」と応じて、再び瀬角医師が伊鈴さんに声をかけます。
「三嶋さん、辛いね。何が一番辛いかな」
30秒ほど沈黙。瀬角医師が伊鈴さんのお腹に手を当てて、ポンポンしながら言います。
「呼吸が速いからね。胸が苦しいかな。身の置きどころがない感じ?」
少しすると伊鈴さんが「はい」と、か細い声で答えました。
この頃の伊鈴さんは、特に全身の倦怠感にさいなまれていました。全身の細胞一つひとつに重りがついて、ズーンと引っ張られるような苦しさです。
瀬角医師によると、がんの終末期の患者さんは、がんが発生・転移した場所によって症状が一人ひとり異なるそう。胆のうがんだからこうなる、胃がんだからこうなるというわけではなく、どこに発生して転移して、それによってどういう症状が出るのか。
伊鈴さんの場合は、腹膜播種(種がまかれるように体の中にバラバラとがんが広がること)を起こしており、がん細胞が飛んでいった臓器に障害がどんどん起きている状態でした。だから、全身の倦怠感をはじめ、呼吸困難や、胸やお腹の不調、吐き気など、全身が苦しくて辛い状態が24時間続いています。
「今日は、みんな集まって何かやるの?」。瀬角医師が家族3人に声をかけます。
「特にないです」。浩徳さんが、ゆっくり腰を下ろしながら答えます。それに続くように、優華さんと健渡くんも床に座ります。
「休みだからね。いろんなこと、お話はした?」
「そうですね、もう少し元気な頃は今後の話もしたんですけど」
それから、瀬角医師が点滴について家族に説明し、大きな声で再び伊鈴さんに声をかけました。
「お母さん、今お話聞いてたかもしれないけど、薬は無理に口から入れなくて大丈夫。好きなものだけ口に入れてください」
目を閉じたまま、「うん」と答える伊鈴さん。まだ9月ですが、体には毛布がかけられています。
「ちょっと、ぼーっとしちゃうこともあるかもしれないから、少ししっかりしているときには、おうちの人と話してください。力振り絞って、言いたいことをしっかり」
頷きながら「ありがとうございます」と答える伊鈴さん。
「お母さん、お薬貼るから。足に貼っていい?」
「ここでもいい? 貼るよー、はい」
伊鈴さんに「お父さん……」と呼ばれた浩徳さんが、伊鈴さんの背中に手を回して体勢を変えます。
「よいしょ。こんな感じ? うーん、違う?」
「まっすぐになりたいんじゃない?」と、優華さん。
「つかまって。よいしょ。せーの。よいしょ」
見守っていた瀬角医師が、伊鈴さんに声をかけます。
「じゃあ、また来ますね。何かあれば。何かってよく言われるけど、気になったら連絡ください。看護師さんと連絡取り合って。また来られるときは来ますので」
瞬きをしながら、安心したように話を聞いている伊鈴さん。瀬角医師は、伊鈴さんの右手をしっかり握り、顔を近づけて言います。
「じゃあね。しっかり一日一日過ごしてね」
* * *
この続きは書籍『家族のレシピ』でお楽しみください。
家族のレシピ
がんを患い、「余命わずか」を宣告された母が、家族に遺した1冊のレシピノートに込めた思いとは。「NBSみんなの信州」で大反響を呼んだ感動のドキュメンタリーを書籍化した『家族のレシピ』より、抜粋してお届けします。