がんを患い、「余命わずか」を宣告された母が、家族に遺した1冊のレシピノートに込めた思いとは。「NBSみんなの信州」で大反響を呼んだ感動のドキュメンタリーを書籍化した『家族のレシピ』より、抜粋してお届けします。
親孝行がしたい
在宅医療が決まった頃、優華さんはある計画を思いつきました。間もなく、お母さんの誕生日です。だから、誕生日プレゼントとして、お母さんに家族旅行をプレゼントしようと考えたのです。
毎年、自分や弟、お父さんの誕生日には、盛大にお祝いをしてくれるお母さん。だけど、お母さんの誕生日や母の日に「何が欲しい?」と聞くと、「いらない」と言ってプレゼントを拒みます。「私のためにお金は使わなくていいから。自分のために使って」と。それでも、お花やプレゼントを毎年渡してきましたが、豪勢に祝ったことはこれまで一度もありませんでした。
だから、今年こそは。
本当は、来年就職してからちゃんとしたお祝いをしたかったけれど、それはできなそうだから……。
「ねえ、お母さんの誕生日に、どこか近くでもいいからホテルを取って、お祝いしようよ」
「いいよ、そんなことしてくれなくて」
「いいじゃん、せっかくだし。ほら、ここなんてどう?」
「んー」
これまで本当に色々なことをしてもらってきたから、ちゃんとした思い出を残してほしい。その一心で、優華さんは密かに予約を取り、「もう予約したから行こうね!」と、半ば強引に計画を進めます。
お母さんも「わかったよ。だいぶ体力は落ちてきてるけど、9月8日ならまだ行けると思う。ありがとう」と、旅行を心待ちにしていました。
ところが、体調は坂道を転げ落ちるように悪化していきました。
昨日できていたことが今日はできなくなり、今日できたことが、明日はできなくなる。一日ずつ、命が削られていきます。結局、旅行に行くことはできませんでした。
娘と母
在宅医療が始まってから、優華さんは家事や買い物、食事の準備、お母さんのお世話、学校の実習など、たくさんのことに追われていました。
力仕事や深夜のお世話など、24時間体制で介助しているお父さんを見ていたので、「力仕事は無理だけど、なるべくできることはやろう」。そう思って、体を拭いたり、着替えさせたり、体をマッサージしたり、自分にできることを必死にやっていました。
学校が終わり、買い物をして夕方帰宅。それからご飯を作る日々。
けれども、帰宅すると、お母さんが台所にいることがよくありました。
「お母さん! 私が作るからいいって言ってるでしょう?」
「ここまでしかできなかった。ごめんね」
何度、優華さんが自分でやるからいいと言っても、お母さんは立てなくなるギリギリまで料理を作っていました。
もう、自分が食べられるわけでもないのに。
食欲が落ち、口を大きく開けることも難しくなっていたお母さんは、ほとんど食事を取れなくなっていました。
主な栄養源は、缶に入った栄養剤です。異様に甘く、決しておいしいとは言えません。だからお母さんは、少しでも口にしやすいように中身を凍らせて食べていました。
優華さんは、お母さんが最後に作ってくれた料理が何だったのか、覚えていません。
本当に毎日作ってくれたから。明日もまた作ってくれるのかなと、期待するわけではないけれど、明日もそれが続くと思っていたからです。
けれども、いつしか台所に立てなくなり、立ち上がることもおぼつかず、寝たきりになっていくお母さん。
在宅医療でいつも一緒にいられて嬉しいけれど、そんなお母さんを見るのがどんどん辛くなっていきました。
姿を見ると泣けてきます。痩せ細って寝ているお母さんを見るのが耐えられません。
でも、泣いているところは見せたくない。
だから、学校から車で帰ってくると、車の中で一人、涙を出し切ってから家に入る。それが優華さんの日課になりました。
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家族のレシピ
がんを患い、「余命わずか」を宣告された母が、家族に遺した1冊のレシピノートに込めた思いとは。「NBSみんなの信州」で大反響を呼んだ感動のドキュメンタリーを書籍化した『家族のレシピ』より、抜粋してお届けします。