2023年10月に受賞作が発表された「note創作大賞2023」。33,981作品の中から「幻冬舎賞」を受賞されたのが、エッセイスト斉藤ナミさんの「うしろめたさを味わいに、1人で高級ランチを食べに行く」でした。エッセイという表現手法の魅力が詰まった本作品をどうぞお楽しみください♪
* * *
ある夜、私は夫に届いた牛タンを勝手に食べた。お歳暮にいただいた高級厚切り牛タンスモークだ。
子どもたちが寝たあと、その欲望はやってきた。
お腹すいたな……。たしか、お歳暮に牛タン届いてたな……?
あぁ、牛タンスモークめちゃめちゃ食べたいな……今ものすごく牛タンの気分だよ
仕事で家におらず、冷蔵庫なんてそうそう覗かない夫は、まさか牛タンスモークが今この家にあるなんてつゆ程にも思っていないだろう。今、こっそり食べちゃおうかな?
いやいや、そんなの勝手に開けて食べていいわけがない! なんせ、牛タンは長男と夫の大好物だし、我が家にとってはご馳走だ。
何枚入っているかしっかり数えられ「一人、何切れ」ときっちりと決められ、等しく配分されてから食べることになるはずだ。もし勝手に食べたのがバレたなら、死ぬほど軽蔑され、向こう3ヶ月はすれ違うたびに「卑怯者」とささやかれ、蔑さげすまれるだろう。
しかし、長男も夫もこの牛タンが今この家にあることすら知らない。
あれあれ? 知らないのなら、怒りようがない……?
ああもう、ひと切れだけ! ね? ひと切れだけならいいだろう? こっちはもう完全に牛タンの舌なんだよ! 今さらナッツとかではこの気持ちを抑えられないよ! ひと切れだけ!
ぱくっ! もぐもぐもぐ……
っかー、おいしい……! 牛タンスモーク!
夜中に家族が寝静まったあと、1人でコソコソとご馳走を頬張る……なんてうしろめたいんだ。
このうしろめたさが牛タンの美味しさをまた格別なものにする。大声で「うまーい!」と高らかに喜べないこの状況。このコソコソした状況であるからこそ、牛タンのおいしさをより鋭く深く味わうことができるんだ……!
学校や仕事をずる休みして、ベッドでお菓子を食べながらゲームをするときに感じたあの格別な楽しさと似ている。普通に休日にゲームをするのとはわけがちがう。みんなは今ごろ、だるい授業や仕事をこなしているっていうのに、私はこんなにだらしない格好でベッドに寝そべって、世界一かわいい猫をなで、ポテチを食べながらメタルギアソリッドをしているんだよ!
ヒャッホウ! 最高だよ!
なんてことだ。うしろめたいからこそおいしく、幸せを感じるなんて。私はなんて歪んでいるんだろう。ああ、もっと味わいたい! もっとうしろめたさを感じたい! もっと歪んだ幸せを味わいたい!
夜中の牛タンのうまさに感動して、頭が完全にバカになっていた。そして興奮した頭に、あるアイデアが降りてきた。いや、降りてきてしまった。
ーもっとうしろめたさ、感じてみたいな?
例えば同じ「うしろめたい」でも、高い服やバッグなどを買っても、物が残るものでは、このうしろめたさには決して届かない。
やはり、消化してしまうというところも含め、美味しいものを1人で食べる行為が一番うしろめたくて幸せだろう。とすると、一人で家族に内緒でめちゃくちゃ高くて美味しいものをこっそり食べるのはどうだ……?
フルコースの高級フレンチとか、料亭の懐石料理とか……?
私は天才か? 天才でごめんなさい。
閃ひらめいてから実行に移すまでは早かった。
グルメな地元の友だちにおいしくて高級で有名なレストランを聞いて、片っ端から電話した。「1人で」というところが肝なのだが、高級レストランは1人では受け付けてもらえないところも多いということを今回初めて知った。勉強になるなあ。
ようやく1人でも受け付けてくれる高級イタリアンレストランを見つけ、予約をした。「こういうの初めてなんですけど」「デニムはダメとかありますか?」「自分へのご褒美なので一番高いコースで」などと、素人感や、うぶな客です感を存分にアピールして、牽制しまくっておいた。
* * *
予約当日。朝、学校へ行く子どもたちを送り出すときには、念入りに「この子たちは今日、学校の230円の給食を食べるんだ」という申し訳ない気持ちを味わっておいた。
予約は12時。5分前には店につき、店を外から観察した。隠れ家的な雰囲気だ。こういうところこそおいしかったりするんではなかろうか? 期待は高まった。存分に幸せを堪能するために、朝は食パン半枚にしておいた。さあ新しい扉をあけよう。
「いらっしゃいませー」感じのいい女性が出迎えてくれた。「予約していた斉藤です」「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
テーブルへ案内された。私のためだけの1人用のテーブルセットが用意されている。ドキドキワクワクしてきた!
他のお客さんは2人組や3人組ばかりだ。ササッと私に視線が走った気がした。「こいつ、1人か……?」って思ってる?
あれ、まてよ?
1人で高級ランチって……これわたし、1人でどうすんの!?
どどどどうしよう! 1人で食事なんてしたことがない! どうやって1人で過ごしたらいいんだ? 店内をみる? スタッフの動きをみる? スマホをいじる? 手持ち無沙汰ぶさたーー!!
私は大変なことをしてしまった。これから前菜から始まるフルコースがのんびりちまちまと順番に出てきて、全部食べ終わって、お会計するまでの時間、私は1人でずっと、一体どんな顔をしていればいいんだ!?
なぜこんな簡単なことを見落としていたんだろう? 誰が天才だバカ。大バカ野郎だよ! 1人でラーメンすら食べられない女が、なんだって高級イタリアンのフルコースにいきなり大ジャンプしてるんだ!? 無理に決まってるだろう! まだ着席して1分も立っていないのにもう帰りたい。
とりあえず、ナプキンに包まれた「本日のお品書き」みたいなものを震える手に取り、読んでみることにした。
もう今日はずっとこれを見ていよう。
隅々まで本日のメニューを読んでいると、先ほどの女性がやってきた。
「ドリンクメニューでございます」たくさんのワイン(らしきもの)の名前がずらりと並ぶドリンクメニューから「じゃあ食後にコーヒーをお願いします」と頼んだ。
「食後のコーヒーはコースについておりますので、お水をお持ちしますね」そ、そうなのーん? 高級レストランってそういうシステムなの? いやだ恥ずかしいッ……!
お水が運ばれてきて、いよいよ前菜も運ばれてきた。助かった! 料理さえ来たらこっちのもんだ。前菜のメロンと生ハムとなんとかかんとかを見おろした。
う……わぁー、うつくしいー!!
お花や生ハムがそれはそれは美しく盛り付けられていた。器も美しかった。食べられるお花とやらが食べてみておいしかった試しはないけれど、美しさに心が動いてワクワクが戻ってきた。よぉし、こっからスタートだ。
フォークを持つ手も震えたが、なんとか一口くちに運ぶと、ジューシーすぎるメロン、フルーツみたいなトマト、生ハムの芳醇な香りとおいしさに、舌と顎の付け根あたりがトロリととろけた。
やば……美味しい。心がほどけて思わずニヤついてしまったのを頬の筋肉が感じた。
ただ、こいつは本気出せば1口で全部食べられそうなほどちょっとしかない。一瞬で食べ終わってしまうとまたさっきの手持ち無沙汰地獄に逆戻りだ。なんとかゆっくり時間をかけて食べないと。しかしどれだけちょっとずつにして引っ張っても5分もかからず消え去ってしまった。えっと、もう食べちゃったんですけど……
必殺「お品書きを読む」をまた繰り出した。もうさっき全部覚えている。
* * *
周りのテーブルで話をしているのが聞こえる。やはり平日のランチタイム。主婦が多いようだ。私のことを「1人で食べているかわいそう」とみているのか「1人で食べているかっこいい」とみているのか。楽しい会話と美味しい食事に夢中で、他人が1人で食べてることなんて視界にも入っていないかもしれないな。
真実は私には知りようもないし、どうでもいい気もしてきた。せっかく6600円の高級ランチなんだ。自分の後ろめたさに集中しよう! なんなら、2人で来て会話に気を遣ってエネルギーを割くよりも、100%食事に集中できる1人でのランチこそ、存分に味わえて最高なのではないだろうか?
次のお皿が運ばれてきた。また違うお花と、そうめんみたいな細い植物とナスやら大根やらデーツやらを混ぜたおしゃれなマリネ的なものに、つぶつぶした何かがまぶされていた。説明がクソすぎて、読者の皆様には一個も美味しさが伝わらないだろうが、これがまた美味しかった。なんなのこれ……! 説明できない……! 形容できない新しい味と気持ちに出会ってる私、かっこいい……!
ゆっくり食べることも忘れて、一瞬で食べてしまった。つぶつぶの一粒まで逃すまい、と必死に貪った。
こんな美味しいものを1人で食べていることに、もうニヤニヤが収まらなくなっていた。
興奮して叫びたくなってきた。ひゃっほーう! やばーい! わたし、こんな美味しいものたべてるよ! しかも、1人で! みんな頑張って働いてるってぇのに!
想像していたより明るいイメージのうしろめたさを感じた。なんなら、普段頑張ってるし、たまには良くない? と言う気持ちすらあった。
ふたたび手持ち無沙汰ぶさた地獄となったが、それもだんだん楽しくなってきた。次はどんな味で、どんな盛り付けで、どんな器なんだろう?
続いてパスタがきた。その次もパスタだった。え? 一回のコースでパスタが2品とかもあんの? 勉強になるなぁ~
パスタも死ぬほどおいしかった。フォカッチャにパスタの余ったソースをつけて食べるところなんか、もう一丁前にグルメな顔をして食べていたと思う。私グルメです。ごめんなさい。
次はとうとうメインのステーキだ。
あぁ、もうすぐこの時間が終わってしまうのか、寂しい……
ここまでくると、もう手持ち無沙汰タイムがなくなることすら少し寂しく思えてきた。もう癖みたいになってしまったので、一応お品書きを手にして目線を落としていたけれど、もう暗記してしまっているレベルなので読んでなどいない。
さぁ、いよいよ登場だ。見るからにこのお店の最高のメニューです! と言う顔をしてそいつは出てきた。艶なまめかしいピンクの生肉部分を「ほらみてごらん」と私に対して妖艶に見せつけてきている。
これやばない? こんなの1人で食べていいわけ? ここへきてやっと真っ当なうしろめたさを感じてきた。こんないい思いしていいの? 長男に、次男にも食べさせたい……!
ごめーん! ママ、こんなの1人で食べるよーー!! 6600円ーー!!
最高においしかった。最高にうしろめたかった。めちゃくちゃ小さくカットし、うしろめたさを存分に味わいながら食べた。
あぁ、お腹いっぱい!
デザートにはパインとミルクのアイスが出てきた。これまた次男が大好きなフルーツであり、うしろめたさを爆増させた。濃くて美味しいなぁ。食べさせてあげたら喜ぶだろうなぁ……。あぁ、彼は今、給食を食べていて、デザートなんて、よくて冷凍ミカンだろうなぁ。あぁうしろめたい……。
最初のドリンクオーダーでうっかり注文しそうになったホットコーヒーも配膳された。あぁ、あの頃の私は、まだ純粋だったお子ちゃまだったな。今の私はこんなに大人の楽しみを覚えてしまって、もうすっかり汚れてしまったな……。申し訳ないほどにグルメで、汚れちまった私は、コーヒーカップをワイングラスのように回し、2時間前の自分自身へマウントをとった。
コーヒーももうなくなってしまう……。ここへきて、2時間たとうとしている。私は完全に新しい扉を開き、足を踏み込み、すっかり小躍りしていた。
こういう高い食事は、きっと食事本体だけではなくて、この後ろめたい気持ちを味わう時間じたいに価値があるのだ。つまり、この2時間を体験するための値段が6600円なのだ。
あぁ、世の中にはこんな素晴らしい時間があるのか。もっと早くこの楽しみを知ればよかった!
ようやく半径1メートルの視界だけじゃなくお店全体が目に入ってきた。このお店ってこんな内装だったのか。
コーヒーを飲み終わり、コースの全てが終了した。しっかりと最後にまたもう一度お品書きを手にして、目に焼き付けた。ありがとな、お品書き。もう丸暗記しているよ。いつまでもずっと忘れないよ。手に持ちすぎてもう若干ヘロヘロになっている。お会計をし、会社の名前で領収書をもらった。
「シェフ。最高にうしろめたい料理をありがとう……」
と、シェフがいるらしき厨房を憶測で見つめ、心の中でお礼をして店を出た。
うしろめたさを求めてお一人様高級ランチを食べるという体験を詰んだ私は、もう昨日までの私とは違う。今夜からはもうこっそりお歳暮をひと切れつまむくらいでは、私の心は満たされないかもしれない。つまり、、
次は京都の料亭だな……
さらなるうしろめたさを求めて私の旅は続く……(わけはない)
* 牛タンは、みんなと同じテンションで「わぁー、おいしそうー!」なんてしらこい顔して言いながらおいしく頂きました。
おしまい
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うしろめたさを味わいに、1人で高級ランチを食べに行く
2023年10月に発表されたnote創作大賞においてエッセイ部門で「幻冬舎賞」を受賞された、斉藤ナミさんのエッセイです。
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